わたしは悪女なものですから

ゴオルド

鉄は熱いうちに打たないと手遅れ

 まあまあのブサイクだなというのが、その男に対する私の率直な感想だ。

 安物のスーツはともかく、趣味の悪いネクタイにはぞっとする。年齢は私と変わらないだろう。おそらく20代後半。若いわりに腹が出ている。手足は細いのに奇妙だ。

 でも、たまには醜い男に抱かれてみるのもマゾヒズムが刺激されて悪くないだろう。前の彼氏と別れて半年。体が疼き始めていた。

 いきつけの蕎麦屋のカウンターで、だし巻きをつまみに冷やおろしを味わっていた私は、ちらちらとこちらの様子をうかがっているその男も味わってみようと思った。男もこの蕎麦屋の常連のようで、たまに遭遇すると私を盗み見ているのだが、声をかけてくることはない。そういう男だ。

 こちらから声をかけても、顔を赤くしてううとかああとか言うばかりの男を口説くのは簡単だ。なんの駆け引きも要らない。腕を絡ませて「欲しいの」で十分。たった4文字でいい。なんという省エネ。あとはホテルまで引っ張っていくだけだ。


 部屋に入り、私が先にシャワーを浴びて、男にも浴びてくるよう促すと、ううとかああとか言いながら、男は命令にしたがった。

 シャワールームから裸で出てきた男に抱きついてみた。水気を含んだ肌同士がぴたりと密着しているのに、男はああとかううとか言うだけで、つったっている。下半身はしっかり反応しているようだが、手足は棒のままだ。受け身すぎる。本当はやりたくないのか?

 しぶしぶ男の手をとって、私の乳房へ導いてみた。ああとかううとか言っている。手が雑に動いて、指先が乳首に触れると、男は「ひゃあ」と言った。ああとかうう以外の言葉を言ったと思ったら、ひゃあである。

「もういいよ」

 私はすっかり興ざめしてしまい、男から離れると、脱いだ服をまた身につけはじめた。

「え……ええ?」

 男は戸惑っているようだが、そんなこと私にはどうでもいい。

 身支度を終え、ドアを開けて部屋を出ると、

「え、なんで?」と聞こえたので、

「へえ、しゃべれたんだ」と言ってやってから、ドアを閉めた。



 私が過去に付き合った男は全員(数えてみたら9人だった)、最初のセックスをした翌日、必ず寝込んだ。なぜか熱が出てしまうのだ。

 私は病気でも持っているのかと心配になり、病院で各種検査を受けてみたけれど、何も出なかった。

 では、なぜ男たちは寝込むのか。

 クリニックの医師からは「ストレスのせいでしょうね。男性にプレッシャーを与えすぎていませんか?」と言われた。

「男ってのは、女性が思うほど単純じゃないんですよ。セックスは、男性は実はかなり緊張するし、うまくできなかったらどうしようとか、ヘタだと思われたらショックだとか、そういうことを考えてしまうようなセンシティブなものなのです。特にあなたのような綺麗な方を相手にするとね。ええと、お仕事はモデルさんでしたよね。お相手はかなり緊張すると思いますよ」

 そう聞かされて、私はまるで理解できないという顔をしたのだろう。その男性医師は苦笑した。

「もっと男性をいたわるようなセックスができれば、男性は寝込まないかもしれません。いや、やっぱり寝込むかもしれないけど、でも幸福感にひたりながら寝込むのと、ショックで寝込むのは違いますからね。彼に自信をつけさせるようなセックスをしてあげてください」

 なんだそれ、と思った。

 彼に自信をつけさせるセックスって。

 なんだそれ。



 後日、私がナンパしたううああ男が熱を出して倒れたらしいと、蕎麦屋の店主から聞いた。電話で泣きつかれて、常連だから特別に蕎麦を出前してやったと言っていた。私とあの男の間に起こったことについて、店主は知っているような顔をしたが、私には何も言わなかった。

 私はあの男に自信をつけさせるセックスをしてやるべきだったのだろうか。

 なんだそれ。

 自信なんて、赤の他人につけさせてもらうものじゃないだろう。子供じゃないんだから。



 それからしばらくして、知人宅のパーティーで出会った男といい雰囲気になった。彼氏ができそうだと直感した矢先に、付き合ってほしいと言われた。もう少しこの期待感を抱いたまま、甘酸っぱい日々を過ごしたい気持ちもあったが、恋の駆け引きを楽しむより、肉体的な快楽に溺れたい気持ちのほうが強かったので、すぐオーケーした。


 3回目のデートのとき、彼の部屋に招かれた。間接照明とサンセベリアの鉢植え、シックな家具と遮光性の高いカーテン。ダブルベッドのシーツは清潔そうで、時計の秒針の音はなし。女とヤルための部屋だと一目でわかった。気が散るような余計なものは何も置いていない。彼は無趣味なのか。あるいは女遊びが趣味なのかもしれない。彼は外見も服のセンスもいい。なにより男の色気がある。かなりの手練れに違いない。期待で胸が高鳴る。しかしそれでも彼がシャワーを浴びている間に盗撮用のカメラがないかチェックするのは忘れなかった。モデルなんかやっていると、心配事は多い。カメラはなかったが、アロマ加湿器を発見した。興奮のあまり、思わず喉が鳴った。

 間違いない。彼はヤリチンだ。絶対そう。逆にヤリチン以外の独身男性の部屋でアロマ加湿器なんか見たことない。アロマのパワーで女をリラックスさせることで感じやすくさせ、室内に残るほかの女のにおいを消し、体臭きつめな女が相手のときには香りで誤魔化すことでヤリチンを支える心強い味方、アロマ加湿器! 職業は歯科医だし、これでヤリチンじゃなかったら私はもう何も信じられない。


 そうこうするうちに彼が部屋に戻ってきた。貪るようにお互いを愛撫しながらベッドに倒れ込むと、彼が私のあちこちを舐め回し始めた。

 舐める趣味の人だったのか。肌荒れしたら嫌だなと困っていたときのことだった。

 彼が奇妙な動きをした。

 具体的に言うと、急に膝立ちになって身を震わせたのだ。

 私のおなかの上に、白いものが飛び散った。

 まさか、と思った。触ってもいないのに出るなんて、あるのだろうか。こんなの聞いたこともない。

 だが、出ている。まさかの事態が起こってしまった。

 どうすればいいんだ。

 お互い無言でかたまっているこの時間をどうしたらいいんだ。


 婦人科医の言葉が脳裏をよぎる。

「彼に自信をつけさせるセックスをしましょう」

 こういうとき、どうすれば?

 どうして医者というのはふわっとしたアドバイスばかりして、具体的なアドバイスはくれないのか。

「鮭」と、私は無意識に言っていた。

 思わず口にしてしまっていた。もう出てしまったものは取り戻せない。

「鮭?」と、彼は尋ね返す。

「鮭の産卵って、メスが卵をうんで、それにオスが精子をかける……」

 魚類の交尾に挿入は不要だ。

「ああ……」

 意味を理解したのか、彼がうなだれた。

「あなたって鮭みたい」

「そうかな……そうかもね……」

 彼の声がどんどん小さくなっていく。

「私、鮭、好きだよ」

「……美味いよね……鮭……はは……」


 彼は熱を出して寝込んでしまった。


 翌日、LINEで体調を尋ねたときに、「もうちょっとデリカシーというか、言葉に気をつけてほしい」と言われてしまった。鮭発言は良くなかったようだ。

 そして「次はちゃんとするから」という決意表明も届いた。「期待してて」「絶対ガッカリさせない」そんな続報も届き、彼はいまプレッシャーで胃潰瘍とかになりかねないぐらいの感じなのだろうなあと思った。しかし、頑張らなくてもいいよと言ってしまっても良くないのかなと思ったので、「嬉しい」と返答しておいた。この返事で正解なのかどうかもわからないが、私も私なりに努力してみる気になった。「彼に自信をつけさせるセックス」とやらをやってみよう。


  

 2週間後。

 体調の戻った彼が、再チャレンジしてきた。私は、彼の気分を上げるような反応を心がけ、それでいて恥じらいも忘れず、さりげない気遣いも見せたりなんかもして、自分史上最高の媚びを演じきってやった。

 無事に終わり、満足そうなホホエミを浮かべて眠る彼を見て、なんだこれ、と思った。芝居に気づいていないのか? あんなに激しく腰を打ちつけられて、女があへあへ言ってよがるわけないだろう。こっちは痛いだけだわ。こんなヤリ部屋に住んでいるくせにどういうわけだ、見かけ倒しめ。醒めた。

 醒めたので、彼とは別れることにした。

 申しわけないとちょっとだけ思うけど、しょうがない。もし最初のセックスがうまくいっていれば、醒めることもなかったのかもしれない。もし彼が演技に気づいてくれたら。もし私が彼の穏やかな寝顔を見て幸せを感じられていたら。そしたら、また違った未来もあったのかもしれない。でもそうならなかった。

 恋もセックスも、ダンスのようなもの。息を合わせて、心を合わせて、楽しむもの。お互いの動きが噛み合わないと、続けられなくなる。いいとか悪いとかじゃない。ただ、そういうものなのだ。きっと私は男と噛み合うための歯車を持っていないのだろう。10人の男と付き合って、やっと理解した。「彼に自信をつけさせるセックス」なんて無理すぎる。



 しかし、私の演技は、彼の心をすっかり捕らえてしまったようだった。別れ話はかなりこじれた。「あんなに感じてたくせに別れるなんて納得できない」だから演技だって。そう何度も言っているのだが、元彼は信じようとはしない。「体の相性が最高なのに」はいはい、演技演技。「好きだって言ったじゃないか」そう言ったときは本当に好きだったよ。でも醒めたんだからしょうがない。しつこく復縁を迫られたので、断り続けたら、私を誹謗中傷し始めた。

 どこかのおせっかいが蕎麦屋常連の男と元彼を引き合わせたらしく、私を誹謗中傷する男同士で友情が芽生えた。「たくさんの男があの悪女に弄ばれている」と彼らは主張し始めた。2という数字は、彼らからしたら「たくさん」であるらしい。



 それから3年がたった。

 2人はまだ誹謗中傷を続けている。それどころか、さらにメンバーが増えて、悪女被害者の会を結成しているらしい。新規メンバーたちは私と付き合ったことも寝たこともない、そもそもどこの誰なのかさえ記憶にない男たちなのだが、私は彼らの心をもてあそんだことになっている。本当に誰? って感じ。


 意外なことに、共通の知人の結婚式などで、被害者の会のメンバーと運悪く鉢合わせてしまったときは、彼らは借りてきた猫のように大人しくなる。お祝いの場だからと自重して大人の対応をしているわけじゃない。面と向かっては文句の一つも言えないようなのだ。それでいて私の周囲をうろうろしたり、隣に座ろうとしたりする。私が三次会に行くと言えば彼らもついてくるし、行かないと言えば彼らも行かない。だが三次会で話しかけてくることはない。私がほかの男性と話をしていると、「そいつは悪女だからやめたほうがいい」などといって妨害してくるだけ。そういう邪魔をすると、逆にヤリチンは熱心に私を口説くようになるから私は喜ぶということを彼らは知らない。敵に塩を送ってどうする。


 小バエのように鬱陶しい男たちだが、慰め合って鬱憤を発散しているおかげなのか、ストーカー化はしなかった。誹謗中傷も厳密にはストーカー行為に該当するかもしれないが、一応嘘は言っていないようだし、後をつけたり電話してきたりというようなこともない。男たちは夜な夜な酒場に繰り出し、私の悪口で盛り上がっているだけのようだ。3年間もようやるわ。

 それにしても「気があるふりをしたから、あいつは悪女だ」だなんて、いい年をした大人の男が口にして恥ずかしくないのだろうか。自分で自分の男としての株を下げているとしか私には思えない。こんなしょうもない男と関係を持った、もしくは持とうとしたんだぞ、という事実を突きつけることで私に精神的なダメージを負わせようとしているのだとしたら、かなり有効な嫌がらせだと言わざるを得ないが。いい男に捨てられるのは人生の糧になり、やがて勲章となるが、ダメ男に未練をもたれるのは恥でしかない。


 私は今、女性のパートナーと仲良く暮らしているが、彼らは独身のまま、恋人もいないらしい。

 ダンスの曲は、いつまでもかかっているわけじゃない。

 ひとりで踊ったって楽しめるのに、それはせず、かといって新しいパートナー探しもせず、趣味や仕事に打ち込むわけでもなく、悪口だけでダンスタイムを浪費しているなんて。

 私は悪女だからはっきり言ってやる。

「笑えるね」



 <完>

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