第28話 未来よりも

 修学旅行最終日は、京都駅からほど近い東寺とうじと東本願寺を全体で観光して、そのまま新幹線に乗り込み、東京駅で解散となる。

「お昼、みんなと東京駅でご飯食べてくね」

 と美咲が教えてくれた。

 (仕方ない。友達も、大切にしないとな)

 というわけで、幸太も友達を大切にすることにした。

 中川、木村、吉原、関という同班の連中と食事をしていると、話題はまず、吉原と伊東の関係になった。

 吉原は体は大きいが、性格は意外に奥手なところがある。言葉を濁してはいるが、幸太は知っている。

 二人が、すでに付き合っていることを。

 この件は、幸太は仲の良い吉原からではなく、伊東から逐一ちくいち聞いているのだ。

 友人を自分の掌の上で踊らせているようで、多少、ばつが悪いが、伊東との取引のおかげで幸太も美咲と接近できたわけで、まぁこれも仕方がない。

「で、コータは松永とうまくいってんのかよ」

 矛先ほこさきを吉原から幸太に向けたのは、中川だ。

 正直、うまくいっているどころではない。

「まぁな」

「どこまでいった?」

「それは言えない」

「もったいぶるなよ」

「もったいぶってんじゃない。美咲のことは世界で一番、大切なんだ。お前らの興味のために、美咲とのことをぺらぺらしゃべるのは彼女に対して誠実じゃない。だから話さない」

「どんだけ好きなんだよ。まぁ、お前らしいけどな」

 中川はそう言って追及はしないでくれた。が、幸太らしいとはどういうことだろう。

 中川は、幸太の美咲への気持ちを以前から知っている。つまり、幸太が美咲に対して一途いちずである、ということだろうか。

 幸太にとってはだが、それは当然のことだ。

 彼は美咲への愛を遂げるためだけに、この二度目の人生を送っているのだから。

 土日、幸太は充分な休養をとって、旅行の疲れを癒すとともに、ブランクを早期に埋めるため、受験勉強に励んだ。バイトも修学旅行の直前からシフトを外れている。センター試験まではあとちょうど2ヶ月。いよいよ正念場といったところだ。

 月曜日、学校に行くと、隣に美咲が座る。

 それだけで、心がざわざわと浮き立つ。

 美咲はどことなく、恥ずかしそうな表情だ。きっと、ふたりで無鄰菴むりんあんを訪れたときの記憶が、強く彼女のなかに残っているのだ。

「2日間、会ってないだけなのに、なんだか久しぶりな感じ」

「俺も。修学旅行、楽しかったよね」

「うん。私は、4日目が一番楽しかったかな……」

「うん、俺も」

 ふたりは、互いの瞳に甘い情愛と微笑を宿らせて、目線を重ねた。

「週末、勉強は進んだ?」

「うん……頑張ったけど、ちょっと気が散っちゃった」

「どうして?」

「……意地悪」

 小声で言いながら、美咲は微笑んだ。

 勉強漬けの毎日は、退屈であり、苦しくもある。だがそれでも幸太がTake1ほどつらく感じられなかったのは、日々が充実していたからだろう。その中心にいるのは、当然のこと、美咲だ。学校に行けば、美咲がいる。電話やメールでも、適宜、連絡をとっている。

 美咲の存在が、幸太の日常をバラ色に彩っている。

 時期が時期だけにデートは控えてはいるが、それでも毎日が楽しいと思える。受験生にしては、ずいぶん恵まれていると言えるだろう。

 11月が終わり、12月に入ってすぐ、週の真ん中水曜日。

 19時まで学校図書館で美咲と勉強をして、帰ろうというとき。

「そういえば、昨日、この前の模試の結果が出たの。このままいけば私、第一志望の合格圏内だって」

「ほんと、よかったね! 美咲、ずっと頑張ってるから、必ず合格できるよ」

「うん、半分はコータのおかげ。いつも、私に勇気をくれるからね」

「俺、そんなにすごいかな」

「うん、コータすごいよ!」

 Take1では、美咲は第一志望の看護大を不合格になっている。もし、このまま順調にいって合格できれば、それは確かに幸太の影響と言えるかもしれない。

「そういえば、慶〇の看護医療学部って、キャンパスはどこだっけ」

「藤沢だよ」

 (藤沢か……)

 ド田舎だ。しかも東京からはだいぶ遠い。

「合格したら、大学の近くに一人暮らしをするか、寮に入ると思う。実家からは通えないからね」

 幸太の第一志望は国立にキャンパスがある。実家からは近いので、幸太は実家からの通学で問題はない。しかしそうなると、必然的に幸太と美咲の居住エリアや生活圏は大きく離れることになる。

 さびしい。

「コータの大学の最寄りは国立だったよね。離れたら、さびしいな……」

 美咲も、同じ気持ちだった。今まで、毎日同じ教室に通い、隣の席に座った。振り向けば、いつも愛する人がいた。そうした環境と比較してしまうと、卒業はどうしてもさびしさが先に立つ。

 幸太は美咲に対するのと同様、自分にも言い聞かせるように言った。

「毎日は会えなくても、心はいつも一緒だよ」

「うん、そうだよね。でも、大学に入ったら、私よりかわいい子、きっといっぱいいるよ。コータ、目移りしないかな?」

 表情は笑っているが、幸太には分かる。内心、美咲は不安なのだ。

 当然だろう。環境が変われば、人の心も変わる。自分の見えないところで、相手が誰とどのような関係を築いているのかも分からなくなる。今はどれだけ相手の愛情を確信できたとしても、卒業したあと、それが変容するのかしないのか、変容するとしてどのように変容するのかは、誰にも、本人にさえも予見はできない。

 しかし、幸太の場合は特殊だ。彼は12年間、美咲以上に誰かを想い、愛することはついにできなかった。

 だから、彼だけは、美咲への気持ちが弱まったり、途絶えたり、消えることは絶対にないと断言できる。

 それを美咲に伝えられないのが、もどかしかった。

 そしてそれ以上に、美咲を不安にさせているのが残念で、悔しくもあった。

 美咲に、自分の気持ちを信じていてほしい。

 そのためには、たぶん、その場しのぎの薄っぺらい決意や約束を口にすることではないと思った。

「美咲、聞いて」

「うん」

「美咲の不安な気持ち、分かるよ。俺だって、美咲が自分から離れてくんじゃないかって、考えたら不安になる。けど、未来のことは、きっと考えても分からない。1年前、美咲は俺のこと好きになるなんて、思ってなかったと思う。俺も1年前に、美咲と付き合えるようになるなんて、思ってなかったよ」

「うん」

「大切なのは、未来を予想することじゃなくて、今をどう生きるかだと思う。未来は今の積み重ねだから。だから、俺は美咲のことを大好きな今を何より大切にしたいし、自分の想いを美咲に伝え続けていきたい。美咲が不安になったときは、その気持ちを解消してあげたいし、美咲が俺の気持ちを信じられるように、精一杯に気持ちを伝えたい。後悔のないように、自分らしく」

 美咲の純真無垢むくな瞳が涙に濡れているように見えるのは、気のせいではなかったと思う。

「コータ、ありがとう。私も、今を大切にする。ずっとずっと、うれしくて幸せな今をつないでいきたい」

「そうしよう。美咲、大好きだよ」

「私も、コータのこと大好き」

 ふたりは、周りに誰もいないことを慎重に確かめてから、この日も口づけを交わした。

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