食べてからのお楽しみ
翌朝、二階の作業場ででかける準備をする。
「石板、良し!」
まな板より一回りくらい大きな透明の板。これが宝飾合成に欠かせない石板だ。私の場合は魔力補充用の装置がついてるけれど、普通はつるんとした一枚の石の板。ちなみに石板は素材を反映した色になるらしい。私は透明だけれど植物を素材にするマダムの石板は緑色だ。
「予備の魔鉱石、良し!」
石板に魔鉱石がついていることを確認して、予備もきちんと持っていく。
魔鉱石というのは乾電池の魔力版みたいなもの。手のひらサイズで、高さニセンチメートルくらいの円柱のそれに魔力が溜まっていて、普通はランプ、コンロ、冷蔵庫とかにいれて使う。私の場合はこれで石板に魔力を供給するわけだ。
この世界の人たちは基本みんなが魔力を持っている。でも、その量は人それぞれだし、大抵のものが魔力で動くから、いちいち自力でやっていたら生活が成り立たない。だって、冷蔵庫とか、街灯とか、自力だったら四六時中誰かが張り付いていないといけなくなるでしょ?
そういった訳で作られたのが魔鉱石。生活必需品な上に消耗品だから、町のどこでも簡単に買える。ちなみに魔鉱石の魔力込めは学生さんの定番のアルバイトなんだそうだ。
ファンタジーなのか、現実的なのかいまいち悩むところだけれど、何はともあれ魔鉱石のお陰で魔力ゼロの私でも宝飾合成ができるのだからありがたい話だ。
「保存瓶も一応持っていくか。マダム〜、保存瓶一つ借りていきますね~」
一階で開店準備をしているマダムに声をかけて、棚から空のガラス瓶を一つ取り出す。
さてさて、お立会い!
取り出だしたりますこのガラス瓶。ただのガラス瓶ではございません。これこそまさにファンタジー!
可憐に花開いたスイートピーも、綺麗に色づいた紅葉の葉も、瑞々しい葡萄の実も、この瓶に入れればあら不思議。散らず、枯れず、そのままの姿を保つのです!
って、思わず通販番組みたいなテンションになってしまったけれど、すごいでしょ?
一見するとただのガラス瓶なんだけれど、本当に枯れないの。これのお陰でマダムは季節を気にせずに色々なアクセサリーを作れるってわけ。
あっ? だったら冷蔵庫いらないじゃん、って思ったでしょ? えぇ、私も思いましたよ。私の場合はお弁当箱だったけれど。そして大爆笑されましたよ。
宝飾師という仕事柄、たくさんの保存瓶が店にはあるけれど、本来はすごく貴重なものなのだ。保存瓶を作ることができるのは王国でも一握りしかいない保存瓶職人だけだし、大きいものほど作るのが難しいそうで、今、私が持っている高さ二十センチメートルくらいのものが最大らしい。
というわけで、割れないように丁寧に布でくるむ。石板も欠けると大変なのでくるんで鞄の中へ。これだけで結構な重量だし、何よりかさ張る。今回は保存瓶を一つしか入れてないからまだマシだけれど、素材採取のときは何個も持っていくから大変だ。
「マジックボックスが欲しい」
言っても仕方のない言葉がこぼれる。
あっ! あると思ったでしょ? ないんだな。これが。
この手の物語の定番。なんならゲームの世界では基本装備ともいえるマジックボックス。私もあると思いましたよ。そして道具屋のリシア君に聞いたら、私の元いた世界にはそんな便利なものがあるのかと逆に質問攻めに
あいましたよ。なんなら彼の愛読書は私が元の世界から持ってきた青い猫型ロボットの物語ですよ。
そうそう、ごく一部だけれど私がこの世界の人間ではないことを知っている人はいる。マダムとか、これから会いに行くノームさんとか。でも基本は隠している。知られたら面倒なことになるのは目に見えているしね。
リシア君も知っているけれど、もちろん本は存在が知られないように十分過ぎるくらい注意してくれている。
「さて、行きますか」
一階のマダムに声をかけて店を後にする。まだ早い時間だけれどモルガとゴシェのパン屋は開いているはず。まずはノームさんへの手土産に昨日のいちじくパンを買うべく、私は通りを歩きだした。
「あら、ホタル、おはよう。領主様のお庭にお使い?」
「うん。この前のいちじくパン、おいしかったからノームさんへのお土産にしようと思って」
出迎えたくれたのは、小柄ながらも出るところはでて引っ込むところは引っ込んだナイスバディに淡くピンクがかった大きな薄茶の目の色白美人。同い年って嘘でしょ、っていつも思うくらい可愛らしい女性、モルガだ。
「嬉しい! ありがとう! そうそうゴシェ君から新作スイーツを預かってるの。あとでノームさんのところに持っていこうと思っていたんだけど、お願いしちゃっていい? もちろんホタルの分もあるから」
「本当? やった〜! って、あっ、でも」
喜びかけて一瞬止まる。そういえばノームさんのところにお客さんが来ているのよね。だめじゃん。お客さんの分はありませんとかまずいでしょ。
「ん? どうした? ダイエット中?」
ふんわりと緩くウェーブした栗色の髪を抑えながら、コテン、と首を傾げるモルガ。
おい、可愛いな。って、そこじゃない!
「えっ、嘘! 私、太った?」
そういえばこっちの世界にきてから体重計に乗ってない。マダムの店にはないし。やばい。今度、体重計買おう。
「ふふっ。そんなことないわよ。ちょっと言ってみただけ。ホタルは可愛いねぇ」
「なんだそりゃ! 可愛いねぇじゃないわ! ちょっと焦ったじゃん!」
これまた可愛らしく微笑むモルガに脱力する。
あっ、でも、やっぱり体重計は買おう。この年になると一度ついた肉はなかなか落ちないからねぇ。
「でもどうしたの? ゴシェ君のスイーツは絶品よ。ダイエット中でも食べないと後悔するわよ〜」
「いや、だからダイエット中じゃないし。ノームさんのところに私あてのお客さんがきているみたいなの。だから」
「あら、仕事の依頼? よかったじゃない。数の心配ならいらないわよ。たくさんあるから大丈夫」
「いいの? だったら是非!」
「もちろん! ちょっと待っていてね!」
そう言ってカウンターの奥へ行ったモルガが持ってきたのはカップに入ったココア色の焼き菓子。確かにすごく美味しそうだけれど。
「ガトーショコラ?」
ゴシェさんのガトーショコラはすごく美味しいから嬉しいけれど、新作どころか定番商品だよね。
不思議そうな顔をした私にモルガが嬉しそうな顔で続ける。
「そう思うでしょ? でも違うの。きっと食べたらびっくりするわよ。食べる直前に温めてね」
「えっ? これを? なんで?」
まぁ、暖かくても美味しいのかもだけれど、冷たい方が一般的よね。生クリームとかつけるくらいだし。
「それは食べたときのお楽しみ! 絶対にノームさんに伝えてね! 忘れちゃ駄目よ!」
どうやらこの場で教えてくれる気はないらしい。念押しするモルガから、いちじくパンとガトーショコラ(仮)を受け取ると私はパン屋を後にした。
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