第32話 上原君はストーカー
「ただいま」
「おかえり」
玄関を通ってリビングに行くと母さんがテレビを見ながら洗濯物を畳んでいた。
「お米炊けるまでちょっと待ってて」
「うん…ていうか、お母さん。お兄、帰ってくるの早くない?」
玄関にはお兄の靴があった。私は徒歩で通えるくらいの距離にある中学校に通っているが、お兄は4駅ほど電車で移動しなければならないのでいつも帰りは私のほうが早いはずなのに、今日は何故かお兄が先に帰ってきていた。
「あぁ…お兄ちゃんね、今日テストで帰りが速かったらしいよ」
「ふぅ~ん、そうなんだ」
お母さんの説明を受けて納得した。中学では中間テストなどが終わってもその後授業をするが、高校ではテストが終わったらその後は帰れるらしい。
荷物を持ったままリビングを出て階段を上っていく。二階の廊下は暗かったが電気をつけるのも面倒くさいので暗いまま自分の部屋に向かう。
「お兄…」
お兄の部屋からは電気が漏れている。一旦自分の部屋に行き、荷物をすべて置いてからも一度廊下に出てお兄の部屋の前に立つ。少し恥ずかしい気もするが何とか勇気を出して扉のドアノブに手を掛ける。
「ねぇ…お兄、話があるんだけど」
「…あっ…お帰り。何?」
お兄はワイヤレスイヤホンを耳に付けながら、ベッドの上で漫画を読んでいた。服は制服のままだ。耳に付いているイヤホンを外して聞き直してくる。
「お兄…話があるんだけど」
「え?…あぁ、何?」
ベッドで寝転がっているお兄に話をしようとしたが、ふと気になるものが目に入った。
「ねぇ…どうしたの?それ」
「ん?それってどれ?」
「その…首の傷?なんかの跡?虫刺されみたいになってるけど…」
横になっているお兄の首の鎖骨に近い部分に赤い虫刺されのような跡を二つ見つける。今までお兄の体に虫刺されや怪我などは見たことがない。いつもすぐ治ってしまうため見ることもない。
「首?……っ!?」
急にお兄の顔が赤くなったような気がする。いや…赤くなっている。こんな顔は見たことがない。私の知らない顔だ。首の傷のようなものを手で押さえている。
「え…と…何でもない。多分、虫に刺されたんじゃない」
「いやでも…いつもならすぐ治るじゃん」
「多分跡が残りやすい虫に刺されたんだよ」
「何それ」
明らかに取り乱している。何かを隠そうとしているのがバレバレだ。しかし、なぜ傷を見られて恥ずかしがるのだろうか…強がり?いや…お兄はそういうタイプではない。
「まぁ…いいや」
多分というか絶対聞いても答えてくれなさそうなのでとりあえず最初にしたかった質問をお兄に投げかける。
「ねぇ…お兄、明日って暇?」
「ん?まぁ…」
「……その…明日学校まで迎えに来てくれない?」
「えっ?何で?」
お兄は何がなんだか分からないという表情をしている。
「えっと…最近、不審者がいる気がして」
「うぇっ?母さんと父さんには言ったの?」
「うん、相談した。でも、警察に行っても取り合ってもらえないんじゃないかってお父さんが言ってて…」
お兄は心配そうな顔をしている。お兄が自分の事を真剣に心配してくれていると思うと少しだけうれしい気もする。
「それで…家まで一緒に帰れば良いっていうわけね」
「…うん」
「了解。明日、授業が終わったら中学校まで行くから待ってろ」
「うん、ありがとう」
話は終わったのでお兄の部屋から出ようと思いドアノブに手を掛けるが一つだけ疑問が残っていたことを思い出す。
「そういえば……お兄って…何部に入ったの?」
「え…文芸部だけど…」
あっさりと躊躇うこともなく答えた。あまりにもあっさり答えるので一瞬脳が停止しかけたが何とか持ち直す。
「え?なんで…陸上部は?あんなに…」
「いや、なんていうか…飽きたっていうか…疲れたっていうか…」
「そんな…自分勝手な……」
「いや…言ってなかったのはごめんだけど、そんなに怒ることないでしょ」
まるで他人事のように淡白な態度にちょっとずつ怒りが湧き上がってくる。お兄は話が終わったかのように漫画の方に視線を向ける。続きが読みたくて仕方ないのか?
「お兄さ…なんで私が陸上部に入ったか知ってる?」
「お前が自分でやりたいって言ってたじゃん」
「そうじゃなくて…やりたいと思ったきっかけだよ」
「え…さぁ?」
「くっ…」
私の事など気にもしていない態度に苛立ちを覚える。今までお兄と喧嘩したことは数えるほどしかない。小さい頃におもちゃの取り合いをしたり、テレビのリモコンの取り合いをしたりしたくらいだ。
「もういい…」
そっと、お兄の部屋の扉を閉めて廊下から自室に戻っていく。電気も付けずに暗い部屋に入り、ベッドに倒れて枕に顔を埋める。
「……」
少し強く言い過ぎたかな?うざいやつだとか思われてないかな?でも…あんなあっさり言うことないと思う。陸上は私とお兄を繋ぐ数少ないものだったのに…
「私の事なんか…考えてない…」
あぁ…ダメだ。こうやって静かなところでじっとしてると要らないことまで考えてしまう。
「ん?あれ…千紗?どこに行くの?」
「ちょっと走ってくる」
「もうご飯出来るよ」
「すぐ帰ってくる」
お母さんは怪訝な顔をしていたが、気にせずに走りやすい服に着替えてから家を飛び出す。いつも自主練をしている道を何も考えずにただ走っていく。駆け抜ける風と地面からの感触が思考を吹き飛ばしてくれる。
「はぁ…はぁ…やっぱり走ってる姿が一番美しいな…千紗ちゃんは」
藤原宅のからは見えない位置にある電柱の影にある男がうずくまりながら、息を荒げている。家の死角になる位置を事前に調べていたおかげでこんなに近くで千紗ちゃんを感じることが出来る。
「あの…大丈夫ですか。そんなとこにうずくまって…どこか痛いんですか?」
スーツ姿の男性はが後ろから話しかけて来た。少し小太りの4,50代ほどの男性が立っている。
「あっ…いえ、お気になさらず。落とし物を拾っていただけですので」
「そうですか」
「はい、お気遣いありがとうございます」
スーツ姿の男性はそのまま道を進んでいった。僕もこれ以上怪しまれないようにその場を離れる。近所に不審者として怪しまれてしまうと、今後の活動に支障が出てくる。
「ただいま~」
「おかえり、お父さん」
スーツ姿の男性は藤原家の玄関から入り、リビングに居る妻に向かって言葉をかける。
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