第2話 誰にも言えない秘密

「ご馳走様…」


 赤い瞳を持った彼女は微笑んでいた。窓から差し込む日はさっきよりも薄くなっている気がした。


「これであなたは私の眷属…」


「え……」


 聞きなじみのない単語に戸惑いの声が口から漏れる。彼女はより一層口角を上げて俺に告げた。


「さぁ…私の事を好きって言って…付き合いたいって…」


 頭がぼんやりとしてくる。瞼も少しずつ重くなっているのを感じる。それでも意識はハッキリとしている。


「いやいや…いきなり首に嚙みついてきて言う言葉じゃないだろ」


「…な……なんで…」


 彼女の笑顔は消え失せ、驚きと困惑の表情に変わった。


「痛った」


 首の傷を抑える。そこまで出血はしていない。瞬時に傷がふさがり、痛みもすぐに引いていく。


 彼女は固まったまま口を開けている。


「なんではこっちのセリフだよ」


「血を吸ったのに…」


「吸血鬼の末裔だがなんだか知らないけど…」


「くっ…」


 俺が言い終わる前に彼女はもう一度手を首元に伸ばしてくる。さっきと同じ動きで顔を近づけてくる。


「ちょ…」


 彼女の手を躱そうと上体を反らす。しかし彼女は止まらずそのまま押し倒される形で俺は倒れた。体が床に激突する。衝撃が背中に伝わってくると同時に痛みが襲ってきた。


 倒れる瞬間に目を瞑ってしまった……目を開けると同時に彼女は俺の顔を両手でつかんでいた。顔がどんどん接近してくる。


「おい…せめてちゃんと話を……!?」


 また同じような位置に噛みついてきた…さっきよりも数段鋭い痛みが走る。彼女はさっきよりも勢いよく首筋に吸い付いてきた。


「だ…だから…」


 重なった体を退けようと彼女の肩を掴むが、力が異常に強すぎて引きはがせない。


「離れろって!」


 思いっきり力を込めて何とか彼女の体を引きはがす。彼女は依然、俺に馬乗りをしている状態だ。俺は手を体の後ろについて上体だけを起こす。


「なんで…なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?」


「落ち着けよ…」


 再びついた傷も数秒でふさがった。こちらにも疑問は数え切れないくらいあったが取り合ず、何とかして彼女をなだめる。


 彼女は虚ろな顔をしていた。彼女が想定していた事態と現実が違うことだけは分かった。


「えっと…るなさんだっけ?」


「さんはつけないで、月って呼んで…」


「え?」


 何とか落ち着いたと思ったら今度は拗ねた子供みたいな顔をして睨んでいた。顔も若干赤くなっているように見える。


「なんで?吸血すればどんな人でも眷属にできるはずなのに……」 


「とりあえず…質問してもいいかな?」


「なんですか?」


 俺たちは至近距離で向かい合いながら会話を始めた。


「なんで噛みついてきたの?」


「あなたの血を吸って眷属するため…」


 さも当たり前のことのように話してくる。彼女の手はまだ俺の肩を掴んで離さない。


「なんで眷属にしたいの?」


「あなたとお付き合いするため…」


「……」


 言葉が出てこないとはまさにこのことだと思い知った。


「俺はまだ付き合うとは言ってないんだけど」


「私の何が不満なの?」


 確かに外見だけ見れば彼女に不満を漏らす男などいないだろう。そう言えるほど彼女は妖艶で美しい。しかし…


「だから…俺、君の事もよく知らないし…」


「そんなこと言うなら…あなたが不死身だってこと、クラスのみんなにバラすよ…」


「俺だって君が吸血鬼だってことみんなに言うよ…」


「あっ……そ、それは……」


 そんなこと想定していなかったのか、驚いた顔を浮かべた。急にオドオドされると困惑してしまう。


「なんでそんなに付き合いたいの?俺みたいなやつと…」


 自分の事は自分がよく知っている。俺という人間?にそこまで好きになる要素はないと思っている。


「そんなの…大好きだからに決まってるでしょ」


 またもや、当然のことのように答えた。顔はまだ向き合ったままだ。


「だからって…いきなり付き合うのは……せめて友達からとか…」


「そんな悠長なことしてたら…他のメスに盗られちゃうかもしれないじゃない」


「いや…そんなことないだろ」


 若干呆れ気味に返事をする。


「とりあえず…付き合うかどうかは置いておいて、まずは友達からだろ」


「…分かった、でも…もう一回だけ血を吸わせて…」


 彼女の顔はさっきより一層赤く染まっていた。その顔は恥じらいというよりも恍惚に近いと思った。その切り替えの速さと顔がどことなく不気味に見えたのは気のせいだろうか?


「ちょっ…待って…」


「嫌だ…そんなこと言わないで…」


 掴まれていた肩の手に力が入るのが分かった。そのまま顔を近づけてくる。俺は腕を体の後ろにおいて体を支えていたので、反応が遅れる。



「……何してるですか、あなた達…」


 






「はぁ~、もう暗くなってんじゃん…」


 校舎を出た時、空はすでに暗くなっていた。夕日は西の方にわずかに見える。あの状態で教師に見つかり、いろいろと説教を受けていたらいつの間にか18時を回っていた。


 荷物を持ち直して歩き出そうとする。


「待って」


 急に後ろに引っ張られ、バランスを崩しかける。何とか踏ん張り、声の主に体を向ける。


「なんだよ…」


「こんなに暗いのに女の子を一人で歩かせるんですか?」


「いや…元はといえば…お前が…」


 いつの間にか呼び方が「君」から「お前」にランクダウンしたが、それでも彼女は話を続ける。彼女の話し方もいつの間にか敬語に戻っている。


「せめて…駅まで一緒に歩いてくれますよね」


「はぁ、いいよ」


 今日はいろいろありすぎてもう思考回路を使いたくないので、適当に返事をする。


「やった」


 そういうと彼女は俺の腕に自分の腕を絡ませてきた。周りから見れば完全にカップルがやるような感じだ。


「おいっ」


 いくら遅い時間だとは言え、周りにはちらほら生徒がいる。もうすぐ部活終わりの生徒も帰り始める時間だろう。そんなときにこんな格好はまずい。


「何ですか?友達なんだからこれくらい当たり前ですよね」


「いや…絶対違うだろ」


 もし知っている人に見られれば、変な噂が立ちかねない。入学早々変な噂で他人に変な奴だと思われたくない。


「一緒に帰るのはいいけど、くっつくのはなし。くっつくなら一緒には帰らない」


「……分かりました」


 そういうと納得したのか、彼女は手を離した。それでも体同士の距離が近い。あと数cmで触れられる位置に立っている。


 黙って歩き始めた。彼女は同じように黙って俺の横に並んで歩き出した。


 校門を出て、駅に向かって歩いている。最初に俺が質問をするために話を切り出した。


「吸血鬼って陽に当たっても大丈夫なの?」


 率直な疑問を彼女にぶつける。


「そんなに私の事を知りたいんですか?うれしいです…」


「そういうわけじゃない…単に気になっただけ」


 吸血鬼は昔から日光に当たれないというのが定番だが、彼女もそうなのか?


「小さいころは陽に当たると肌がヒリヒリしたけど、今はもう慣れました」


「そういうもんか」


 学校に来ているので日差しがダメということはないと想定していたので大して驚きもない。


「何ですかその反応……というよりどうして吸血鬼に驚かないんですか?」


「俺みたいな奴がいるんだから吸血鬼がいても驚かないよ」


「ふ~ん」


 何か含みのある感じだが、気にせず歩いていく。ふと空を見る。すっかり夕色は消えて暗い夜空だけが広がっていた。


「……」


「……」


 お互いに会話はない。沈黙したままただ歩いている。そろそろ駅が見えてくると思っていた時、彼女…そろそろ名前で呼ぶか、月が口を開いた。


「真君って部活とか入る予定あるんですか?」


「君付けはやめてくれ。真でいい」


「じゃあ…真……なんだかカップルみたい…」


「部活には特に入る予定はないけど…なんで?」


 あほらしい独り言を無視して会話を続けていく。月は気にも留めず返事をする。


「真と同じ部活に入ろうと思ってるので…」


「よしてくれ。部活まで一緒だとさすがにキツイ」


 もう既に数時間会話するだけでもかなり疲れるのに、部活まで一緒はさすがに笑えない。


「何でですか?私は常に一緒にいたいんです」


「いや…うん…」


 駅が見えて来た。大きく須佐野すさの駅という文字が見えてくる。ここまで来ると我が校の生徒の他に会社員、家族連れ、他の中高生などが多くなってくる。


「真は何駅でおりるんですか?」


「最寄りは永谷駅だけど…」


「えっ…私と同じ…」


 彼女の最寄り駅は俺と同じだった。いつも利用している駅で見かけたことはなかったが、そんなの人はいくらでもいる。


「これからも一緒に帰れますね」


 彼女はそういって微笑んでいた。俺はこれから下校の時間をこいつと一緒に過ごさなければならないという事実に若干の絶望を感じた。


「……はぁ」


 この日が俺と彼女の秘密の始まりだった。




 





 


 



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