第57話 泊めて

「……中里さん」


「えっ……」


 辺りは暗くて見えずらいが、それでも目に見えて目立っている白髪。それに合わせて聞き覚えのある声。


「ん?誰だね君は?」


 いや、お前こそ誰だよ?


 一瞬だけ頭に浮かび言いかけた言葉を喉で止めて飲み込む。先ほど聞こえた会話からは具体的な関係性は見えてこない。彼氏?にしては年上すぎる。親子といった方が

信憑性は高いだろう。


「えっと…たまたま通りがかって…」


「なら、気にしないでくれ。ただこの娘を注意しているだけだ」


「だから、離してって!」


「騒ぐな」


 明らかに注意という状況ではないのは分かる。何といえばいいか分からない。この状況を解決するほど今の俺にはコミュ力は無い。


「えっと…その…とりあえず離しません?嫌がってますし?」


「なんだ君は?彼女と何か関係があるのか?」


「まぁ…一応、同じ学校なんで…」


「くっ…」


「なっ…」


 俺との会話に集中したためか手の掴む力が緩み、その隙に袖を掴まれていた中里さんは3歩ほど後ろ、壁際まで下がった。


「君には関係ないだろ。これは私と彼女の問題なのだから」


「まぁ…そうなんですけど…」


 確かに傍から見たら俺は年配のスーツ姿の男性と制服姿の女子の喧嘩に突っかかる関係のない男だ。周りに人はいないが…


 ていうか…これって…あれじゃね?パパ活?援助交際?


「力づくじゃなくて話し合いで解決とか?」


「君は私が誰だか、分かっているのか?」


「…いや、知らないっす」


 何だか最初から偉そうな態度だが、今の言動でこの人が普通の人より高い地位にいる人間だという事は分かった。しかし、そもそもこの人の事を見たことすらない。


「君たちの学校に電話することも出来るんだぞ」


「……みんな出来ますよ?」


「ぷっ…」


「ちっ…そういう事を言っているんじゃない!」


 俺は素で言ったつもりだが、何故か中里さんは少し噴き出した。そのためか目の前の中年男性の怒りのレベルは最高潮に達していた。遠くまで聞こえる怒号も一層強くなった。


「もういい、お前らの学校に電話してやる。名前を教えろ!」


「それは…ちょっと…」


「いいから教えないか!」


 目の前の男性はどんどん俺の方に近寄って来る。いきなり中年男に迫られるのは誰でも嫌だろう。俺も例外ではないので半歩下がって距離を取ろうとする。


「待ちなさい」


「うおっ」


 いきなり肩を掴まれた。力はそこまでないがなにぶん距離が近いため気分が悪い。


「ちょっと…離してくださいよ」


「これは指導だ。君たち問題児を教育する必要がある」


「意味わかんねぇよ」


「くっ…」


 肩を掴んでいる手の手首を掴んで無理やり引き剥がす。意外と力がないのか思い切り力を込めて動かすとすんなり離れた。


「くそっ…これは暴力だぞ!大問題だ。退学にしてやる」


「もういいよ」


「はっ?何を言って……ぐっ…うぅ…」


 目の前の男性に思い切り全力で金的をかました。かなりの至近距離まで接近されていたためすんなり決まった。相手の男性は股間を抑えて膝から崩れ落ちて悶絶している。


「こっちはもう三人殴って問題になってんだよ!今更一人追加されたところで変わんねぇよ!」


「ガキがぁ…」


「ていうか…学校に連絡されて困るのはあんたの方だろ?JCと何してたか知らないけど…」


「ぐっ…」


 股間からの痛みからか、それとも正論を言われたためか目の前の中年男性はぐうの音しか上げられないようだった。


「よし、逃げるぞ」


「えっ?」


 俺は悶絶しているおっさんの横を通って、壁際にいた中里さんの手を掴んで走り出す。おっさんは股間からの痛みが治まらないため倒れこんだままだ。





「ふぅ~、さすがにここなら大丈夫かな?」


「…はぁ…はぁ…はぁ…はぁ…」


「大丈夫?」


「ダイジョ…はぁ…はぁ…」


「あっ…落ち着いてからでいいよ」


 彼女の手を取って無理やり走って逃げて来たのはいいが、走ってきた距離が長かったのか中里さんは未だに肩で息をしている。


「…はぁ…はぁ、疲れないの?」


「まぁ…さっきこれの10倍くらい走って来たし…」


「嘘でしょ?…はぁ」


 中里さんはだいぶ落ち着いてきたようだ。額というか顔全体からは汗が滲んでいるが。


「中里さんって運動苦手?」


「いや…靴…ローファーだし、いきなりだったし」


「あっ、そっか」


 確かにこれでは確かに走りずらかっただろう。しかし、逆に考えるとこれで俺のペースについてきていたという事になる。


「でも…とりあえず……ありがとう」


「どういたしまして」


「……」


「……」


 状況が落ち着いてくるとお互いに気まずい雰囲気が漂う。この前、最悪な告白をされたばかりなのに今考えると彼女を助ける義理などは全然ないことに気付く。


「…なんか…飲み物持ってない?乾いちゃった…」


「あ~…ちょっとここで待ってて」


「う…うん」


 気まずい空気に耐え切れず、ちょうど離れるチャンスを得たので早口で彼女に告げて急いでコンビニがある方向に走る。




 中里さんはさっきまでいたその場所にそのまま座り込んでいた。


「はい…これ」


「あっ…ありがとう」


 俺はコンビニで買ってきた500mlのペットボトルを彼女に手渡す。それを受け取ると中里さんはキャップをねじ切る勢いで捻り、中身をゴクゴクと喉を鳴らしながら飲み始めた。


「はぁ~」


 中身を一気に半分ほど飲み、彼女は一息つく。彼女の飲みっぷりに感化されたのか、俺も喉の渇きを感じたためコンビニのビニール袋からパックのカフェオレを取り出してストローを刺す。


「ありがとう…今度何か奢るよ」


「いや…いいよ。どうせ学校でももう関わらないだろうし…」


「あっ……あ~…そうだね」


 彼女は本当に忘れていたのか急に態度が余所余所しくなった。さっきまで普通だったのに空気が少し冷たくなった。いや、元々気温は低いが…


 ぐぅぅ~


「ん?」


 隣から音が鳴った。人の声でも何かしらの機械音でもない腹の音だ。空腹時によく聞く腹の虫の音。


「あっ…ごめん。今日、まだ何も食べてなくて」


「えぇ?…」


 まだ晩飯を食べていないなら分かるが、一日何も食べていないという事はあるのだろうか。驚き過ぎて声が出た。


「ごめん、お腹なっちゃった…」


「これ…食べる?」


 ビニール袋から残っていたメロンパンを取り出した。袋の中身が無くなったため袋は異様に軽くなった。


「良いの?」


「うん…どうせ帰ったら晩飯あるし…」


「そうなんだ。……良いな」


「えっ?」


 彼女は一瞬ボソッと何かを呟いた気がしたが、小さい声だったのでうまく聞き取れなかった。隣に座っている彼女を見るが、彼女は何事もなかったようにパンの袋を開けていた。


「あのさ…さっきの人って…」


 聞くべきことではないことは分かっているが、好奇心が魔を刺してつい口を滑らした。


「あぁ~…まぁ…その…」


「やっぱ…いいよ」


 言葉に詰まる彼女の反応を見て、やはり聞くべきではなかったと思い話を切り上げようとした。


「ううん。ちゃんと話すよ。奢ってくれたし」


 中里さんはメロンパンを一口頬張りながら答える。暗い上に座り込んでしまっているので顔は良く見えない。


「…実はさ…しばらく家に帰ってないんだ…私」


「へぇ…家出ってやつ?」


「うん…まぁ…そんなとこ」


 言葉を濁していたが、大体の意味はあっているのだろう。彼女はそのまま話を続ける。


「それで…いろんな人の家に泊まらせてもらってたの…」


「……」


 今度は余計なことはしゃべらず彼女にそのまま話をさせる。


「泊まらせてくれるお礼におしゃべりしたり、ゲームしたりしてたんだけど…」


 時々、彼女は言葉を詰まらせているがそれでも彼女は話を続ける。チラッと隣で座りこんでいる中里さんの方を見るが、下を向いているため顔は見えない。


「でも…さっきの人はいろんなものをくれるから何度も泊めてもらってたの…そのせいで……お礼の内容もどんどん過激になっていって…」


「もういいよ。大体わかった」


 彼女の声に震えが出始めるのが分かった。今の話で大体の経緯も理解できた。彼女の持っているメロンパンも半分くらいになっている。


「家出なんてやめてちゃんと帰った方が良いよ。家まで送るからさ…」


「…だ」


「え?」


「…いやだ」


 さっきよりも深く項垂れている中里さんはしゃべっている時よりも強い口調で拒否している。


「いやいや…さっきひどい目にあったばっかじゃん。今日どこに泊まるんだよ」


 子供みたいに嫌だと拒絶する彼女の態度に少しイラついたため、俺も少し強い口調になってしまう。何か考えているのか少しの間の沈黙した後に口を開く。


「じゃあ…泊めてくれない?今日…」


「えっ?…」

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