第11話 ソロ・コンサート

 幸太の高校では、5月の下旬に体育祭が行われる。

 春からまもなく初夏にかかるという最もよい日和ひよりに、全校生徒による運動の祭典を行うというわけだ。

 変わり種としては、例えば四人四脚という種目がある。

 四人でグループを組み、前後二人ずつで四角に並び、前後左右の二人と足首を紐で結び、いかに速く走れるかという競技である。やってみると、なかなか面白い。四人が密着して走るので、二人三脚よりも息を合わせるのがよほど難しく、コミュニケーション力と練習量、タイミングがずれたときの修正力が問われる。

 ほかには、風船割りチームデスマッチというのもある。両方の足首に風船をくくりつけ、クラスごとに分かれて、相手チーム全員の風船を割った方が勝ち、というゲームだ。相手が足を止めている状態で風船を踏めば、容易に割れる。30人対30人の対抗戦になるので、体力もよほど必要だが、包囲戦術、おとり戦術、別動隊による奇襲など、戦い方の工夫も必要になってくるから、これも面白い。

 体育祭の前、水曜日に二人は例によっていつもの公園で、風船割りをした。100円ショップで大量のゴム風船を買い、酸欠で顔が赤くなるほどふくらませて、二人で対決をする。

 美咲は運動部ではないが、体力はある方で、フットワークに自信のある幸太も何度か風船を割られた。もちろん、全体としては幸太の方が優勢だ。

 これほど笑うことがあるのかというほど、二人は笑い、はしゃいだ。

 美咲はときに背中を見せて、幸太から逃げ回った。

 幸太の腕をつかんで、彼の足を近づけさせまいとした。

 激しくじだんだを踏むようにして、風船を割らせないようにした。

 二人で悲鳴を上げながら走り回り、膝が上がらなくなるほど疲れ果て、笑い転げつつ、閉園の時間になるまで遊んだ。

 一緒に閉園のアナウンスを聞くのは、これが初めてだった。

 駅の改札で、別れた。

 帰りの電車は同じだ。だが美咲は幸太と校外で会っているのを知られるのが恥ずかしいらしい。同級生が乗り込んでくるかもしれない同じ電車に乗ることは避けたいという。

 一緒に帰って、友達に噂とかされると、恥ずかしいし……ってやつだ。

 それに仲の良い大野が彼にフラれた直後ということもあって、幸太が美咲に特別な想いを持っていること、それを告げたことも、内緒にしてほしいと言われている。

 お安い御用だ。

「早川君、バイバイ」

「今日も楽しかったよ。一緒にいられてうれしかった」

「……うん」

「気をつけて帰って」

 このようなとき、美咲はうれしいような、困ったような、恥ずかしいような、さびしいような複雑な微笑を見せる。

 だが、幸太はもう不安にはならなかった。美咲は自分の気持ちの整理がつかず、戸惑っている。傷ついているわけでも、嫌な思いをしているわけでもない。美咲が自分の気持ちに確信を持てるまで、幸太はそれこそ1年でも2年でも、あるいはそれ以上でも、待つつもりだった。むくわれることがなかったとしても、構わない。彼は美咲への思いを遂げるためだけに、Take2を始めているのだ。

 自宅に戻ってから、幸太は日記を書いた。単に事実として思い出を記録するだけでなく、彼自身の美咲への気持ちもつづった。

 ときに日記を振り返ってみると、美咲に対する想いが日ごとに大きくなっていっているのが、自分でも分かった。彼にとって美咲は永遠に初恋の人だったが、ひょんなことから人生のTake2が始まり、悔いのないように生きようと考え、美咲と過ごす時間が増えるにつれて、想いはさらにさらに強くなっていっている。

 さて、体育祭では幸太はリレーの選手に選ばれ、期待通りの走りを見せることができた。

 体育祭終わり、美咲が「リレー、速かったね」と言ってくれたのがうれしかった。幸太にとっては足の速さもリレーの順位もどうでもいいことではあったが、好きな人が自分を見ていてくれていたことは、最上の幸福だった。

 風船割りチームデスマッチでは幸太は美咲とともにおとりチームに入り、散々逃げ回った末、風船を両足とも割られたが、チームとしては勝利した。

 美咲は、生き残った。これは、幸太が常に美咲の前へ出て彼女を守ったからだ。

 少なくとも、幸太はそうだと思っている。

 美咲との関係はうまくいっている。毎日、朝と夜は欠かさずメールをしているし、水曜日に公園で会うことはすでに恒例になっている。

 当初作成したWBSは、幸太自身の突発的な告白で大きな変更と修正を余儀なくされたものの、こうなってみれば流れは悪くないかもしれない。

 6月は祝日もなく、部活に属していない生徒にとっては平凡な毎日がだらだら続くだけだが、美咲には大きなイベントがある。

 吹奏楽部の定期演奏会だ。

 定期は、年に二度、6月と12月にあるらしい。吹奏楽部は通例として、9月の文化祭終了とともに、3年生が引退する。つまり美咲にとっては、6月が最後の定期演奏会ということだ。

「部員同士で、使いたい曲を募集して話し合ったんだけど、私が提案したのは採用されなかった……」

「そう、残念だったね。提案したのってピンク・〇ンサー?」

「あはは、違いますー。ピンク・〇ンサーも定番曲だけどね」

「松永のソロパートはあるの?」

「うん、あるよ。私、これでもサックスのリードだからね。けど、私、本番に弱くて。ソロになると、いつも指が震えて、リズムが狂ったり、ミスしちゃったり」

「緊張する?」

「そう、緊張する。もっとイメトレして、個人練習しないとかな」

 それはどうだろう。どれだけイメージして、個人練習を重ねても、本番はまるで環境が違う。仲間が、同級生が、生徒たちの家族が、それ以外の人たちも大勢いる。その全員が、自分の演奏する姿に注目し、奏でる音に耳を傾けている。

 本来の実力が発揮できないのは無理もないし、イメトレや練習だけでどうにかなるものではない。

「100回のイメージ、100回の練習よりも、1回の実践が役に立つ」

「えっ?」

「今、本番をやろうよ」

「えっ、本番?」

 美咲は幸太の言うことの意味が分からず、ポカンとしている。

 幸太は美咲を連れ、原っぱの近くにある野外ステージへ向かった。大正記念公園では小規模な野外コンサートが開けるようになっていて、石段がぐるりと中央のステージを取り囲んで、半円形のアリーナを形成している。今日は平日だからステージは無人だが、アリーナ席はベンチ代わりに老夫婦、高校生の女子グループ、スーツ姿のカップル、犬を連れた若い女性、主婦友らしき十数人がのんびり過ごしている。

「松永、ステージに上がって」

「何するの?」

「演奏するんだよ、君のソロステージ」

「そんな、できないよ!」

「できるよ。定期では何百人の前で演奏するんでしょ。普段だって原っぱで演奏してるし、もともとなんの興味もない人たちなんだから、どうってことないよ」

 しかし、観客が足りない。

 幸太は舗道ほどうへ出て、大声で人を呼び集めた。

「今から、ステージでサックスのソロコンサートがあります! 観覧はもちろん無料! 演目は『ラブ・ストーリーは突然に』! 最高の演奏を約束しますので、ぜひ見にきてください!」

 売店近くやベンチに座っている人たちにも声をかけると、さらに10人くらいが集まった。

 ステージ上では、それと分かるほどに美咲がもじもじと緊張した様子を見せている。

 宣伝から戻った幸太に小走りで近寄って、美咲は小声で訴えた。

「早川君、無理だよ、こんなにいっぱい」

「大丈夫、君ならできるよ。姿勢を正して、深呼吸して」

 美咲は観念したのか、言われたとおりにした。

「きっといい演奏ができるよ。自分にだけ向き合って、君らしい音を出してみて」

 美咲はうなずき、ステージの中央に戻って、胸に手を当て、しばらく呼吸を整えた。

 演奏が始まった。

 原っぱの樹の下で吹くよりも、もっと音量が豊かで情熱のこもった演奏だった。

 (自分にだけ向き合って、私らしい音を)

 美咲はそのように自分に言い聞かせたのだろうか。

 出だしのAメロから圧巻の音で、一気に観客を魅了したように幸太には思えた。

 恐らく観客のほとんど全員が、サックスの奏でる音の美しさと強さを初めて知り、この曲の魅力を改めて実感しただろう。

 幸太も、見知らぬ観客たちとともにその感動を享受きょうじゅした。

 5分強の演奏は、完璧に終えられた。

 アリーナの観客全員が、美咲に拍手を送る。

 美咲も安堵あんどしたのだろう、汗にれ、紅潮した顔をいっぱいにほころばせて、劇団員のような大げさな一礼をした。

 幸太はこの即席ライブを行うにあたって、美咲の意志を尊重しない強引なコミュニケーションをとったことを反省していたが、美咲はあとでむしろ感謝を口にした。

「早川君、ありがとう。すっっっごく楽しかった!」

「松永、すごくいい顔してたよ。演奏も最高だった。けど、ステージに無理に引っ張り上げてごめん」

「ううん、今ほんとにいい気分。なんかね、本番もうまくできそう!」

「自信がついたんだね」

「そうみたい。早川君のおかげだよ!」

 美咲はステップを踏むように、全身を楽しげに動かして歩いていたが、急に立ち止まり勢いよく振り返った。

「ね、まだ閉園まで時間あるから、一緒にたこ焼き食べてこうよ」

 二人きりでした初めての食事は、280円で買ったたこ焼き6個を半分ずつ、たったそれだけだった。

 たったそれだけではあったが、幸太は美咲の隣で食べたそのたこ焼きの味を、一生忘れることはないだろうと予感した。

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