第5話 みお、文字を教わること

「みおは?」――「み、を」

「馬は?」――「む、ま」

「猫は?」――「ね、こ、ま」


 多羅葉樹の木陰で、西行とみおは倒木に並んで腰かけ、まるで父娘おやこのように親密な様子で、なにかの遊びに興じている。

 稽古をひと段落した有常は、それを見て興味津々、近づいた。


「あ、次郎さ」

 猫のように敏感に、少女は顔をあげた。

「何してるんだい?」

 有常が尋ねると、みおは恥ずかしげに口をつぐんでしまった。

 代わりに西行が答えた。

「かなを覚えていたのだ」


 足元の丸い桶のなかに、多羅葉の葉がたくさん摘んであった。

 丈の長い、つややかな緑の葉である。

 この葉は、裏側に、文字を書くことができる。

 尖ったもので引っかけばよいのだ。


 西行は細い木の枝を刀子で削り、筆がわりにしている。

 その筆で、みおが問いかける適当な言葉を、葉っぱの上にかな文字で記してゆく。

 書いた先からじんわりと、文字は茶色から黒に変色し、色が濃くなってゆく。


「鹿は?」――「し、し」

「猿は?」――「ま、し、ら」

 西行の文字を真似して、みおも一生懸命、自分の葉っぱの上に書いて覚える。


 有常が隣に腰かけた時、みおの胸の奥で、ことりと、ちいさな音が鳴った。

 会ってはいけないとあれほど強く祖母に言われたことも、どこかに吹き飛んでしまった。


「ね、お坊さ、………」

 と、みおは西行の耳に手を当ててささやいた。

 すると西行はすらすらと書いて、みおに葉を渡した。

 みおはその葉を隠すようにして、さっと、手籠のなかにしまいこんだ。


「なんだい、なんて書いたんだい?」

 有常が聞くと、みおは唇をきゅっと閉じて、にっこり笑った。

「内緒。お坊さとみおだけの秘密だよ」


 不満げな有常を見て、西行は言った。

「みおはその文字を、一番に覚えそうだのう」

 老僧は、カカカと笑うのだった。



 家に帰るとすぐに、みおは葉っぱを取り出した。

 そこに書いてある文字を指の腹でなぞった。

「――じ、ら、う」

 それがまるで本物の有常であるかのようにいとおしくなって、文字の書かれた葉っぱを大切に胸に抱きしめた。

 隣に腰かけた有常の、匂いまで思い出せる。


(あたし、次郎さの汗の匂いも好きだな……)


 恍惚の雲の上に、ふわりふわり浮かんで、体じゅうが光で満たされてゆくような気持ちだった。

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