第45話 寒い部屋

「それでさぁ…」


 これまでにあったこと、スポーツ大会でサッカーをした事、テストで前日の深夜までゲームをやってテストの結果が散々だった友達の事、久しぶりに中学校に行ったこと、いろんなことを彼女に話した。


「もういいよ」


「え?」


「楽しそうに話してるけど…私、そんなこと聞かされても辛いだけなんだよ。こんな身体なんだから…」


 病床に寝ながら上半身だけを起こして窓の方を向いているため、表情は見えない。しかし声色だけで心情を察する。


「ごめん」


「謝らないでよ。私が悪いみたいじゃん」


「……ごめん」


「だから!」


 目の前の彼女は声を荒げる。か細い手でベッドのシーツをギュっと握りしめているのが分かる。


「はぁ…もういいや。今日は帰ってよ」


「分かった」


 病室にある小さな椅子から立ち上がって荷物に手を伸ばす。彼女の顔は未だに見えない。


「なんで普通に帰ろうとしてんの?なんかないわけ?」


「……ごめ…いや…」


 彼女のベッドに近づいていく。歩数は一歩にも満たない距離だが、この一歩は何よりも重かった。何が正解なのか、彼女に近づいても良いのだろうかいろいろ考えたが頭から結論が出るより先に足が動いていた。


「……」


「何?」


「…なんか」


「え?」


「なんかをしてる」


 ベッドのシーツを握ってる彼女の手にそっと触れて、覆うように握る。彼女の手はかなりひんやりとしている。


「はぁ……ズルい。いっつも屁理屈ばっかり…」


「うん」


「構ってほしい時に構ってくれないし…」


「そうだね」


「そのくせ自分の好きなこととかになると饒舌に話すし…」


「確かに」


「でも…嫌いになれない」


「俺も」


 彼女の言葉に合わせながら答えていく。シーツを握っている手はだんだん力が緩んできている。


「ねぇ…」


「何?」


 しばらく無言の時間が続いたが、美香がその静寂を破って話始めた。


「ちょっと前に話したこと…覚えてる?」


「覚えてるよ」


 二人で出かけたあの日の帰り道、彼女から聞かされた言葉はまだ覚えている。彼女が何をしたいのか。その内容を聞かされた。


「あれの予定、もうちょっと早めようと思ってる」


「……そっか、分かった」


「ごめんね。めんどくさいでしょ?こんなやつ」


 いまだにこっちに顔を向けてくれない。俺から見えるのは白い髪と後頭部だけだ。でも髪の間から覗いている耳の先は少し赤くなっているような気がする。


「謝るなよ」


「ごめん…あっ」


「…癖になってるじゃん」


「フフ…もう癖だからね。小さい頃からの」


 美香は笑っているがこちらとしては笑えない冗談だ。あんまり冗談でも言わないでほしい。


「……」


「……」


 再び病室に沈黙が漂い始める。部屋の外からこれでもかと思うくらいの太陽光が差し込んでいる。外はかなり気温が高かった。


「ていうか…部屋、寒くない?」


「そう?…そうかも、お母さんも言ってた」


「お母さん元気?」


「うん」


 数回ほどしか会ったことのない美香の母親の事を聞いてみる。静かな雰囲気の大人しそうな女性だったはず。しかし、娘の事はかなり大事に思っているという事は言動などから伝わって来た。


「最近やっと…一息付けたって言ってた」


「いろいろ大変そうだったもんな。手続きとか…」


「うん」


 美香が入院を始めた辺りから親戚関係でいろいろあったと聞かされていた。しかし、最近やっとそれが片付いたらしい。


「最近、全然運動とか…歩くことすらしてないから寒さとか暑さとか分かんない」


「そういえば…外出の件って…」


「それの事なんだけど……聞いてくれる?」


 唐突に話が切り替わってやっと美香はこちらを見てくれた。白い前髪覆われた目元の隙間からは微かに赤くなっている瞼が見えた。


「どうしたの?」


「今度もう一回外出できるはずだったんだけど…」


「うん」


「体に少し怪しい部分があるからダメって言われちゃった」


「…悪化してるってこと?」


 彼女の言葉には濁されている部分がいくつかある。これは俺に心配をかけさせないためか、それとも彼女自身がその事実を認めたくないからなのか。


「うん…多分」


「そっか」


「なんかそれを聞かされて不安になっちゃって…それで君を…」


「そっか」


「迷惑だった?」


 今にも泣きそうな目でこちらを見てくる。多分俺がここに来る前まで泣いていたのだろう。なんとなくそう感じる。


「まだ…俺、頼ってもらえてるんだね」


「私…この世界で頼ってるの真君だけだよ」


「お母さんは?」


「お母さんも信用はしてるけど…あんま頼りにはならないし…」


 彼女が育った環境を想像すればその感想も妥当なのだろうか…


「そっか…」


「うん。せっかく出かける予定まで考えてたのに…」


「下の売店って、何売ってるの?」


「え?」


 いきなり話が変わり、今度は美香が不思議そうな顔をしている。


「少しでも運動した方が良いよ。ほら、下まで歩こうよ」


「えぇ…めんどくさい」


「ほら、手も繋いであげるから」


 そういって握っている手を無理やり振ってベッドから降ろそうとする。美香は手を振る反動でグラグラ横に揺れている。


「はぁ…分かった。行くから…」


「ほら、立っておばあちゃん」


「殺すよ?」


 さっきまで泣きそうな顔をしていたのにいきなり真顔になってこちらを見てくる。瞳は真っ黒に染まっている。


「それも言われたな」


「?」


 スポーツ大会中に吉田に散々殺すだの潰すだの言われたが…そういえばあいつどうなったんだ?スポーツ大会が終わった後、一度も吉田に会っていないので良く分からない。


「歩ける?」


「馬鹿にしないで」


 頑張って立とうとしているのが明らかだ、足も少し震えている。足元に集中しているためか俺の服の袖を掴んで離さない。


「ほらっ…」


「……っ」

 

「これで立てるだろ?」


「…うん」


 美香と腕を組んで二人で病室の入口に向かう。まだ少し足元はおぼつかないがそれでもゆっくりとしかし着実に歩けるようになっている。


 ドアの前まで来てドアをスライドさせようとした時、俺よりわずかに先にドアが動いた。


「…え?」


 ドアを開けたのは黒髪赤眼の女の子だった。


「…月?」

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