変身した姉と戸惑う弟

居心地が悪かった。


先日から、姉の様子がおかしい。


髪型は、黒いロングヘア(どうやらウィッグのようだ)のまま。

ここのところ、ずっと清楚な柄のワンピースを着ている。

以前は、髑髏どくろマークのショートパンツしか履かなかったのに……

さらに、薄化粧も欠かさない。


態度も変だ。


言葉遣いが、やたら丁寧になった。

桃介を呼ぶ時も、アンタではなくだ。

不必要に体を密着する事も無くなった。

あれ以来、弟の部屋には一度も侵入していない。

交わす会話も、「おはよう」とか「おやすみ」といった挨拶のみ。

かと言って、別に怒ってる風でも無い。

顔を合わすと、決まってニッコリ微笑んでくるからだ。


理想的と言えば、理想的な姉弟の姿だった。

桃介が夢にまで見た日常が、ついに実現したのだ。


が……しかし……


居心地が悪かった。


なぜと聞かれても説明できない。


あれほど嫌っていたも無くなったというのに、ちっとも嬉しく無かった。

い、いや、別に◯ッパイが好きな訳では無いので、誤解しないように!


ただ……


なんだろう?


何かが、胸の中でモヤモヤする。


寂しさ?……不安……?


違うな。


そうじゃなくて、もっと胸が締め付けられような……


そう……どちらかと言うと……



トントン



誰かが


「あ……はい」


返答する僕の体に緊張が走る。

呪理がノックするとは思えない。

何度注意しても、聞いたためしが無いからだ。

だが、今家には彼女と自分しかいない。

という事は、やっぱり……


「……はい」


僕の返答を受け、僅かにドアが開く。


「ちょっと、買い物に行ってきます」


戸の隙間から、呪理の声が聴こえた。

咄嗟に、身構えるが……一向に入って来る気配は無い。


やはりおかしい……


おかし過ぎる!


僕の返事を待たず、再びドアが閉まりかける。


「あっ!ちょ……ちょっと、待って」


このままでは、ダメだ!


僕の中で誰かが叫んだ。


「あの……聴きたい事があるんだけど……」


「はい。何かしら?」


ドアの隙間から答える呪理。


「呪理ネェは……その……なんで、してるの?」


「あら。どこか変かしら?」


僕の質問に、呪理は不思議そうに目を丸くした。


「いや、そうじゃなくて……なんかおかしいよ。急にそんな格好しちゃって。言葉遣いだって、やたら丁寧だし……絶対変だよ!」


溜まっていたものを吐き出すように、僕はまくし立てた。

その内元に戻るかと思ったが、さすがに限界である。

呪理は何も答えず、そんな僕の顔をじっと見つめた。


「何かで怒ってるんなら、ちゃんと言ってよ。この間は僕も……その……言い過ぎたし……」


そこまで話し、僕は言葉を詰まらせた。

言い合いした事はこれまで何度もあったが、心底申し訳ないと思ったのは、これが初めてだった。

謝れと言うなら謝るし、急変の理由がどうしても知りたい。


「……知りたい?」


しばしの沈黙の後、ようやく呪理が口を開く。

その妖艶な声色に、僕は思わずドキッとした。


「本当に知りたい?」


そう言って、姉は僕の胸にそっと手を当てた。

笑顔は影を潜め、その代わり瞳が妖しく輝き出す。


触れられている箇所が、やたら熱く感じられた。

僕の顔は真っ赤になり、鼓動が早鐘のように高鳴り始める。


な、なんだ?


この変な感覚は……


胸が……なんか……苦しい……


姉の強引なスキンシップ攻撃の時とは、まるで違う。

甘美で、背徳的で、この上なく心地良い感覚……


「じゃあ……一つだけ言う事聴いてくれたら、教えてあげる」


弟の耳にそっと口を寄せ、呪理は優しく囁いた。

熱い吐息が桃介の脳内を駆け巡り、頭から機関車のように蒸気が噴出した。


「ワタシの小説読んでみて……勿論、



ヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3



暗闇の中を疾駆する二つの影があった。


甲高い靴音が、人気ひとけの無い通りに木霊する。


「急げ、ミウ!奴らに追いつかれるぞ!」


長身の男が叫ぶ。

衣服は擦り切れ、肩口に大きな血糊ちのりが付いている。


「分かってるわ、ライ!」


ミウと呼ばれた女が、震える声で答える。

やはり衣服は破れ、顔には細かな傷があった。


通りにある街灯のほとんどが消えている。

左右に立ち並ぶ建物にも灯りは無い。

というより、といった方が正しいだろう。

皆逃げ出したか、さもなくばの餌食になったかだ。


全く……なんて事だっ!


長身の男──ライは胸中で吐き捨てた。


この一週間ほどで、彼の住む町はゴーストタウンと化した。

原因は正体不明の伝染病だった。

罹患した者は凶暴化し、人を襲い始める。

人肉を食らい、食われた者は同じように凶暴化する。

殴ろうが、刃物で刺そうがひるむ事は無い。

空腹を満たすまで、執拗に襲ってくるのだ。


さながら、ホラー映画で観たゾンビである。


たった一人の患者から伝染したこの病いは、病院、警察、一般市民へと瞬く間に広がった。

生き残った僅かな人間は、町を捨て逃げるしか無かった。


彼ら──ライとミウも、今まさに町を出ようとしているところだった。


街路の先に、揺らめく人影が見える。

歩き方が不自然だ。


「奴らだ!」


ライは小声で叫ぶと、後方に目を向けた。

たった今走って来た通りにも、いつの間にか人影が揺れている。


「くそっ!挟まれた」


ライは、素早く周囲に視線を走らせた。


とにかく、どこかに身を隠さねば!


背後の小さなビルの扉が開いている。

ライは迷う事無く、ミウの手を引き飛び込んだ。

そのまま、最上階目指して階段を駆け上がる。

奴ら──ゾンビは、あまり脚が速く無い。

上まで登ってくる間に、隠れ場所を探せるはずだ。


が、しかし……


最上階に着いたライは、その判断が甘かったと思い知らされた。

どの部屋の扉も引き剥がされていて、隠れる場所が無かったのだ。


「しまった!これじゃ逆に、袋のネズミだ」


悔しそうに言い放つと、ライは隠れるところを探し回る。

すると通路の先に、まだ壊れていない扉が一つ見つかった。


「しめた!ミウ、あそこに隠れよう」


ライに手を取られたミウが頷く。

二人はその部屋に駆け込むと、内側から施錠した。

狭い室内には、モップや洗剤が棚に並んでいる。

どうやら、清掃用具の倉庫らしい。


しばらくすると、不規則な足音が聞こえてきた。

同時に、動物が唸るような声が廊下に木霊する。


ゾンビたちが、上がって来たのだ。


二人はその場で、息を凝らし身を潜めた。


次第に近付く足音と唸り声──


やがて、その二つが止んだかと思うと、突然倉庫の扉が激しく叩かれた。


ドーンっ!ドーンっ!


殴るというより、体ごとぶつかっている音だ。

痛覚の無い奴らに、手加減という概念は無かった。


ドーンっ!ドーンっ!


室内に轟音が響くたび、棚からホコリが舞い上がる。

扉の蝶番ちょうつがいがミシミシと音をたて、今にも外れそうだった。


「くそっ!このままでは扉が壊されてしまう」


ライは苛立たしげに言うと、顔をこわばらせた。

どうみても、蝶番が壊れるのは時間の問題だ。

扉が開いてしまったら、ゾンビがなだれ込んで来る。

そうなれば、二人とも生きてはいまい。


それだけは避けねば……


せめて……彼女だけでも……


一瞬、考えこんでいたライの目が光る。

振り返ると、険しい表情でミウの顔を覗き込んだ。


「……ミウ。これから僕の言う事を、よく聞いてくれ」


その尋常では無い声色に、ミウに緊張が走る。


「あの扉はもうもたない。奴らが入って来たら、もう僕らに逃げ道は無い。そこで……僕がオトリになるから、君はその間に逃げるんだ」


「イヤよ!突然、何言い出すの!」


ミウの悲痛な叫びが、空気を揺るがす。


「アナタまでいなくなったら、私はもう……」


ミウの全身を悪寒に似た震えが襲う。

恐怖と不安で、言葉がうまく出てこない。


「生きていてもしょうがない……生きる意味がない」


「何を言ってるんだ!意味ならあるさ」


ミウの言葉を遮るように、ライが声を上げる。

両肩を優しく掴むと、澄んだ目で見下ろした。


「ここにあるじゃないか。生きる意味……!」


そう言って、ライはミウの腹部にそっと手を置いた。


そこには、まだほんの小さなものだが、確かな命が宿っていた。

それは、二人が愛し合ったあかしであり、この世紀末の世に残された最後の希望でもある。


消してはならない……この最後の灯火ともしび


失ってはならない……この二人の愛の結晶を


ライの託すような眼差しに、ミウは小さく……しかし、ありったけの笑顔で頷いた。


ライも頷き返すと、そのまま脱兎の如く部屋から飛び出していった。


遠のく怒号と足音──


しばらくすると、戸外の物音が消えた。


ミウは恐る恐る戸を開け、隙間から様子をうかがう。


誰もいない。


ゾンビも……


ライも……


ミウは自分の腹部に手を当てると、小さく囁いた。


「お願い……


その瞳から、大粒の涙が流れ落ちた。



そして



読み終えた僕の目にも……涙が溢れていた。

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