不器用な右ストレート

コカ

不器用な右ストレート 








 俺が仮にも勇者と呼ばれるようになって、もう三年が経った。


 はじめは、こんな異世界へと拉致されるように連れてこられ、あげく魔王と戦ってくれとか言われるんだもんな。

 しかも、お前は序列6位のミソッカス勇者なんだからうんぬんかんぬん。他勇者達の予備なんだからどーたらこーたら。

 要は私たちの命令どおり働いてくれと、衣食住は全力でサポートするからと、そういうことみたいだが、――こんな凡人ムリヤリ連れてきといて、何言ってんだこいつらは。

 そもそも上に5人も勇者がいるのなら、そいつら全員で魔王の城へと乗り込めばいいだろうに。

 聞けば皆、俺と違ってチートでバチバチにドーピングしまくった化け物ばかりだというではないか。

 そんな勇者同士がパーティーを組んで、その上で強襲のひとつでもかませば、いかに相手が世界征服を企む魔王軍だとしても、最悪痛み分けくらいまでには持っていけるでしょ。

 と、少し他力本願でいささかセコい作戦がすぐさま頭に浮かんだが、……しょせん画に描いた餅。

 思惑どおりに行かないのは世の常か。どうにもこの勇者連中ってのが、厄介者の見本市のようで。

 なんでも、一人目の勇者は行く先々で好き勝手にハーレムを作ってはやりたい放題。

 本人曰く、勝手に向こうが寄ってくるから仕方ないなどと、クソたわけた事をぬかしているようだが、端的に言えば、勇者だとかなんだとか、女遊びが忙しくてそれどころではないらしい。


 二人目は、見る目の無さからしょうもないメンツでパーティーを組んでしまい、御多分に漏れず裏切られ、よっぽどヒドい目に遭ったんだろうな。

 この恨み晴らさでくべきかと、復讐の鬼と化し裏社会へフェードアウト。


 三人目は、歴代最強の呼び声が高かったが、急に『のんびり暮らしたい』的な思想をこじらせたあげく、第一王女とどこぞのド田舎へ逃避行。

 追っ手をことごとく退けて、ついには王様が諦めたもんで、それっきり。


 四人目と五人目も、前のヤツらと大差ない。目くそ鼻くそ、どんぐりの背比べ。

 なんともまぁ、バカとクズと世間知らずのオンパレード。あげくに六番目の俺は群を抜いた能無しときている。

 揃いも揃って、こんなん勇者に据えるとか、マジかこの国イカレてんな。なんて、考え方の違いに怯え震えていたわけだけど、それもまだ、これから始まる冒険の序章に過ぎなくて。


『お主、名は? ちなみに、魔王である余の名は――』


 どういうわけだか、呼ばれたその日に件の魔王が襲ってくるし、挙げ句の果てには


『どうだ。余と来ぬか? お主にならこの世界くれてやるぞ?』


 熱烈な勧誘まで受ける始末。

 魔王も魔王で、とんでもないクラスの美女だったから、俺も思春期真っ盛り。その時の精神状態的にも癒やしを求めていたのだろうし、――屈強な兵隊どもに囲まれての勧誘と、かたや絶世の美女からのお誘い。

 まだどこかあどけない顔立ちのくせに雑誌のグラビア飾ってそうな抜群のスタイルだったのも追い風で、まぁあれだ。

 男子高校生ってのはそういう年頃だしさ。

 比べるまでもなく、それも良いかななんて、八割方、魔王側へと靡きかけていたのだけど、――やっぱり、どれだけ美人だったとしても彼女は魔王なんだよな。

 言ってもそこは王城の中。王族や貴族が集まっていたということもあって、屈強な兵達が王を守れと我先にグルリグルリと二重三重の包囲網。

 俺なら、そんな分厚い胸板に囲まれたとあれば即ギブアップ。両手を挙げて命乞いする場面だろう。

 だが、――槍を構え喚き散らす兵を横目に、魔王は『やかましい』と一睨み。

 彼女の冷たい舌打ちと共に、その場にいた全ての近衛兵があっという間に皆殺しだもんな。

 皆が皆、悲鳴のひとつも上げるヒマすらなく。

 いっせいに人体が絞った雑巾みたいに捻れる様なんか、まさに残虐非道を画に描いたような所業だった。


『――ここは場が良くないな。返事はまたの機会としようか』


 あまりの惨状に、腰を抜かし失禁する俺へ、数十人分の血溜まりの上、魔王は困ったように笑い、


『次は、綺麗な月夜にでも会おうぞ』


 バチリと百万ドルのウインク。


 次いで魔王は、二言三言と問いかけてきたが、――ムリだよ。トラウマ級のパニック映画とスプラッタものを最前列で見せられたんだ。恐怖で凍りついた頭では、何も言えやしない。


『では、良きに計らえ』


 そう言うと、むせかえる血の臭いだけを残し、一陣の風と共に姿を消した。

 いやはや、その場ではあっさりと帰ってくれたから良かったけど、終始、生きた心地がしなかった。

 だって、初っぱなから敵のボスが来るなんてどういうつもりだよ。

 マンガやアニメでは中盤くらいでようやく出てくるキャラだろう。それなのに、ちょっと遊びに来たくらいのノリで来ちゃうんだもん。セオリーとかなんだとか全部無視で、もう無茶苦茶。

 だいたい、俺は予備の予備くらいな数合わせ勇者なんだろ? 魔王軍へとスカウトするのなら俺の上には優秀なヤツが何人も居るってのに、なんだってこんな小者に会いに来るんだよ。

 しかも、次の予定までねじ込んできやがって、やめてくれよ。

 当然、こんな目に遭えばその後はお察しのとおり。

 超人的な力もなければ、学力も中の下。いや、下の上か。とにもかくにも、こちとら平均的な高校生だぜ。頭がおかしくならなかっただけでも褒めてもらいたい。

 突然だったし、そもそもあんな化け物と命をかけて戦えなんて、ムリです、イヤです、元の世界に帰して下さいなんて喚き散らして駄々こねて、毎日のように、お願いしますと縋りながらベソかいてた。


 ……でもさ。


 それまではどこにでも居る普通の高校生な俺だけど、――慣れというのは恐ろしいもんだ。

 あれから三年もの時間をこっちで過ごして、いろいろとわかったことがある。

 この世界もさ、横柄な王族やイヤミったらしい貴族ばかりじゃないんだよ。

 右も左もわからない、剣なんか握ったこともない、ナヨナヨくよくよジメジメするだけの役立たずが、色々な人に助けられ、様々なことを学び経験してさ、辛いことや悲しいこともたくさんあったけど、同じくらい優しくて温かい人がいっぱいいて、この人達は全力で守らなきゃだろなんて、――ボンクラながらも、考え方って変わるんだよな。


「――ついにこの日がきたぞ。喜べ、勇者」


「事前に手紙のひとつでもくれませんかね。こっちにも段取りってのがあるんで」


 今となってはこうやって、格好つけすぎだけど鼻息荒く、皆が困っているときこそ勇者の出番だろ。俺がなんとかせねば。なんて、震える足を武者震いだと誤魔化しながらも魔王と相対しているのだから、我ながらたいしたものだと思う。


 はじまりはついさっき。突如として、雷鳴が轟いたのは王の城。


 長い月日をかけてようやく準備が整い、今日この日、魔王の城にいざ行かん。と相成ったわけだ。

 今晩は満月の日だという事も縁起が良いらしく、今はそのための出陣式の真っ最中。

 ひとつもためにならない国王のありがたーいお言葉を聞き流し、あとは夜会の〆に、集まった来賓の前で最高の装備で身を固めた自慢の仲間達と、エイエイオウと士気を上げて終わり。

 の、はずだったんだけどな。


「ふむ、手紙でのやりとりか。……いささか気恥ずかしいが、それも良いな」


「いや、イヤミのつもりなんだけど」


 日も暮れて、いよいよ夜会が始まるぞと、そういう頃合いに堂々と門をくぐって魔王はひとりやってきたのだ。

 ここが王城だからか、はたまた式典中だからだろうか。TPOを弁えた、いつになく豪奢な装いで、……アイツは敵の親玉なんだけどな。ただでさえ目を見張るほどの美人の、その金糸銀糸で装飾された深いブルーのドレス姿に、来賓席から憧憬色の溜息が聞こえてきた。

 いつだったか、聞いてもないのに『魔族が着飾るときは、大勝負をしかけるときだ』と言っていたし、とすれば、攻められる前に攻め殺せ。――初対面の時同様、どこから情報が漏れたのやら、同じ場所でまたしても魔王に先手を打たれた形か。


「どうだ? 幾千幾万の星々にも負けぬ余の艶姿は」


 コイツは自分が最も美しく映えるポイントを熟知しているのだろう。

 顔の傾け方、手の置き場、腰の捻り、足の位置。自然とそうなるのか、それともそのように教育されたのか。

 あの時より大人びた顔つきに、身体のラインがこれでもかとキレイに出るドレス。かつ、目のやり場に困るほどの深いスリットも相まって、なんともなしに取ったかのようなそのポーズが、それはそれは、見目麗しい立ち姿でございます。


 ……とは、大声で言えないところが辛いけれど。


 だいたいこちらの本丸で敵の大将を褒めちぎるのはダメだろう。それに、


「いやー、がっつりと胸元が開きすぎてて、俺、破廉恥すぎるのはどうも」


 魔王にとって俺の好みなんざ興味のかけらもないだろうけど、言わせてもらえるなら、清楚なほうが個人的にはストライク。若干前時代的な考えかただが、女性には慎みを持ってもらいたい派なので。


「なっ! いつぞやの清純な装いには、なんら興味を示さなかったではないか!」


「清純(笑)」


 お前が清純だとか、どの口で。

 クツクツと、この手の笑いが出たのは久しぶりだ。


「……よーし、久しぶりに殴りっこからはじめようぞ」


 まったく、洒落のわからないヤツめ。これだから短気な美人は扱いに困る。

 言うやいなや、魔王の瞳がネコのように尖り、……あの細い身体のどこからこんな力が出るのだろう。

 ふいに、俺を掠めるようにして真っ白な腕が走り、数メートル先――音を置き去りにして、背後の壁が消滅した。

 後を追うように鳴り響いた破砕音と高らかな笑い声、賓客から上がる悲鳴に、舞う砂埃。

 コイツはいつもそうだ。突然始まる戦闘に、全身の血が凍る。


「よいぞ、偉いぞ、素晴らしい! 今回は避けたではないかっ!」


 腰まで届く黒髪に、左右のこめかみから生えた禍々しい二本角。愉快痛快とまっすぐに、その美しくも妖艶な瞳は俺だけを捉え、


「――出来るだけ離れなさいっ!」


 声を荒げたのは仲間の魔法使い――間髪入れず、彼女が繰り出したのは紫電の帯、爆炎の波。


「くたばれ! 化け物め!!」


 とても女の子が口にすべきでない、そんな魔法使いの罵倒と共に、俺をも巻き込む距離で、目の眩む閃光と耳を劈く爆音。その二つが、魔王までわずか。

 一息早く、仲間の僧侶が来賓のために防壁を張るのが見え、俺の身体にも強固な魔法耐性の祝福がかかる。これで無傷とはいかないが、僅かばかりの安堵。――圧倒的熱量に城の大広間が揺れる。

 以前から、最後の最後にと皆で温めていたとっておきの作戦。自ら考案した、俺ごと消し飛ばす、まさに奥の手。

 皆からは、提案したその時に馬鹿かお前はと烈火のごとく怒られたが、魔王は不思議と俺の近くに居ることが多いからな。自分という犠牲混みだが、他の誰かを生け贄にするわけではないんだ。こんな出来の悪い勇者の生死なんて、魔王の命と引き換えなら天秤にかけるまでもない。

 それに、あながち悪い手ではないはずだ。

 今だって、初手から様子見ナシで大技を叩きつけたんだ。

 虚を突いた見事な一撃に、さすがの魔王といえど、どうにか出来るはずがない。……ないはずなのだが、


 ――大広間に甲高い音がひとつ。魔王が鳴らす指の音。


「もうヤだ!」


 泣きそうな声で魔法使いが叫んだ。

 魔王が細い指を弾く、ただそれだけで、――彼女の最大火力が、足止めにもならない。

 火が雷が、音が風が、その全てが夢幻のように消え去ったのだ。

 ヤツにとって魔法使いなど端から眼中にないようだ。微塵も彼女を相手にせず、もう魔王は俺の目と鼻の先。こともなげにヤツは笑う。

 次いで戦士が唸り声を上げながら、大盾を構え突進してくるも、魔王はほんの一睨み。瞬間、戦士の巨大な体躯が石コロのように遠くの壁まで弾け飛ぶ。


「乳飲み子のごとし、だな」


 ――俺は、距離を取ろうとするが、やはり速度は相手が上手。――目に映るのは、深いスリットから現れる真っ白な肌。重く踏み込んだのは長く美しい足。


 床が砕け、隆起し、舞い上がる土煙をかき消しながらの「ご褒美だ、受取れ」――風切り音。

 迫りくるは魔王の拳。

 城壁を粉砕した先の一撃、次いだ此度の二撃目は神速の右ストレート。

 轟々と唸りを上げ、深紅に発光した必殺の一撃は、もはや目の前。

 初撃を回避できたのは偶然だった。

 ヤツが拳を繰り出し踏み込む度に、床がヒビ割れ場が荒れる。それに足を取られ、体勢を崩したに過ぎないのだ。

 跳ねる心臓と、上がる息。

 さっきは運も手伝っての紙一重。

 間髪入れずの連撃に、来るのがわかっていても常識外の速度なのだ。完全回避は望めない。

 考える時間なんざ、一秒すらもあるもんか。

 拳の速度が、耳鳴りのような金属音を生む。

 その紅い閃光は、俺たちパーティーに死を連想させる。引きつった胃と、吐きそうなほどの胸の鼓動に、あの時の苦い記憶が蘇った。


 ――はじめてこれを喰らった時は、パーティーを結成してようやく一年ほど過ぎた頃だった。


 まだまだ駆け出しで、力量に至っては、他の勇者達と比べればヒヨッコもヒヨッコ。

 そんな俺たちが何の因果か、魔王とまたもやエンカウント。

 さして重要な拠点でもない、どこにでもある田舎である。今日は良い天気だな、さぁ次に進むかと町の外へと出たその時だった。

 唐突に、さっきまで先頭を歩いていた戦士の両足が、グニャリと捻れ曲がったんだんだ。

 崩れ落ちる戦士の身体を目前に、遅れて上がる絶叫を浴びて、俺も含めて他の仲間達は、突然の展開に一体何が起きたのかなんて――いや、……こんなことが出来るヤツに心当たりはあるんだよな。

 少しの間を置いて、もしかして、あぁ、やっぱりお前かと、皆が同時に思ったはずだ。


『おや、奇遇だな』


 何が奇遇なものか。お気に入りの玩具を見つけた子供のような顔しやがって。


 戦士の両足を刈り取った当事者は、まるで待ち合わせする少女のように、木陰で静かに本なんか読んでるんだぜ。

 しかも、どういうわけだか魔王という肩書きにそぐわない清楚な服に、頭には、つば広の帽子までかぶっちゃってさ。

 例の二本角なんかキレイに引っ込めているもんだから、一瞬、とんでもない美人がいるなと心躍らせた、俺の甘酸っぱいトキメキを返してほしい。

 静かに本を閉じ、音もなく立ち上がる姿に、もちろん勝ち目なんて一ミリもないが、戦士を除く俺たちは、すぐさま戦闘態勢をとったさ、それで、


『どうだ。魔界一のドレスメーカー仕立てだ』


 ロングスカートのすそを軽く持ち上げて、それこそお姫様の真似事をするもんだから、その所作に、どんな意図を含んでいるのかこっちは気が気じゃない。


『さすがのお主も、見惚れたであろう?』


 あぁ、そうだなと、目の前の誇らしげな笑顔に神経を研ぎ澄ませながらも相槌を打つ。


『デートに誘いかけたよ、……アンタじゃなかったらな』


『むっ!?』


『もしやと運命を感じたのにな。あー、残念だ。どこぞの魔王様なんだもんなぁ』


『むうぅっ!』


 ぷくりと、魔王のヤツが両ほほを膨らませ、『悪かったな! 余で!』――ひと呼吸も許さない速度。


 ――あっという間に、俺の上半身は鎧ごとミンチになった……らしい。


 らしいというのも当然で、その時の俺は、魔王の手が赤く光ったように見えたところから記憶が無いのだ。

 思えば、死んだのは後にも先にもそれ一度きりか。

 目が覚めたら教会で、仲間共々、神のご加護を元に復活した直後だった。

 あまりに一瞬の事だったのもあって、俺は『自分が死んだ』その感覚すら曖昧で、唯一わかったのは自分が魔王に手も足も出なかったという事実だけ。

 あぁ、なにやってんだ。と、悔しさと情けなさにその場で頭を抱えたが、――他の三人に、あの後いったい何があったのやら。

 戦士はヨダレを垂らしながら胡乱な目で天井を見つめ続け、魔法使いは半狂乱で、『熱い』と叫び、頭から花瓶の水をかぶった。僧侶に至っては悲鳴を上げながら、壊れた玩具のように布団の中で震えている始末。

 どうしたんだ、なにがあったんだと、その時の俺はこの三人がどういう目に遭ったのか知るよしもなかったからさ、ただ狼狽えるだけしか出来なくて。

 それからしばらくの期間を要したが、どうにか回復した他の仲間が言うには、真っ先に死んだ俺は幸せ者だったようだ。

 俺が肉片になったあの時、ふいに魔王が『あぁ』と。

 うなだれ、膝をつき『あぁ、しまった』顔を両手で覆うと、……しばらくの間を経て、突然ヤツは激高、大暴れしたらしい。

 いつも不敵な笑みを絶やさず、一人でぶらりと俺たちの前に現れては、何が楽しいのか、はしゃぐようにして、グチャグチャのボコボコ、ギッタンギッタンのボロ雑巾になるまで俺をはじめ、皆をいたぶり尽くす。


『魔界には絶対厳守のルールがひとつあってな。――強き者が正しいのである』


 余裕と傲慢、


『弱者に是非など無い。全てにおいて、強き者の為に生きていくより他ないのだ』


 自由と不平等、


『ほら見ろ。あの程度の山くらい、腕の一振りで更地にしてやったぞ? どうだ勇者。余は強いだろう』


 暴力と殺戮。


『あとは、わかるな? 余に最後まで言わせるでないぞ。ウツケ』


 人知を超えた悪の化身。

 一事が万事、そんな恐怖の魔王なわけだが、……そのアイツがそうまで動揺するとは、一体ヤツに何があったのか。


 ――はじめに地獄を味わったのは戦士だったと、僧侶は語った。


 俺が吹き飛んで数分後、項垂れていたはずの魔王が、一瞬姿を消したかと思うと、もう戦士の頭は鷲づかみ。


『余を前にして昼寝か? ずいぶんと良いご身分だな』


 むき出しの犬歯、血走った眼。あっという間に伸びた両の角からは音を立て稲妻が走り、全身から吹き出す荒々しい波動と、そして、


『なぜ貴様! アヤツの盾とならぬのだ!!』


 ガオンと空気が震え、巨大な猛獣にも似た雄叫びに、残りの二人は気圧されて、どうにも動けなかったらしい。

 俺はその話を聞いて、いや、確かに戦士本人もその恵まれた体格と巨大な盾でもって俺を庇うのが役目だと、それが自分の役割だと、常日頃から鼻息荒く語ってはいたが、――そうは言ってもあの時は、出会い頭にオマエがジャマだと言わんばかりにアイツの両足をへし折っただろうに。

 いいか、戦士は寝てたんじゃねぇ。

 オマエら魔族はどうか知らないけれど、あっという間に両足がグニャグニャにひん曲がったんだ。人間はな、そんな大ケガを負えば普通は動けないんだよ、戦闘不能なんだよ、わかれよ。

 だからこそ俺は戦士の盾代わりに、進んで先頭へと飛び出したんだ。

 激痛で動けない仲間のために、僧侶が処置に専念できる時を稼ごうと必死にな。

 だけど、そんな戦士の不幸はそれだけでは終わらず、


『木偶の坊が!』


 ついには意味不明な叫びと共に、そのまま戦士は、頭部を身体から力任せに引き抜かれ、……きっと、見せしめだろうな。

 首から下、背骨だけで繋がった状態なんざ、普通なら即死のはずが、それこそ魔王の力だろう。死ぬことも許されず、声は出せずともハッキリとした意識の中、その恐怖と激痛が治まることはなかったらしい。

 残った二人の僧侶と魔法使いは、そんな痛みに狂う戦士の顔を間近に寄せられ、しかも『おい、メスども』と、魔王が凄んでくるわけだ。


『速やかに、勇者の身体を探せ』


 目の前には、瞳を紅く輝かせた恐怖の権化が。

 その後ろには、下半身だけとなった俺と、頭を失った戦士の身体が赤黒い血だまりに浮いていて、もう恐怖と絶望で気が狂いそうだったと魔法使いは言った。

 僧侶が泣きながら俺の名を呼び続けて大変だったと彼女は苦笑いしていたが、そう言う魔法使いも大粒の涙をこぼしながら魔王に殴りかかったと、あとから僧侶がこっそりと教えてくれた。

 それを聞いて、あぁと。早々と死んだ俺は一体何なんだと、申し訳なさで泣きそうになってしまった。

 俺があっさり死んでしまったせいで、ごめん。勇者なのに、みんなを守る立場なのに、ごめん。

 謝った程度でどうにかなるわけではないけれど、それでもごめん。


『いや、謝るのは俺の方が先だろう。守りの要が、真っ先にやられたのだからな。スマン』


『そうよ。あれはアンタだけのせいじゃないわ。だいたい、アタシはただ逃げようと足掻いただけだから、別にアンタのために――』


『私は、アナタ様のために魔王へと挑みました』


『ちょっと! そういうのは全部終わってからって約束したでしょ!』


『はて? そういうのって、どういうのですか? 最近、なにやら物忘れが――』


 その後の俺からの謝罪に、皆は顔を見合わせながらも、気にするなと笑ってくれたけれど、結局、あんな非力な少女が太刀打ちできるわけもなく、ふたり共々ギタギタにのされ、もはや言うことを聞くしかなかったのだろう。吹き飛び散り散りとなった俺のパーツを集めさせられたらしい。

 悔しさで気が狂いそうになりながらも、俺の破片を全て集め終える頃には、ずいぶんと日が傾きかけていたらしく……まぁそうだろうな。四方八方に飛び散った肉片を集めるんだ、かなりの時間を要すのも当然なんだけどさ、


『遅い』


 それが、この悪魔にはどうにもお気に召さなかったらしい。

 傲慢で不平等。かつ殺戮を形にしたものと例えられる魔王だ。

 遅いも何も、お前がこんな事しなければ、別段待たされることもなく一日が終わっただろうに、


『キサマは乳がデカいだけの牛か、――愚図め』


 ――それは意味不明な八つ当たり。


 あとは、虐殺というのも可愛いものだったようだ。

 魔法使いの身体は、突如として生きたまま業火に包まれ、十数秒もの時間をかけて悲鳴と共に炭となって果て、ひとり残った僧侶も、


『では、神の御業をもって勇者を蘇らせろ』


 いやはや、無理難題もここに極まれりである。

 とんでもない事を言われ、いよいよ自分の番だと死を覚悟したらしい。

 蘇生の技法なんて、各地に数カ所しかない聖なる場で、数十人の神官達が数日間祈り続けてようやく成功するかどうかの荒技なのだ。

 しかも、一度失敗するとソイツは二度と蘇ることは出来ないというハイリスクな一か八か。それを、百年に一度の逸材だと言われてはいるが、僧侶一人で行えるはずもない。

 魔王は苛立たしげに、


『肉体をそろえたのだ、出来るだろう』


『余では、人間としては蘇生できぬのでな、口惜しい事だ』


 あやつはヒトでなくてはならぬのだ。だから良いのだと、肉片と化した俺を前にこぼしたらしい。

 俺が人間だと何が良いのか。まぁ、ちょうど良いサンドバッグだとでも言いたいんだろうな。

 でも、そんな無理難題を突きつけられても、ムリなものはムリ。単騎で蘇生を行うなんざ神話に描かれた神の奇跡。

 それをやれだなんて、屁理屈だらけの坊さんではないが、コイツはトンチの一つでもきかせろと言っているのだろうか。

 当然、にっちもさっちもいかないのだから、僧侶は出来ませんと。せめて最後は気丈にと、止まらない涙のまま、『殺すなら殺しなさい』そう言ったらしい。

 あとは、まぁ、大方の予想どおりだったようだ。


『ほう』


 と、僧侶を見下したまま、魔王は溜息をひとつ。


『出来ぬと申したか? 出来ぬと。余はやれと命じたのだが、そうか……』


 途端に、周囲に巨大な稲妻の雨が降りそそぎ、大地が割れ、あの綺麗な顔が、


『……オマエ達は、揃いも揃って魔界の王をコケにしたいらしいな』


 ――そこから先を彼女が憶えていないのだからここで話は終了だ。


 強烈なストレスのかかる記憶は治療の一環で削り取られるから仕方ない。

 だが、話がそのシーンに近づくと、憶えていないはずなのに僧侶は塞ぎ込み、身体が震えて丸一日は動けなくなってしまうのだから、彼女にとってよほどの恐怖があった事だけは見て取れた。

 これから先の事は王様から聞いたのだが、そんな何かが起きたその次の日に、どうやら俺たちだったモノは王都にて発見されたらしい。

 突如として門扉の前に祭られるように置かれた豪奢な棺桶が一つと、脇に打ち捨てられた一塊の炭と血肉。

 一夜にして現れたコレが何か。

 そもそも国の出入り口に肉塊が置かれているのだ。どういう意図があるのかわかった物ではなく、国中が大騒ぎになりかけたが、添えられた十数枚に及ぶ手紙には、俺宛で『スマン。やり過ぎた、許せ』と、その手の内容が書かれていたらしい。

 ところどころ水で滲んで読めないし、解読の途中で突如火を放ち焼失するしで、その文書自体がかなりやっかいな代物だったみたいだが、……王様が言うには、これは人間に対する魔王からの侮辱なのだという。

 曰く、殺すつもりはないのに、あっけなく死んでしまった。こんなに弱いヤツが勇者なのかと、魔王はあざ笑っている。

 そして、わざわざ遺体を届けたのも、オマエ達の縋る勇者はこの程度の雑魚だと我が国民に見せつけるためだ。

 ぐうの音も出ないとは、まさにその時の俺を言い表した言葉だろう。

 俺ひとりがヒドい目に遭うだけならまだ我慢できる。なんなら逃げる選択肢だってある。

 でも、俺の後ろには国民のみんながいるのだからそうは言ってられない。恐れて逃げれば町が消えるかもしれない。たくさんの不幸が訪れるかもしれない。

 それなのに負けた。理解していたはずなのに、無様に負けたのだ。

 それに、大切なのは国のみんなだけじゃない。――あいつらもいるのだから余計に負けられないというのに。


 ……今思い出しても、みんなとの出会いはろくでもなかったと思う。


 ある村で疫病が続いたのは全てオマエのせいだと、遠く魔女の末裔だからと、親を殺され、あげくに自らも処刑されかけた少女。


 魔法使いの名家に生まれたばっかりに、ただ魔法の才がないというだけでゴミを捨てるかのように奴隷へと落とされた少年。


 特異な力に目を付けられ、教会から人形のように操られ、結果、知らないところで数多くの人々を不幸にしてしまった少女。


『まぁ、しんどくなったら言いなさい。アンタひとりくらい、アタシが連れて世界の果てまで逃げてあげるから。なによ、誰にも文句なんか言わせるもんですか』


『勇者だからじゃない。お前が良いヤツだからだ。俺がお前の盾になる、それに理由がいるのならそんなところか。男が動く意味なんて、それだけあれば充分だろう?』


『私は後方で支援することしか出来ない役立たずです。でも、アナタ様の為ならば、喜んで身代わりになります。すすんで犠牲になります。お役に立てたと笑って死にます』


 俺はこいつらに何かをしてあげたわけではない。

 ただ、おかしいことはおかしいと、間違ってることは間違ってると、オマエは正しいと、言葉や行動で示してきただけ。

 後は、みんな強いからさ。勝手に立ち直っていったんだ。

 多少のきっかけにはなったのかもしれないけれど、俺みたいな能なしが、出来る事なんざこの程度が関の山。

 それでも、こんな落ちこぼれ勇者に着いてきてくれる大切な仲間なんだ、良いヤツらなんだ。

 自分がもう少し強ければと悔やみ、せめて皆が逃げるくらいの時間は稼げるようになりたいと、それからは、より一層の鍛錬に励んだ。


 ――そして今だ。


 迫る拳と、魔王の瞳が赤黒い光の軌跡を作る。


 あれからずいぶん鍛え直し、装備も神域に達しているが、それでも被弾すればタダでは済まないだろう。

 俺の本能が教えてくれる、さっきから逃げろの一点張りだ。でも。

 剣の柄を強く握り、んなことわかってんだよと、歯を食いしばる。身体はとっくに動き始めている。

 さっきの一撃で理解した。――まだ、俺たちでは魔王には勝てない。

 圧倒的実力差は健在で、逆立ちしても勝てないのは魔法使いをはじめ、おそらく仲間の皆も気がついている。

 だから、これは仲間達を逃がすための悪あがき。

 あの『パーティー全殺し』の一件以来、魔王は俺たちの前に現れても、以前のように襲いかかることはなくなっていた。

 とは言っても、結局、最後にはボロ雑巾にされるのだが、それでもギリギリ致命傷にはならないように、どこか手加減をされているように感じ、


『お主の世界のことを調べてみたが、なかなか良いぞ。魅力的な風習が多いではないか』


『とくにアレだ、次の満月の日が特に素晴らしい。なにぶん初めてゆえ、準備にいささか手間取りそうだが、その苦労こそが実に良い』


『いいか。この時期は、流行病に気をつけろ。特に次の満月の日は、万全であれ』


 ここ最近は俺の体長面なんか気遣いはじめやがって、あれか、俺たちを壊れやすい玩具か何かと考えているのか。次を探すのが面倒だからと、丁寧に扱って当然と、そういう事か。

 バカにするな。

 俺だって男だ。あれだけの恥をさらされて、嘗められっぱなしは我慢ならない。

 とっさに出した左の盾は直撃コース。防御のために置いてきた。きっと、盾は無事でも腕は千切れ飛ぶだろう。だが、たかが腕の一本。死ぬよりマシだ、安いもの。

 それに、――せめて一太刀。

 時間稼ぎとはいえ、殺られっぱなしではまた後悔することになる。

 あの時から、血の滲むような毎日だったんだ。歯を食いしばり立ち上がってきたんだ。だから、

 俺は、顎を引き身をかがめる。防御は全て盾任せ。左腕ごとくれてやる。

 体移動と同時に、右から地を這うような横滑りの一閃。――神話の時代から、魔を滅すといわれている伝説の宝剣。

 死に物狂いで手に入れた究極の一振りが、バランスを崩しながらも軌道を変え、掬い上げるような剣撃へと変化する。


 ――何処でも良い。かすり傷でも良いんだ。当たってくれればそれだけで良い。


 その碧く輝く刀身なら、あの魔王にも僅かばかりのダメージを与えることが出来るだろう。

 碧と朱。お互いの最速を持って、交差するふたつの閃光。

 祈りながらもがむしゃらに、俺は、手に持った両刃の剣を走らせた。

 そして、


「――見事だ」


 決着はほんの一瞬のこと。


 崩れた体勢と一拍遅れて来た衝撃波に、たまらず膝をつく。

 噴き出す汗と、鳴り止まない心臓の鼓動。

 さっきまでの轟音がウソのように、シンと静まりかえる城の中、……振りきった剣の切っ先が捕らえたのは、――僅かばかりの魔王の髪先。


「……ちくしょう」


 かたや、寸でのところで止まるヤツの拳。


 ……何が見事なもんか。結果なんて誰の目にも明らかだった。


 こともなげに俺の一撃を避け、その上で、コイツは構えた盾の数ミリ手前で、ピタリと拳を止めたのだ。

 俺をいつでも殺せる魔王と、ヤツに未だ届かない自分。

 結局、今回もまた手心を加えられた。

 しかも、皆の前で負けたのだ。

 いつかの侮辱と同様に、今度は各地の貴族や王様の前で、まだ俺では魔王に勝てないと、どうしようもないエセ勇者だと、堂々と晒された。

 別に、俺のプライドだけがどうという話ではない。

 皆の期待をまたもや裏切った、そのことに自分自身が許せなかった。

 せめて一撃と祈った。

 かすり傷でもいいと願った。

 だが、それでもまだ足下にすら及ばなかった。爪の先すらも届かなかった。自分のふがいなさに地面を睨み、しばらくは顔を上げれそうにない。


 ……いっそこの場でひと思いに殺してはくれないだろうか。


 ついには逃げとも取れる弱い心が顔を出し、いよいよ俺というボンクラは、あの時のどうしようもないボンクラのままちっとも変わってないじゃないかと、情けなくて涙が出そうになる。

 と、そんな時だった。


『――ふひっ』


 ――落胆する俺の耳が、何やら妙な音を拾ったのは。


 それは『ふひひっ』と、

 続けて『ふひひひっ』と。


 ふいに魔王の方から聞こえてきたのは、ヤツには似つかわしくないどこか気の抜けた声だった。

 反射的に顔を上げた先には、僅かに足りない髪の先を眺め、見たこともないくらいの満足げな笑みをこぼすアイツが。

 さぞご満悦のようで、ふひふひと持ち上がる口角をそのままに、溢れ出る笑みをどうにも堪えきれないようだ。

 俺としては、公衆の面前で無様を晒した勇者への嘲笑かと、そう捉えたのだが、


「強くなった! 余の期待どおり、お主は強くなってくれた!!」


 キラキラと目を輝かせながらまるで年頃の乙女が出すような声に、圧倒されてしまう。


「ほんの僅かとはいえ、余の髪を斬り払うなど、未だかつてない偉業であるぞ!!」


 なんだ? どうしたんだ? 普段見せない町娘のような立ち振る舞いに、俺の頭は混乱し、狂ってしまいそうになる。


「ほれ見ろ父様! コイツはスゴいヤツなんだ! 母様の言ったとおり、家柄とか種族とか、そんなもの関係ないんだよ! なにが『お前みたいな小娘が一時の感情で身を滅ぼす』だ。寝言は棺桶で言え! ばーかばーかっ! このクソ雑魚ロートル先代魔王めっ!」


 今のコイツにとって、目を白黒させる俺なんて蚊帳の外か。


「いつまで経っても子供扱いしよってからに! もう余も19だぞ! 現魔王ぞ! そろそろ子離れしろと、みな笑っておるわ!」


 魔王はココにはいない誰かを口汚く罵倒し、やったやったと足をジタバタさせながら小躍りするようにはしゃぎ続け、……どうにも魔王の世知辛い私生活を吐露されているようで、負けた苦しみと悲しみが、自分の中でどう処理していいものか、よくわからない感情になっていく。


「いやー、強いということは素晴らしいことだ。ふひひ、参ったな。これには他の老害どもも、今までのように反対なんぞ出来まいて」


 ついには妙な笑い声を漏らしながら、自分の両頬に手をあてて、何がそんなに嬉しいのかニッコニコ。

 その蕩けたような顔と仕草で、せっかく俺の中で今まで積み上げてきた恐怖の魔王像が台無しだ。


「案外、城は今ごろ大騒ぎかもしれぬな。ふひひ、まだ式典だなんだは先の話だろうに、大慌てで準備をはじめていたりして。『姫様がついにやったぞ! さすが、我らが魔王様だ!』なんてな、なーんてな!」


 そうひとしきり嬉しそうに騒いだ魔王は、ふいに「あ」っとなにか思い出すような素振りを見せ、……大袈裟に咳払い。

 遠巻きにだが、四方八方を多数の人々に囲まれて居ることに気がついたのか、二三度、辺りを見回した。


「そういう目で見られると、……余にだって羞恥心はあるのだぞ?」


 最後に、唖然とする俺からゆっくり視線を逸らすと、――この空気を仕切り直すように、もう一度、ゴホンと咳払い。


「……では、本題に入るとしよう」


 今までの乱痴気騒ぎがまるでなかったかのように平静を装うと、やおら虚空へと手を突っ込んだ。


「……い、いざとなるとやはり緊張するな。初めてだしな。まぁ、余から直々になのだ、光栄に思え……じゃないな、そういう物言いはダメだと母様に注意されたのだった。えっと、なんだったかな、まずいな、よくわからなくなってきたぞ。まず言って渡すのだったか渡してから言うのだったか……」


 しばらくブツブツと呟き、なにやらガサゴソとまさぐりながら、……「えぇい、ままよ」とぼそり。

 ヒビ割れた王城の床の上。

 跪く俺のすぐ前にペタンと座り、一度はにかんで「ほれ」両手に乗るくらいの小箱を手渡してきたのだ。


「あー、なんだ。えーっと、あれだ」


 頬を指で掻きながら、どこか落ち着かない様子の魔王から無造作に渡されたそれは、一目で高級だとわかる見事な革張りの一級品。


「本来、これを渡しに来ただけなのだが、お主がつれないことを言うものだから、ついな」


 なぜこの場でこんなモノを。

 更には目の前で自分の黒髪をせわしなくいじりながら、「いけ、余よ。頑張れ。あれだけ練習してきただろう。出来る。余ならやれる。いけ。勇気を出すのだ、余よ」だもんな。いよいよ俺には意味がわからない。


 モジモジくねくねと、なぁどうしたんだよ。お前らしくない。

 なぁ、なんでそんな潤んだ瞳で見つめてくるんだ。急に黙るなよ、こえーよ。

 なぁ、指を絡めてくるのはやめろ。ガッツリ関節が極まっている上に、力が強くて振りほどけない。

 なぁ、とても顔が近いんだが、俺取って喰われたりしないよな。

 なぁ、すっげーオシャレな匂いがするし、いつも以上にお前が美人すぎてクラクラするんだが、魔法とか使ってないよな。


 なぁ。


 ――どこかで、瓦礫が床に落ちる音がした。


「はッぴー、ばレンたイん」


 ……その一言に、たぶん俺だけの時間が止まったのだと思う。


 なんせ、その言葉を知っているのはこの場では俺ひとりのはずだから。

 目の前にはアイツがいて、そしてその前には俺しかいなくて。

 

 僅かに震えるアイツの手が、力強い眼差しが、俺の心臓を射貫く。


「むむ。いささか発音がおかしいか? これでも随分練習してきたのだがな」


 さっきまで混乱の渦に飲み込まれていた俺の脳ミソは、一転して真っ白で、もう、え? どういうこと?

 聞こえているはずなのに、何も聞こえてきやしない。理解できない出来事に、頭が上手く働いてくれそうにない。


「あイラブゆウ」


「ふぇっ!」


 このマヌケな声は、俺のもの。


 脳内を強烈な電気が走ったかのようだった。唐突に感覚が戻り、心音が上がり、顔が熱くなる。

 なんせ、魔王がたたみかけてくるんだ。お互いの鼻先が当たりそうな距離で、恨めしそうに唸るんだ。


「これもダメか?」


 お主の世界は、少し発音が独特すぎる。なんて、魔王は真っ赤な顔のまま、拗ねたようにアヒル口。

 いや、なんて言っているかも、言葉の意味もわかった。ようやくわかったけど、そんな顔をされても反応に困る。

 それに、言葉の意味だとかなんだとか、今の論点はソコではないんだ。

 だって、恋愛感情などまったくない相手なんだ。


『ここから南に行くと美しい湖があってな。そこにはなんと、男女で行くと “良いこと”が起きるという言い伝えがあるそうだ。……どうだ、ちょうど今、余とお主の二人きりなわけだが……』


 散々、俺たちを苦しめ痛めつけたヤツなんだ。


『おい、勇者よ。手製の弁当は “重い” という話を聞いたのでな、いくつか菓子を焼いてみた。――何を言うか! 毒など入れておらぬし、乱心などもしておらん!』


 美しく可憐なのは、見た目だけなんだ。それなのに、


『そ、そうかそうか! 仲間のメス共と、特に良い仲などではないのか! なに? 自分なんか全く相手にされていないだと? いやぁ、そうかそうか。にっひっひ。うんうん。それでこそ勇者だな!』


 俺は、ついぞ向こうの世界で誰からも言われたことのない言葉を、まさかこんな異界の地で、しかもこんな相手に言われるだなんて思いもしなかった。


『強くなれ。もっともっともーっと、強くなってくれ。そうすれば、余はお主を……』








 ――とある満月の日に、瓦解しかけた王城の広間で、勇者と魔王がふたり。地べたで膝をつき合わせ、にらめっこ。


 かたやムスくれたままぐいぐいと顔を寄せ、かたや寄せられたぶん、のけぞり離れていく。


「お、お前、さっきの言葉、の意味、ちゃんとわかってんのか?」


「……余の一目惚れだ、許せ」


 仲間や周りの人々が遠巻きに見守る中、ついには勇者と呼ばれた男がよりいっそう顔を赤く染め、


「それに、お主の世界ではこう言うらしいではないか。惚れたほうの負け。ならば、」


 ぽっかりと空いた城の割れ目から、月明かりが差した。

 青白い光がまるでスポットライトのように、ふたりだけを照らす。


「こればかりは、お主の勝ちだ」


 綺麗な黒髪が光をはじき、流れるような身体の造形は芸術品か。満月という舞台装置に照らされて、完成するその美しさに、ギャラリーも思わず息を呑む。


「でも、俺は勇者で、お前は魔お――」


 その真っ白な指が、男の唇に触れたとき、恥ずかしそうに微笑んだ魔王は、その瞬間だけ年相応の乙女に還ったようだった。

 どこからか、誰かの溜息が流れた。


 はッぴー、ばレンたイん。

 あイラブゆウ。


 もう一度、震える声で呟いた目の前の彼女に、青年はもう何も言えやしない。


「魔族は、強い者の為に生きていく他ないからな。仕方ない」


 乙女も、それ以上は何も言えやしないと、耳まで赤く染めた顔を床へと向けた。


 ふたりに向けられた控えめな拍手と共に、辺りには、ただただ懐かしいチョコの香りが漂った。








 ……それから先は、また別のお話。


「なーんで余が人間ごときに頭を下げねばならぬのだ」


「迷惑かけたんだから、まず誠心誠意謝る。それが基本だ」


「そんなことよりも、『ばレンたイん』の返事をだな」


「それが終わったら、次はお前の国のお偉いさん方と和平交渉だ」


「余の話を聞けと――」


「――返事はそれが全部片付いたら、な。今まで色々あったんだし、まずはお互いのことを知るトコからだろ? だからそのためにも……」


 ちょうど一年後の満月の日まで続く、 “勇者” の彼と “魔王” の彼女が、今とは少し違う関係になる為の第一歩。

 魔法使い、僧侶、戦士も加えた長旅のはじまり。


「ちょっとアンタ! コイツから離れなさいよ! 魔王のくせにずーずーしいのよっ!」


「ああん?」


「そうですそうです! 代わりに私が――」


「なんだキサマら? ここらでしっかりと上下関係しつけてくれようぞ?」


「ちなみに、俺は暴力的な女性が苦手だ」


「なっ!?」


「ふっふーん! ざまぁみろってのよ! あぁヤだヤだ。すぐに力でどうにかしようとする女っているのよねぇ」


「清々しいほどの満面の笑みですが、そういうアナタもそのうちのひとりですからね? その点、私は――」


「おうおう。昨日の敵は今日の友か。女性陣が仲良さそうで何よりだな」


「戦士のお前にはそう見えるのか? まぁ、ケンカするほどなんとやら。仲良しなのは良いことだな」


 犬も食わないチョコレートのような、どこにでもいる『ふたり』になるまでの、まだまだ先の長い、そんな “つづき” の別なお話。








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