初めての合コンは、ただ騒がしいだけで、正直何が楽しいのかよくわからなかった。安いだけの酒を提供するチェーン店の居酒屋で、座敷に六人の男女。私はアルコールが飲めないから、一人でウーロン茶を飲みながら、早く煙草が吸いたかった。でも、禁煙の部屋だし参加者に喫煙者が誰もいないし、途中でわざわざ抜け出して吸うほどでもないし、我慢しながら、氷で薄まってほとんど水になったウーロン茶で口を湿らした。

 芽衣の友達だという男性の人が幹事で、どう見ても芽衣と付き合っているか、もしくはお互い付き合いたいと思っているのが駄々漏れで、この二人をくっつけるという口実の合コンらしい。少し白けた気もしたが、まあ、そんなもんか、と思って、一応口角をあげて楽しそうに見える顔をしながら、あまり美味しくない冷めてふやけたフライドポテトをつまんだ。

 帰るとき、一人の男性が「方向一緒だから」と言って、駅まで送ってくれることになって、少し驚いた。背の高い、痩せた男性だった。私は黙ってその人のあとについて歩いた。

「名前、沙湖ちゃんって言ったよね? 全然喋れなかったけど、俺気になってたんだ」

 とてつもなく緊張した。男性と二人きりで喋ることなんて経験がなかった。

「あ、はい」

「俺の名前、覚えてないでしょ?」

「あ、すいません」

 心臓がドキドキする。緊張なのか恐怖なのか不安なのか判断がつかない。

「俺、はやと。沙湖ちゃん、合コン初めてって言ってたけど、連絡先くらい、聞いてもいい?」

「あ、はい」

 私は携帯電話のメールアドレスを伝えた。手の震えが何からくるものなのか、わからなかった。


 合コンの二日後に隼からメールがきて、二人で食事をすることになった。どうしたらいいかわからず、千波に相談したら「良かったやん! いつも通りでいいんやない? ありのままを知ってもらわな、隠したってしょうがないんだから」と言ってくれた。だから、いつも着ている派手な服で、髪色も緑のままでいいや、と思った。他人の男性と二人でする初めての食事。


 残暑の厳しい蒸し暑い日の夕方、待ち合わせ場所に隼は十五分遅れてやってきた。五分前についていた私は二十分待ったことになるのだけれど、そういうことに言及するのは面倒くさい女なのかな、と思って言わなかった。隼は、白いTシャツにストレートのジーンズ。十字架をモチーフにしたシルバーのペンダント。スタッズのついた黒いキャップ。あまりお洒落じゃないな、と思ってしまってから、人を見た目で判断してはいけません、と自分に言い聞かせた。そういう私は、派手なオレンジの柄シャツに白のテーパードパンツ。相手にどうみられるか、よりも、自分の好きな服を着てこよう、と思って選んだ。

 勝手にお洒落なレストランを想像して身構えていたけれど、隼が連れて行ってくれたのは、普通のリーズナブルなイタリアンだった。食べながら、隼ばかりが喋っていたが、話好きなのか、私は相槌を打っていれば会話が成り立った。私は何を話したらいいかわからなかったから、ありがたかった。この時間が楽しいのかどうなのか、私にはわからなかったけれど、隼が退屈そうにはしていなかったので、ひどい状況ではないのだと判断した。

 食事を終えて外に出ると、隼は「少し歩こう」と言って、私の手をとった。一瞬、手をひっこめそうになる。でも隼の手は温かくて、これが恋の始まりなら、どんなに素晴らしいだろうと思った。

どこに向かっているのかわからなかった。すたすたと歩く隼は、目的地があるのか、迷わない足取りで進んでいく。

「ねえ、どこ行くの?」

「まあ、着いてきてよ」

 首をかしげながら歩いていくと、街灯の少ない道に、けばけばしいネオンが光る建物が並んでいた。

「ちょっと」

 隼の手を振り切る。

「どこ行くつもりなの?」

 返事を待つまでもなく、そこはラブホテル街だった。

「どこって、そりゃ今日はデートでしょ? かわいい女の子とデートしたら、俺はしたいことあるけど」

 怒りと恐怖で眩暈がする。頭がぐらんぐらんする。耳の奥で耳鳴りが始まっている。いけない。冷静にならないと。

「ごめんなさい。その……私、そういう経験がないの」

「え、初めて?」

 黙って頷いた。

「そっか、初めてじゃ、急に誘われて困るよね、ごめん」

 言葉では謝る隼が、私が処女だと知って、少し嬉しそうに口元だけで笑ったのが気味悪かった。

「じゃ、今日はやめよう。俺だって無理強いしたくないし」

 そう言って、くるっと方向転換して、駅のほうへ歩き出した隼は、もう手を握ってこなかった。


 その後、隼から何度かメールが来たが、会う気になれなかった。初めてデートした日に、ラブホテルに直行するような男性は、どうなのだろう。恋というのは、そうやって始まるものなのだろうか。そういうことは、恋が始まってからするものではないのだろうか。そもそも、私は隼のことをまだ別に好きではない。男性を好きになるという感覚がわからない。そんな状態で手を引かれてラブホテルに連れていかれても、好きになれるはずはない。私には、少なくともこれは私の思う恋ではない気がしていた。


 隼のメールに返信しないことが増えてきた頃、突然隼が私のマンションに来た。初秋の、涼しい夜だった。爽やかな風を窓から感じながら私は、一人でテレビを見ていて、玄関の呼び鈴が鳴ったときも、叔母さんから宅配便かな? くらいにしか思わなかった。だから、ドアの外に隼がいたときは、絶句した。

「な、なんで家知ってるの」

 質問というより、詰問であった。

「芽衣ちゃんに聞いた」

 怒りがふっと腹の底に沸いた。勝手に人の住所を教える芽衣にも、のこのこと非常識な時間に女性の家を訪ねてくる男にも、そして、宅配便かと思ってドアを開けてしまった自分にも。

「そんな怖い顔しないでよ。ねえ、お茶くらい飲ませて」

 隼は酔っているようだった。声が大きい。今日も白いTシャツに十字架のペンダント。

「お茶飲んだら帰るからさぁ」

 野良犬のような貧相な体を少し前かがみにして、ドアにもたれかかっている隼。

「近所迷惑になるから大きな声出さないで」

「じゃ、入れてよ。すぐ帰るから」

 隼は、近所の人が何事かと出てきそうなほど大きな声を出した。わざとだろう。仕方なく私は隼を家にあげた。

「へえ、結構きれいにしてるね」

 私は、灰皿を片付けてから、冷たい麦茶をグラスに注いでテーブルに置く。

「ありがと~」

 隼はどかっと座ると麦茶を飲んで、はぁーっと息をはいた。酒臭い。

「沙湖ちゃん、煙草吸うんだね」

「あ、うん」

「知らなかったよ」

 そうでしょうね。あなたと会うのは、今日が三回目なんだから。言っても仕方ないことを飲み込んで、なんでもいいから早く帰ってくれないかな、と思った。こういうとき、男を帰らせるにはどうしたらいいか、私には全く知識も経験もなかった。途方に暮れながら隼を遠巻きに、立ったまま眺めていた。すると隼は立ち上がって、近づいてきて、突然に私を抱きしめた。

「っ!」

 全身に鳥肌が立った。何してるの、この人。

「いくら沙湖ちゃんに経験がないからって言われても、俺だって我慢は限界がくるよ」

 酔って目の縁を赤くした隼は、酒臭い声で言う。

「いや、だから、そういうのは嫌なんだって」

 抱きしめる腕をほどこうとするが、隼の力は強かった。いけない、耳鳴りが始まる。

「だって、俺、沙湖ちゃんのこと好きなんだよ? ねえ、いいじゃん」

 酒臭い息で顔を寄せ、私を抱き上げると、力任せにどすんと押し倒した。痛い。背中に硬いフローリングの冷たさが伝わる。耳鳴りが強まって雨の音になる。

「やめてって」

 抵抗するが男の力は強い。隼は笑っていなかった。男の充血した赤い目は、発情期の獣の目だった。冗談じゃない。やめて。耳鳴りが止まらない。ざぁーざぁーと激しい雨の音が耳の中にこだまする。すっと手が冷え、足先からじわじわと恐怖が這い上がってくる。怖い。

「やめて……怖い」

 自分でも聞き取れないほど小さな声で、か細い言葉が漏れた。自分の体が自分のものじゃないみたいだ。雨の音と草の匂いに覆われる。雨の中、ひっくり返っている赤い傘が見える。これは過去だ。現実だ。サイレンが聞こえる。これは幻聴だ。嘘だ。冷たい雨と赤い傘。溢れそうな濁流。忘れられない感触とピンクのミトン。やめて。やめて。やめて。怖い。怖い。怖い。怖い。これ以上、耐えられない。逃げられない。怖い。助けて。誰か助けて。

 もがくように拒絶する私に構わず、隼が私のスウェットのウエストに手をかけた瞬間、ひゅーっと息を吸ってから私は、夜を裂くような悲鳴をあげて気を失った。


 さこ……っかり……さこ……

 頬を叩かれる感触がする。遠くから呼んでる声がする。

「沙湖! しっかりして、沙湖!」

 ゆっくり目を開けると、眩しい電気を背負って、真剣な顔をした千波がいた。

「千波……?」

「あー、良かった。気がついた? 大丈夫?」

「うん……」

 大げさに肩を上下させて、千波は大きく一つ息をはき、「良かった」と言った。

「目が覚めなかったら救急車呼ぶところやったわ」と、弱弱しく笑った。

 私は全身にびっしょりと汗をかき、床に横たわっていた。喉がカラカラだ。少し離れたところで、壁によりかかり、隼が立っていた。

「芽衣から電話きたんだよ。男の子と一緒にいるはずなんだけど、沙湖が気絶しちゃったらしいって」

 千波の説明で、私はようやく状況を理解し始めた。隼に押し倒されて気を失った私に驚き、隼が芽衣に連絡をとり、芽衣が近所に住む千波を呼び出したのだ。きっと救急車を呼んだら、自分に何かしらの嫌疑がかかると危惧したのだろう。男女二人きりで部屋にいて、女が気を失ったのだ。男は何か疑われても仕方のない状況だ。隼は、とっさの計算で、芽衣に連絡をとったのだ。

「じゃ、俺帰るから」

 隼はボソッと言うと、私の顔を見ず、玄関を出て行った。その声は、苛立ちと、戸惑いと、怯え。全てを集約したような声だった。きっともう隼から連絡は来ないのだろう。私も、会いたくなかった。

「汗かいて、体冷えたでしょ。大丈夫そうなら、シャワー浴びたら? あったかいお茶淹れておくよ」

 そう言ってやかんを火にかける千波は、何があってこんなことになったのか、聞かずにいてくれた。私はのろのろと立ち上がり、着替えを持って脱衣所まで行き、汗で冷えた服を脱いだ。冷たい自分の体を両腕で抱きかかえる。最近良いことが多いなんて、調子に乗っていたらこのざまだ。人生はおしなべたら平等だなんて言った奴、誰だ。あの日、美湖ちゃんに、合コンに行くことを言わないでおいて良かった。私みたいな人間がのうのうと生き永らえていること自体、間違った世の中だ。やはり私に恋なんて無理なんだ。悲しみと恐怖と悔しさで、まだ足が震えた。


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