第59話 月が見ていない暗闇の中で

「えぇ?マジで…」


 風呂から上がって部屋に戻ると中里さんは俺のベッドの上で寝そべりながら漫画を読んでいた。面白いのか、自然と口から声が漏れている。


「なんでくつろいでんだよ」


「これ面白いね。……あれ?4巻は?


「そっちの棚にある」


 そういって部屋の隅の方にあるカラーボックスを指差す。中里さんが持っている漫画は4巻からちょうど棚に入りきらなかったため、急いで買った方のカラーボックスに入っている。


「あっ…あったあった。よいしょっ」


「…えぇ……?」


 中里さんは俺のベッドでまるで自分のベッドかのように寝っ転がっている。うつ伏せで読んでいるが時々、横になったり、仰向けに体勢を変えながら読んでいる。


「んん?」



「ん!」



 彼女がわずかに声を上げたりするせいでそのたびに彼女の方を見てしまう。自分の部屋なのにどうしても落ち着かない。やることも無いので俺も何度も読んだはずの漫画を手に取って読む。部屋には静寂が流れている。





「えっ!?…これで終わり!?」


「びっくりした~…何?」


「まだ15巻無いの?」


「あ~15巻は……確か来月くらいに出ると思うけど…」


「うっそ~めっちゃ良いとこなのに~」


 中里さんは漫画が入っているカラーボックスの前に座り込んでボックス内を物色している。確かに中里さんが呼んでいる漫画は15巻がちょうどその章の一番盛り上がるところなので残念がる気持ちは分かる気もする。


「じゃあさ…」


「うわっ」


 さっきまで座っていた中里さんはいきなり立ち上がって、椅子に座っている俺に詰め寄って来た。


「15巻出たら、教えてね」


「う……うん」


「読みに来るから」


「自分で買うんじゃないのかよ」


 てっきり自分で買うのかと思いこんでいたが、彼女はうちに読みに来るつもりらしい。


「だって……どうせ集めるなら全巻集めたい派なんだもん」


「まぁ……気持ちは分かるけど」


「それに……ここに来れば無料で読めるし~」


 中里さんはそういってベッドに倒れこむ。その勢いのせいでベッドがギシッと音を立てる。いつも使っている俺の白いカバーの枕に顔を埋めている。


「……」


 数秒、中里さんは固まったまま動かない。


「はぁ~」


 顔を上げて寝ながらこちらを見る。口角をわずかに上げて微笑んだ。


「君のにおいがする」


「か……嗅ぐなよ」


 これ以上嗅がれないように枕を奪い取ろうと手を伸ばすが、逆に伸ばした腕を掴んれた。


「うわっ」


「あはは。近いよ」


 掴まれた腕を引っ張られたため、体勢を崩しかけた。何とかベッドに手をついて転びはしなかったが、そのせいで中里さんの顔がかなりの至近距離に来てしまった。


「ご……ごめん」


 そういって倒れた上半身を起こそうとするが……


「えっ……?」


「なんで逃げようとするの?」


 先ほど掴まれた左腕に加えていつの間にか右腕も掴まれていた。これでは上半身を起こすどころか力強く握られているため逃げれない。顔が熱を持っていく、おそらく顔が少しずつ赤くなっていくのを感じる。


「赤いよ?そんなに恥ずかしい?」


「フンッ」


「あっ…」


 無理やり腕を振りほどいて枕を取り上げる。何やら惜しそうにこちらの枕を見ている。


「返してよ~」


「いや、これ…俺のだし…」


「もう嗅いだりしないから……ねっ」


「はいっ」


 別に持っていてもいいが、漫画を読む邪魔になるため中里さんの方に枕を投げて返す。いや、返すっていう表現は正しいのか?


「やった~」


 中里さんはまるで抱き枕の要領でそれを抱きしめている。まぁ…抱き締めるだけなら良いかとそのまま視線を落として漫画の続きを読み進める。


「んん~ねぇ…」


「何すか」


「かまって」


「えぇ……」


 いきなりの無理難題だ。女子と付き合ったこともないし、女友達が多いというわけでもないのでそんなことを言われてもどう対応すればいいか分からない。


「漫画読めばいいじゃん」


「えぇ……だって、なんかラブコメばっかじゃん。私、さっきのダークファンタジー系のバトル漫画の方が良いんだけど」


 確かに俺の持っている漫画はややラブコメが多いかもしれない。俺が持っている漫画の中でバトル系の漫画はさっき彼女が読んでいたものくらいだ。


「そういうのあんまりないな」


「う~ん」


 中里さんは唸り声を上げながら立ち上がり、漫画の入ったカラーボックスを物色し始める。


「う~ん……『隣の席の留学生が誘惑してくる』、『幼馴染彼女』、『黒髪清楚系の美少女が実はサキュバス系女子でした』、『幼馴染をNTRたので逆にクラス一の美少女をNTR話』ナニコレ。AVのタイトル?」


「やめてください。漫画のタイトルを読み上げるのは……」


「ごめんごめん」


 そういいながら彼女は手に取っていた漫画を元の位置に戻していく。


「小説ならバトル系とかミステリー系とかあるけど……」


「小説は……いいや。読んでる間に寝ちゃうから」


「そうすっか」


 ワンチャン読んでくれるかもと思ったが予測通りだった。陽キャというかクラスのヒエラルキーでトップに立っているような人間は大体小説が苦手だ。去年一年を通して学んだことだ。


「ねぇ…こういう黒髪の女の子が多いけど、こういうのが好きなの?」


「いや……別に……特に好きってわけじゃないけど」


「あと、このヤンデレヒロインって言うのも多い気がするけど……」


「き……気のせいじゃない?」


「そう?」


 確かに俺の好みは黒髪の女の子だが、ヤンデレに関しては最近のトレンドなので多く感じるだけだろう。


「じゃあ……いいや。もう寝よう?」


「は?」


 中里さんはベッドに戻って再び横になった。そしてさっきより壁際に寄っていき、何故かベッドを軽くポンポンと叩いている。まるで横に来いと言わんばかりだ。


「何?」


「え……一緒に寝るんじゃないの?」


「いやいや、さすがにそれは……」


 当然、泊めてと言われたので彼女の寝る場所については考えていたがさすがに一緒に寝るという発想はなかった。


「俺はリビングか妹の部屋に布団敷いて寝るんで……」


「えぇ…いいじゃん。一緒に寝ようよ」


 彼女にとって異性と同じ部屋で寝るというのは大してハードルが高くないことなのだろうが、幼い頃に一緒に寝ていた妹ならまだしも学校の同級生と一緒に寝るというのはとんでもないことだ。


「いや~……」


「ふ~ん」


 俺が答えに困っていると、目の前にいる女子はいきなり立ち上がって部屋に扉の方に向かって行く。そして部屋がいきなり暗闇に包まれた。


「えぇ……電気付けてよ」


「真っ暗だね」


 今は夜なので外は当然暗闇、その上カーテンも閉め切っているため月明りも入ってこない。しかし、自分の部屋なので周りが見えなくてもスイッチの位置くらいなら分かる。しかし、これは部外者が居なければの話。


「うわっ」


 椅子から立ち上がって部屋の入口に向かおうとした瞬間、何者かに腕を引っ張られて真横に体が傾く。


「あっぶ……」


 暗闇で足元も見えないため転倒を防ぐために反射的に屈むような姿勢になる。手はおそらくベッドの上に置かれている。


「ほらっ……こっち」


「見えないって」


「じゃあ……」


 誰かの手が俺の腕を掴んだ。まるで導くように軽い力で引っ張ってくる。導かれるままベッドの上に体重を預けていく。


「分かる?」


 暗闇で何も見えなかったが、目の前に白い靄のようなものが現れた。それが中里さんの白い髪だと気づくのに数秒かかった。


「まぁ……何となく」


「良かった。じゃあ……これは?」


 俺の腕は彼女に導かれるまま暗闇を彷徨っている。今度は柔らかいものに触れた。ベッドの柔らかさとはまた違う……人の肌のような……


「んっ…ちょっと…動かさないでよ。エッチ」


 その瞬間に自分が触れている物に関して理解した。すぐに手を退かそうと、持ち上げようとしたが何かに捕まっているため上がらない。


「ちょっ……動かすなっていうか……押し付けてんじゃん」


「え~暗くて見えな~い」


「くっそ」


 暗闇の中では白い髪しか見えないので顔は見えないが、声が明らかにテンションが上がっている声なのでおそらくはふざけている。どうせヘラヘラと笑いながらやっている。


「お兄。ガタガタうるさいんだけど~」


「やばっ……ちょっ」


 妹の声と扉を開ける音が同時に聞こえ来た。危機を感じ足す瞬間にはすでに手遅れになっていた。妹が部屋のスイッチを付けると同時に部屋が明るくなる。


「え゛?」


驚き過ぎたのか、普段妹の口からきいたことのない音が漏れ出た。


「……千紗」


「……」


 一瞬の間を置いて。


「おかあさ~ん」


「千紗ぁぁぁ!」


 妹は扉を勢いよく閉めた。廊下の方から階段を勢いよく駆け下りる音が聞こえる。引き留めるために立ち上がろうとするが立てない。まだ掴まれたままだった。


「いい加減……」


 俺の腕を掴んでいる女子の顔を見る。顔は笑っていなかった。見たことのない表情をしていた。どう形容すればいいだろう。一番近いのは多分、羞恥と恍惚かな。簡単に言えば顔が赤くなっていた。


「見られちゃったね」


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