第34話 向けられる殺意は誰のもの?

 ズキズキと左の掌に痛みが走っている。カッターの刃が掌の変なところに当たったからなのか、左の人差し指と中指が若干痙攣している。


「ん…美味しい」


「はぁ…人の手をいきなり刺して、唾液まみれにして最初に言うセリフがそれかよ」


「怒ってるの?」


「怒ってない…ただ、もうちょっと他にやり方があっただろって…」


 ていうか…なんで体育の授業中の出来事を別クラスのこいつが知ってんだよ。こっちが授業中だったってことは月のクラスも当然、授業中だったはず…


「浮気しても何の罰もなかったら、もっと浮気しちゃうでしょ。だから体に刻んであげないと…」


「それでに実際に物理で体に刻む奴がどこにいんだよ?」


「はい、ここに」


「そうだったな」


 いたよ、ここに。実際に人の手に刃物突き刺してくる奴がいました。そのうえ、人の血を勝手に飲むような女が。


「まぁ…良いじゃん、すぐ治るんだから」


 掌にパックリと開いていたはずの傷はもうすでにふさがりかけている。血も完全に止まり、赤くなって血が出ていたはずの部分は肌色に戻りかけている。


「そういう問題じゃないだろ」


「何?だって…君が悪いんだよ?君が他の女と触れ合わなければ私もこんなことしないのに…君が…」


「え…はぁ?」


 いきなり泣き始めてしまった。目元もはっきり見えていて小粒だが涙も見えるので嘘泣きではないことは分かる。


「な…なんで、急に…」


「私…まだ…君と手もつないだことないのに…あんな…あんな女に…」


「えぇ…」


 あれが別に俺が繋ごうと思って繋いだわけじゃないし、どう転んでもあの状況では回避のしようがないだろ。


「う…ぐすっ…」


「はぁ…ほら…」


 手を繋ぐくらいでそこまで泣くことないとは思うが、このままでは泣き止んでくれなさそうなので手を差し出す。


「やだ…左はやだ。他の女と繋いだ後なんて嫌だ」


「たくっ…こっちならいい?」


 反対の手を差し出す。傷のついていない右の手を。


「んっ」


「はいはい」


 月が手を出してくる。目元は俯いていて確認できないが泣き止んではくれたと思う。まだ少し鼻声な気もするが。


「これで良い?満足した?」


「まだ…もうちょっとギュって強く握って」


「我儘だな」


「うるさい」


 右手に少し力を込めて月の手を強めに握る。強く握ったことで必然的に肌が触れ合う面積が多くなる。少し手汗をかいているかもしれない。


「もういい?」


「……」


 月は無言で握っている手の指を絡めてきた。まるでカップルがするような恋人繋ぎと同じようになってしまう。


「ねぇ…このまま、いつもの…しちゃおっか?」


「正直、それが本来の目的じゃないのか?」


「そんなのことないよ。何のためにカッター持って来たと思ってるの?」


「お前なら常時持っててもおかしくないからな」


「むぅ~……私そんな怖い人じゃないよ」


 どの口が言ってんだ。人をベッドに拘束したり、首にいきなり噛みついてきたり、左手をカッターで刺してきたやつが怖い人じゃない?そんなこと言ったら世の中優しい人でいっぱいだな。


「ほら、ちょっと屈んで」


「はいはい、ていうか…するならもうちょっと見えない位置にしてくんないかな」


「何で?」


「昨日、傷跡が残ったままで、妹に見られたから」


 昨日は何故か一緒に帰っている途中いや、家の前に着いてから思い出したかのように吸血されたので跡が残っていた。


「へぇ~…いいじゃん。君と私の愛の証拠なんだから」


「普通なら速攻で治るのになんでかお前の傷だけは治りが遅いんだよ」


「それは吸血鬼の唾液のせいだよ」


「は?」


 予想外の返答に一瞬戸惑う。


「何それ?」


「蚊って知ってる?」


 またもやいきなり予想外の言葉だ。か…虫の蚊か?それとも何か別のものの事を言っているのか。


「蚊ってあの…虫の蚊か?血を吸う…」


「そう、蚊に刺されるとその部分がかゆくなるじゃん?」


「あぁ、そうだな」


「あれって蚊の唾液のせいなんだって。蚊の唾液には血が固まらないようにする成分とか、刺した時に痛みを感じない成分が含まれてるんだよ。その唾液がアレルギー反応を起こしてかゆくなるんだって」


 何故かここで無駄に詳しい蚊に関する知識が披露された。案外知らなかった知識だが、それを知ったところで何に生かせるのだろうか。


「へぇ~……それで?実は私、吸血鬼じゃなくて蚊人間でしたってこと?」


「違うに決まってるでしょ。吸血鬼の唾液にも似たような成分があるの」


「あ~だから治りが遅くなるのか」


「そう、一時的なものだからずっと効くわけじゃないけど」


 まさか、そんな効果があるなんて知らなかった。いや、そもそも吸血鬼なんてこいつ以外に見たことも会ったこともないので知らないのも当然なのだが。


「じゃっ…説明終わり、いただきます」


 俺が答える間もなく月が首に噛みついてくる。いつもより低い鎖骨に近い位置に噛みついてくる。一応俺の要望は聞き入れてくれたみたいだ。それでもかなり見えやすいとは思うが、まぁ…許容範囲だろう。


「んっ…あぁ…」


「黙って吸えよ。周りに人いたらどうすんだよ?」


 何故か月は血を吸う度に喘ぎ声なのか嬌声なのかよくわからない声を出す。周りに人がいたら変なことをしていると思われるだろう。実際変なことなのだが。


「そっちの方が興奮する?」


「いや…萎える」


「安心して、ここにはほとんど人なんて来ないから」


「万が一があるだろ」


「私は別に見られても構わないけど。むしろ、君と私の関係をみんなに見せびらかせるじゃ」


「俺は嫌だよ。こんなことしてるって周りに知られるの」






 いつもの日課?のようなものが終わり教室へと戻っていく。俺たちがいた廊下の踊り場は人の気配なんて微塵もなかったが階が変わり廊下に出た瞬間、人と良くすれ違う。


「じゃあ…また放課後」


「あっ…いや、今日は俺、部活休むんだ」


「なんで?浮気?」


「違う。…妹の事迎えに行かないといけないの」


「妹さんって中学生でしょ?なんで真が?」


「まぁ…いろいろ事情があんだよ」


 さすがに妹がストーカーの被害にあってるかもしれないなんてことは家庭の事情過ぎて話せない。


「じゃあ…私も部活休んじゃおうかな。君の居ない部活に価値ないし」


「いやいや、せっかく入ったんだからちゃんと部活やろうぜ」


 そんなこと言っている俺自身も部活に入った理由自体は適当なのだが、別に部活が嫌いという訳じゃない。むしろ、かなり過ごしやすい部活だとは思う。


「分かってるよ。冗談だって」


「じゃあな」


「バイバイ」


 そういって月は自分の教室に帰っていった。俺も昼飯を食べるために自分の席に向かう。





「くっ……そ…が…」


 まるで親の仇を見るような目で睨んでいる。それはイラつきや怒っているというレベルではない。憎悪と憤怒の表情で吉田は藤原真の事を睨んでいる。


「あいつが……あいつさえ…いなければ」


 吉田 海翔 高校一年生 血原 月に振られた男





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