第60話 傷

「ねぇ……まだ、起きてる?」


「寝てる」


「起きてるじゃん」


 おそらく隣で寝ているだろう中里さんはさっきから何度も確認をしてくる。今ので三回目だ。


「寝れないんだけど」


 妹は一階にいる両親にいろいろ話していたが、何とか言い訳をして妹の説明をうやむやにして無理やり二階に連れて行った。妹には後でお菓子を奢るという事で何とか黙らせられた。しかし、妹の部屋では寝させてくれなくなった。そのため自身の部屋に布団を敷いて中里さんと一緒に寝ることになってしまった。


「良いじゃん。恋バナとかする?」


「眠いんで結構です」


「え~、せっかく同じ部屋で寝てるのに……」


 さっきみたいに何をされるか分からない。そのため目はギンギンに開いているが眠いのは本当だ。


「妹さん、可愛いね。何年生?」


「小6」


「へぇ~じゃあ来年から中学生じゃん。もしかして私たちと同じ学校?」


「まぁ…ここら辺の小学生はみんな大体あそこだろ」


「そっか」


 しばらく静寂。中里さんは話すことが無くなったのか話すのをやめた。さっきまで元気そうな声でしゃべっていたがそろそろ彼女も眠くなったのだろう。


「いいな。私、兄妹とか…姉妹とか…いないから」


「いや、仲良くないよ」


「仲良くなくても。気軽に話せるでしょ?」


「まぁ」


 よく言われるが、妹というのは漫画やアニメに居るような可愛いらしい存在ではない。意味の分からないことで怒ったり、女の子なんだから優しくしてあげなさいとか言われるそのくせ兄に対して尊敬だとかは一切ない。


 仮に現実で「お兄ちゃん大好き」なんて言われたら、鳥肌と悪寒が止まらなくなる自信がある。


「家だと一人だったし……」


「へぇ~」


 眠すぎるので返事が適当になってしまう。だんだん意識が……遠く……


「ねぇ…し……藤原君はさ…?」


「!?」


 遠のいていた意識が急加速で戻って来た。質問されるとは微塵も思っていなかった話題で焦る。正直に話すべきか適当な言い訳を並べてはぐらかすべきか悩む。


「……」


「……」


 再び静寂。ただし先ほどのような穏やかな静寂ではなく空気が重い静寂だった。


「えっ……と、その……」


「言いたくないの?」


「……」


「分かった」


 沈黙を肯定と受け取ったのか、彼女静かになった。


「私、家に帰りたくなくて君にわがまま言っちゃたんだ」


「?」


 中里さんはベッドの上で寝ているため、床に布団を敷いている俺からは見えない。そのうえ部屋の電気も消えている。いきなり話始めたがとりあえず口を挟まずに聞いておく。


「うちの家……ちょっと変わってるんだよね」


「……」


「父親は毎日働かずにパチンコに行ってる。家に居る時は酒を飲んでるか寝てるかの二択。母親はそんなクズと私を養うために朝も昼も夜も働いてる。実際、家に居る時間より働いてる時間のほうが長いんだよね」


「急にどうしたの?」


「あのクズは……私や母親と顔を合わせるだけで暴力を振るってくる。意味の分からない暴言を叫びながら……殴ったり…蹴ったりしてくる」


「……ねぇ」


「毎日毎日……殴られたり怒鳴られたりするのが嫌だったから、何とかして……家に帰らない方法を探してた。だから……いろんな人に家出って言って泊めてもらってた」


「なんで急に……」


 彼女はいきなり捲し立てるかのように家庭事情を話し始めた。俺が口を挟もうとしても彼女の話は止まらない。


「藤原家はいいよね。なんか温かい」


「なんで、俺に…そんな話したの?」


 少し彼女の声に違和感を覚える。いつものようなかわいらしい声が少しだけ鼻声になっているような気がした。


「君が話してくれないから」


「…え?」


「私はみんなに秘密にしてること……話した」


「……えぇ?」


 だからお前も秘密にしていることを話せと言っているのだろうか。彼女の秘密に比べたらなんだか自分が隠していることはくだらない感じて来た。


「なんかその話聞いた後だと言いずらいって言うか…」


「早く……言ってよ!」


「ごめん」


 いきなり彼女が大声を上げたため反射的に謝ってしまった。何だかいつもより感情的になっている。


「えっと…その…」






「なにそれ、本当に?」


「うん、本当」


 彼女にはいろいろ説明した。俺の体の事。肝心の彼女の反応は……


「へぇ~」


「いや、へぇ~って」


「いや、驚いてるけど……なんか現実味がないって言うか」


 こっちは迷いながらもいろいろ決意しながら話したのに向こうの反応は思ったより薄かった。そりゃ、怪我してもすぐに再生しますとか言われても現実味が無いのは分かるが……


「じゃあ……確かめよう」


「え?確かめる?」


「うん、こっち来て」


 すると彼女は上半身だけを起こした。


「は・や・く」


「…んん、はいはい」


 眠る一歩手前まで行っていた体を無理やり起こしてベッドの上に座った。彼女は自分のスマホのライトをオンにしてこちらを照らしてくる。


「眩しっ」


「腕出して」


 闇に慣れてきていた目にいきなり光を当てられたため、反射的に目を閉じている間に腕を掴まれた。


「あぐっ」


「イッテ、何?」


「うごひゃないでひょ」


「は?」


 彼女は俺がスマホのライトの光に苦しんでいる間に腕を掴み、いきなり指を噛み始めた。かなりの力で噛まれている、それこそ血が出てくるくらい。


「痛い痛い」


「……んっ」


 口の力が緩み、唾液まみれになりながらも解放された自分の指を見ると赤い液体が滲んでいるのが分かった。しかし、多少血が滲む程度の傷なら一瞬で塞がっていく。彼女は確かにそれを確認した。


「すっご」


「もういいでしょ。……なんかめっちゃ眠気覚めた」


「私も」


 お互いに落ち着いたせいなのが少しずつ冷静になっていく。そこで状況が大変なことになっていることに気付く。女子と二人きりの部屋で二人そろってベッドに至近距離で座っている。


「あれっ?どうしたの?急に下向いて」


「いや……何でも」


「もしかして、エッチな気分になっちゃった?」


「……ち、違う」


「え~」


 下を向いているため顔は見えないが、明らかにニヤけた顔が想像できる。


「ん?ねぇ」


「うぉわ」


 急に彼女は俺の方に顔を近づけて来た、そのため少し体を引いて距離を取ってしまう。


「何これ?首のところ」


「えっ…首?あぁ…これは、小学生の時の傷」


「え?でも、傷は治るんじゃないの?」


 確かに俺もそう思っていた。でも、何故かこの噛み傷だけは治らなかった。この傷だけは普通の人間と同じスピードで治った上に傷跡も残ってしまった。


「どうやって怪我したの?こんなところ」


「それは……噛まれた」


「噛まれた?蚊?」


「いや、人間。同級生に」


「…は?同級生?」


 あの女の子は何故いきなり噛みついて来たのだろうか。衝撃的な出来事だったので未だに覚えている。噛む力が強かったのだろうか、それともあの女の子が何か特別だったのだろうか、確かめる術はないので未だに疑問のままだ。


「へぇ……まるで吸血鬼だね」


「うん、それは思った」


「私も噛んで良い?」


「それは…ダメ」


「なんで?」


 単純に痛いのが嫌だという気持ちが一番だが、あの子の傷が何故か特別なものに感じたというのもある。


「だって痛いじゃん」


「治るじゃん」


「治っても痛いものは痛いんです」


「ええ~」


「もう寝たいんだけど…」


 さすがに眠くなってきた。傷が治ったため痛みも一切なくなったため再び眠気が勝ってきた。


「じゃあ…」


「うわっ…おい」


 ベッドから降りようとした瞬間にいきなり押し倒された。体にほとんど力が入っていなかったため、簡単にベッドに倒された。


「このまま寝ようよ。ねっ」


「なんか…もう…いいや。おやすみ」


 そこで目を閉じてからの記憶はほとんど覚えてない。次の瞬間には朝になっていた。



「おやすみ」



 彼女はそう言ったような言ってないような。

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