第20話

 聴覚、嗅覚、味覚、触覚。視覚を除いた五感だけを頼りに生活し始め一年。


 全身で感じる自然が秀蔵にさまざまなことを教えてくれる。だから目が見えずとも、剣気を頼りにせずとも今の秀蔵は普通に生活を送れていた。


「大分仕上がってきたんじゃないかい?」

「そうですね。以前までどれだけ剣気に頼り切っていたか、今ならよくわかります」


 剣気がなくとも大丈夫。その感覚が秀蔵をより高みへと至らせる。


 玲那との打ち合いも押されるだけではなくなってきていた。


「……そろそろ剣気の制限を解放しようか」

「いいんですか?」

「今のあんたなら大丈夫さ」

「……では」


 一年ぶりの剣気。僅かな緊張感と共に秀蔵は意識を沈め心の裡へと潜り込む。


 その瞬間。


「ッッ!?」


 膨大な情報が剣気を通して秀蔵に流れ込んでくる。その勢いは凄まじく思わず感覚を遮断してしまうほどに。


「い、今のは……」

「心眼って、なんだと思う?」


 秀蔵の困惑をそのまま玲那は秀蔵に問う。


「そ、それは剣気を通して世界を見る技、でしょうか」

「まぁ大まかにいえばそうだね。それじゃどうして剣気を通すことで世界を見ることができるんだい?」

「……」


 言われて初めて秀蔵は疑問を抱いた。なぜなのか。そもそも剣気とは? 何故剣気を感じることで自分は世界を見れていたのか。


「剣気っていうのは世界という巨大な情報に接続する端子の役割を果たしている。それが私の推測さ」


 世界という巨大な情報。その言葉に秀蔵はピンときた。つい先ほど感じたそれが正にそう表現すべきものだったからだ。


 剣気を通して秀蔵は世界を見た。見すぎてしまったのだ。


「私はそこに至りたいのさ。だからこうして人の文明を極力排除し自然の中で自然に触れ、自然に交じって生きている。より強く世界と繋がりを持てないかとね」


 未だに至れる兆しは見えないけどね。と肩をすくめる玲那。


「あんたを弟子にしたのも、視覚を持たないことによって空いたリソースを剣気に割けば世界の情報にアクセスできるかもしれないと思ったからさ」

「そして俺はそこに至れたわけですか……」

「そうさ。私が何年もかけても至れない領域に。その力はあんたをより高みに連れていってくれるだろうよ」


 玲那は先ほどよりも真剣な表情で剣を構えた。


「さぁ。それがどう言ったものか、私に見せてちょうだい」

「……はいッ」


 秀蔵も刀を構えゆっくりと様子を見ながら開眼していく。


 感覚からして一割にも満たない。三分いった所で限界を感じた。


 それでも十分だ。感じ取った情報から玲那にはまだ勝てない。しかし玲那の望むものは見せられるだろう。


「いきます!」


 本当に一年ぶりかと思うほど剣気による強化がスムーズだ。さらにその身体能力の向上率も段違いに上がっている。


 地面に大きく足跡を刻み秀蔵の姿が掻き消えた。


 そばで見ていた莉菜の目では追いきれない速度。


 そんな秀蔵に驚くこともなく玲那は対応して見せた。


 金属同士が激しくぶつかり合う、剣戟とは思えない轟音。


 一撃を受けた玲那はニヤリと笑い駆ける。

 秀蔵を超える速度で瞬く間に背後をとって切り上げた。しかし振り向くこともなく体を傾けた秀蔵に紙一重の距離で躱されてしまう。


「私の動きを読んだね」

「これは、凄いですよ。師匠の次の動きがわかります」

「筋肉の動きから予測してるのかな。まぁそれくらい私でもできる。まだそんなもんじゃないはずだ。もっと、もっと絞り出しな!」


 言い終わるよりも早く玲那は突きを放つ。正に岩をも、いや、鉄すらも貫く一撃だ。


 玲那の期待がのせられた一突き。

 鋭敏になった感覚が時間を遅らせる中、秀蔵は突きの対応策を考える。


 今の秀蔵にできる事。玲那の期待に応えられる何か。読み取れる情報から何を成せるか。


「シッ!!!」


 思いついた時には体が動いていた。短く息を吐き捨て手元が霞む速度で振られた刀。


「私の剣を斬り落とすか」


 突きの半ば。根元から斬り落とされた剣身が地面に突き刺さる。と同時に秀蔵の刀の刀身が砕け散った。


「まだ甘かったみたいですね」

「それでも剣聖の剣を斬るなんてことをやってのけたんだ。二十年も生きていない剣客に出来る事じゃないね」


 今の秀蔵に出来るのはこれが関の山。

 しかしこの先に無限の可能性が広がっている。それを感じ取ることができた。


「さて取り敢えずはこれでお終いだ」

「お終い、ですか?」

「あぁ。秀蔵にはもう見えているだろう? 進むべき道が」

「……はいっ」


 もう手を引いてくれる相手は必要ない。秀蔵は一人でも進むことができる様になったのだから。


 秀蔵は自分の荷物をまとめ出立の準備を終える。


「しばらく親御さんに会っていないだろう。早く顔を見せに行ってやりなさい」

「わかりました。ご指導頂きありがとうございました!」


 東條家の前、秀蔵は深々と頭を下げる。長いようで短かったこの一年。得られたものは途轍もなく大きかった。


「……」


 莉奈が寂しそうに手を振った。

 一年間一緒に過ごしてきた。色々謎が多い少女だったが、沢山お世話になった相手。


「色々ありがとう。君には本当にお世話になった。また遊びに来るよ」

「……」


 何故こんな山奥にいるのか。何が原因で口が聞けないのか。


 どうして澱み腐った血の様な赤い眼・・・・・・・・・・・・をしているのか。


 この少女の存在が何を意味するのか。


 秀蔵にはまだわからない。

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