第53話 怒ってる
「おはよう、藤原君」
「おはよう」
今日も中里さんは、他の人と同じように俺に挨拶をしてくれる。俺も軽く挨拶を返す。これがここ数日の間にできた習慣だ。
他の奴からしたら普通の事かもしれないが、俺のような陰キャにとって中里さんとこうやって挨拶できるのは特別なことなのだ。
「……」
「何ですか?」
中里さんは俺が挨拶を返しても、何故か俺の机の横から動こうとしない。若干、下を向きながら俺の方を見てくる。
「あのさ…良かったら。今日も一緒に帰らない?」
「え?」
「あっ…いや…別に変な意味とかじゃなくて」
俺が言葉の意味を理解するために数秒フリーズしている間に中里さんは説明を続けていた。
「……ほら、だんだん日も短くなってきてるでしょ…だから、暗いと女の子一人だと危ないし…ねっ」
「まぁ…俺で良ければ…」
「本当?ありがとう。じゃあ…グラウンドの近くで待ってるから」
それだけ言って中里さんは教室の前の方に行ってしまった。女子が話しているところに中里さんが入っていく。周りの女子と何やら話しているようだが、何を話しているのかは分からない。
「……」
授業開始のチャイムが鳴るまで、俺は心ここに在らずの状態で黒板を見つめていた。
「おはよう…陰キャ君!」
「……」
いつもの三人組のリーダー格の男がわざとらしく机の脚を蹴って来たが、俺は特に何も反応することはなかった。無反応の俺を見て、興が冷めたのかその男はどこかに行ってしまった。
「なぁ…おい!」
「うわっ…どうした田中…」
「どうしたじゃない。帰りのHRが終わってもずっと黒板見つめてるから心配して声かけてやったんだよ」
「悪い…ちょっと、朝からボーとしがちになってて…」
気が付くともう既に部活の時間になっている。このままいくと部活に遅れてしまう。
「やっべ…」
「部活だろ?早く行かないとやばいんじゃねぇの」
「そうだけど…田中は部活行かないのか?」
「…俺は…今、怪我で部活休んでんだよ」
「そうか」
田中は野球部に所属しているが、今は怪我をしているため休部中らしい。タイミング的にあいつらに殴られた後なので、そういう事なのだろうか?
「それって…あいつらに…」
「…ちげえよ。転んだだけだから…気にすんなよ」
「わかった。じゃあな」
「あぁ」
彼が押さえていた場所。決して転んだという行為ではつかないような場所だ。転んだ程度で部活を休んでいるという事自体おかしなことだ。
「……」
「あっ…先輩だ!」
「しっ」
背後から馬鹿みたいにデカい声で誰かがこちらに向かって声を掛けてくる。他の部員が準備運動をしている間に、何とか部室に向かって見つからないようにしていたのにそれをぶち壊してきた。
「何やってるんですか?」
急いで人差し指を口元に持ってくる。
「お前こそ何やってんだよ」
「私は教室に忘れ物を取りに行ってたんですけど…」
朝霞姉妹の妹の方は相も変わらず空気が読めない。そのせいで何回か空気が凍りかけたことがあった。
「もしかして、先輩も忘れ物したんですか?」
「あー、うん…忘れ物した」
「じゃあ…一緒に部室に行きましょう」
「あぁ…まぁ…うん」
何とかはぐらかして遅刻しかけたことを隠す。空気は読めない上にどことなく抜けているところもあるので特に疑問も持たないだろう。
「先輩、聞いてくださいよ…」
「何だ?」
「宿題、ちゃんとやったんですけど家に忘れたんです」
「それで?」
「ちゃんとやったのに先生に怒られたんですよ。何回目だーって」
「ちゃんとした先生で良かったな。呆れられて何も言われないよりマシだろ」
朝霞妹が何を言おうと特に興味は無いので適当に聞き流す。
「ちゃんとやったんですよ~」
「あっそ」
「はぁ…はぁ…」
身体中が酸素を欲して熱を持つ。体温が上昇して、汗が出てくる。何度も味わった感覚だ。
「藤原。練習時間を守らないと、顧問に怒られるぞ」
「うすっ」
一個上の先輩はタオルで汗を拭きながら俺に話しかけて来る。それに返事をしながら大きく呼吸をして、息を整える。周りを見るとみんな片付けを始めている。
「真、これ持ってくんない?」
「はいはい」
同級生に頼まれて重そうな器具を持ちに行く。10月初旬の夕方の空は暗くなるのが早い。すでに東側…いや、空全体が暗くなっている。
「陽が落ちるのが早くなっているから、気を付けて帰れよ」
「は~い」
夏休みが明けてから部活の時間がどんどん短くなっている。顧問はグラウンドの西側にある校舎の方に消えていった。片付けを終えて着替え終わった人から順番に帰っていく。
「お疲れ様でした」
「あれ…真。最近、自転車使って無くね」
「あぁ…ちょっと、今修理してて…」
「そうか、じゃっ。また明日」
「じゃあな」
別れの挨拶をして、俺は校舎の方に向かう。いつも彼女は校舎の正面玄関のすぐ横にいる。
「はぁ…」
何やら彼女は誰かと話している。それ自体は何の問題も無い。ただ待てば良いだけの事なのだから。
「よりにもよってか…」
話している相手というのが問題だ。いつも見たくなくても視界に無理やり入ってくるクソみたいな奴。妙に距離も近い…
「何してるんですか先輩?」
「!?…しっ。静かにしろ」
「うわっ?」
どこまで行ってもこいつは空気が読めない、頭が残念な女だ。背後に音もなく立っていたそいつの頭を掴んで無理やり建物の影に隠れる。
「何するんですか、先輩」
「黙れ。ほんっとにお前は…」
「あっ…もしかして、あの人ですか?先輩の好きな人とか?」
無自覚というのは時として人を傷つける。いや、傷つけるというよりイラつかせると言った方が良いだろう。これはもはや才能だろう。
「何で隠すんですか?教えてくださいよ」
「いやだ。絶対に言いふらす」
「ってことは、やっぱり~」
「もういい。帰る」
「え?帰っちゃうですか?」
向こうの二人からは見えない角度で校門に向かう。こいつもさすがに察したのか黙って俺に付いてくる。まるで犬だ。
「待ってくださいよ。先輩」
「……」
「もしかして怒らせちゃいました?そうなら謝りますから…」
「…そういう問題じゃない」
「じゃあ…なんで…」
少しだけ駆け足になりながら校門を通り過ぎる。生徒のほとんどはもう既に下校をしているのでほとんどいない。
「先輩」
「お前の家はあっちだろ」
「…だってぇ、先輩なんか怒ってるですもん」
「怒ってない」
「怒ってる」
「怒ってないって…」
「怒ってるじゃないですか」
「怒ってないって言ってん…」
言葉が止まる。イラつきが最高潮に達し、感情の高ぶりのままに口から出てきそうになった言葉すら飲み込んでしまうほどに…
「……中里さん」
「…藤原君」
「……あ~…先輩、ごめんなさい」
朝霞妹はまるで尻尾を捲って逃げるかのように来た道を反対方向に走って行ってしまった。そのまま中里さんの横を通りすぎて彼女が見えなくなるまで、俺は目線を落としているしか出来なかった。
「えっと…さっきの娘は…後輩?」
「あぁ」
「ひどいな~あたし、ずっと待ってたのに…」
「あぁ」
「もしかして、忘れてた?」
「あぁ」
「……なんか怒ってる?」
「…あぁ…いや、別に…」
彼女の顔をまともに見れずに足元を見ながらボーっとしていた頭を切り替えて顔を上げようとするが、どうしても彼女の顔を見ることが出来ない。
「さっき話をしてたのって…あいつだよね」
「…話?」
偶然だったが、彼女と奴が会話をしている内容を軽く聞いてしまった。
「俺の事を…いじめてたのって君だったんだね」
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