第42話 燃える鉱山

 アクセルは不穏な気配を感じて、寝床から身を起こした。彼だけではなく、既に何人かが困惑顔を持ち上げていた。サーシャもそのうちの一人である。



「アクセル様、何だか地震が多くないですか?」


「確かに。それと、どこか焦げ臭いような気がする」


「大丈夫ですかね。いきなり天井が崩れてきたりしませんよね?」


「どうとも言えんな。危険になれば、速やかに脱出するだけだ」



 その時アクセルは、空の寝床に目を向けた。ウセンが居ない。昨晩に出ていく姿は見ていても、戻る場面は記憶になかった。



(あやつ、どこかで気絶でもしているのか?)



 呆れる想いになりつつも、頭の片隅に小さく走る不吉さ。口の中には一時だけ、苦いものを感じてしまう。その味が不吉さを裏付けるようにも思えた。


 そんな最中に続けて凶報が届く。今度は不穏という次元ではなかった。明確な脅威である。



「逃げろ、アリだ! アリが来るぞーー!」



 囚人の1人が、息を切らしながら駆け回る。すると付近はパニックに陥り、誰もが我先にと逃走し始めた。


 アクセルが鋭い視線で状況を観察する。その傍らで、サーシャが身を寄せながら告げた。



「どうしましょう。ワタクシ達も逃げたほうが……」


「確かに。こんな狭い場所で敵に襲われては、多大な被害を出してしまうな」



 アクセル達は作業場に躍り出ると、そこは既に戦場だった。


 物陰からは火焔アリが、1匹2匹と現れる。そして手当たり次第に、囚人達へと襲いかかった。



「ヒエェ! 誰か助けてくれ!」



 アリは囚人の上から覆いかぶさり、牙で噛みつこうとする。囚人は相手の頭を押さえる事で抵抗するのだが、劣勢だ。眼前で牙の先端がギラリと光り、頭蓋を砕こうとして徐々に迫り来る。


 そんな窮地に、アクセルが脇から急襲した。アリの腹を蹴り上げては壁に叩きつけてやる。それだけで魔獣は黒煙とともに消えていった。



「怪我はないか?」


「あ、ありがとうごぜぇます。お陰様で無事ですぜ」


「ともかく逃げろ。地上を目指して走れ」



 アクセルの判断は波紋の如く広がっていく。そしてポメロンが先導する形で、皆が出口に向かって殺到するようになる。


 だが、その列は途端に歩みを止め、停滞してしまった。急げという叫びに、押すなという怒号が返される。



「お前たち、何をグズグズしている!」



 最後尾のアクセルは、付近のアリを撃退すると、速やかに駆け出した。囚人で埋め尽くされた通路の、天井を這って追い越してゆく。さながら蜘蛛のようで不気味な動きだが、わざわざ指摘する者はいなかった。



「ポメロン。早くしろ、敵の第二波が来るぞ!」


「アクセル様、ダメです! 見張りの野郎が逃げやがった! このクソ鉄格子が開かねぇんです! 鍵も見当たらねぇしで、完全に閉じ込められ――」



 フンッ! バキッ!



「これで問題ない。さぁ逃げろ」


「鉄格子を素手でブッ壊すとか……やっぱりバケモンだ……」


「感心してる場合か。とにかく行け!」



 脱出路が作られるなり、囚人たちは我先にと逃げ出してゆく。そうして全員が掃けた所で、アクセルは殿(しんがり)となって立ちはだかる。



「さぁ来い。此処を通りたくば、私を倒してみせよ!」



 鉄格子の抜け穴は開いたままだ。アリはそこから苦もなく這い出ては、アクセルへと襲いかかる。


 しかしそれはアクセルにとって好都合だった。1匹ずつが、決まった方向から攻め寄せてくるのだから。的確に、着実に敵を葬ってゆく。


 アリ達は数に物を言わせて、間断なく攻めかかるのだが、達人の拳によって粉砕されてゆくばかりだ。



「ムゥ……。一体どれだけの数が居るのか。途方もないな」


「どうしましょうアクセル様。そろそろ逃げちゃいます?」


「さすがにこれだけの魔獣を放置する訳にはいかん。炎魔法があれば、楽に倒せるのだが。ウセンはどこで油を売っているのやら」


「油……油ッ!」



 サーシャは弾かれたように周囲を駆け回った。騎士の詰め所には、酒や食料が少なからず常備されている。


 その中から調理油の瓶を掴むと、壁掛けランプも続けざまにもぎ取って、アクセルの元へと駆け戻った。



「不肖サーシャ! 愛の名のもとに助太刀いたぁす!」



 サーシャは封を切った瓶を投げつけた。それは絶妙なるコントロール。鉄格子の隙間を危なげなくすり抜けては、後方のアリに命中した。瓶からは油が溢れだし、付近の地面をテラテラと濡らした。


 それから間髪入れずに投げつけられたのはランプだ。落下した拍子に、ランプのガラスが盛大に砕けた。すると、中身の火霊石がこぼれ落ちる。照明の為に煌々と燃え続けた石は高温で、油が引火する程である。付近は瞬く間に激しく燃え上がった。


 こうして魔獣の群れは、抗う間もなく炎の渦に飲み込まれてゆくのだった。



「おぉ、やるではないかサーシャ。実に精密な投擲(とうてき)だったぞ」


「エヘヘ。昔から得意なんです。物を投げたりするのってゲホッゲホ!!」


「とにかく煙が凄まじいな。我々も脱出するぞ」



 アクセルはサーシャを小脇に抱えては、猛然と駆け出した。充満し始めた黒煙を追い越し、急峻な坂道を駆け上がってゆく。そして地上の光を見て、それを全身に浴びた。


 久しぶりの太陽は、こんな時でさえ心地よい。心がほんの僅かに緩みかけた、まさにその時だ。不意に向けられた殺気。前に転がって避ける。アクセルの背中を、六足の何かが飛び越していった。



「ここにも火焔アリだと? 別のルートからやって来たのか!」



 アリの数はみるみる内に増えてゆく。あちこちで地面に穴が開き、そこから這い出てくるのだ。



「キリがない。一体どうすれば」



 アクセルは、退きながらも応戦する構えをとった。2匹3匹と迎撃しては逃げる。駆け出した先で、また新手と闘う事を何度も繰り返した。



「街まで逃げられれば安全だと思うが、その退路が……!」



 逃げた先の地面に穴が開き、そこからアリが襲いかかってくる。戦っては穴を避け、逃げ回るのだが、とにかく敵が多すぎた。


 せめて両手さえ使えればと思う。だが、それではサーシャを危険に晒す事になる。多方面から襲いかかるアリの動きに、か弱き少女が対抗出来るはずも無いのだ。



「どこか安全な場所は! 時間稼ぎが出来そうな場所は無いか!」


「アクセル様、あっち! 坂の上!」



 サーシャが指差すのは、小高い丘だ。そこは一帯が岩場で、多数の囚人や鉱夫が集まっては、魔獣相手に防戦を繰り広げていた。


 岩を落とす。ツルハシで殴りかかる。間に合せの装備しかなく、苦戦を強いられてはいるものの、一応は戦線を保てている。


 すかさずアクセルは方向を変え、そちらへと急行した。



「アクセル様が来た! これで助かるぞ!」


「お前たちサーシャを守れ!」



 辿り着くなりサーシャを委ねると、アクセルは鎖を解き放った。そして剣を抜く。その美しき刃は、真昼の太陽を凌駕する程に眩く輝いた。



「行くぞ魔獣ども、覚悟は良いか!」



 アクセルは剣を煌めかせては、敵の群れに突進した。舞い踊るかのような剣技は、心を奪い去る程に美麗であった。居合わせた者たちは、ここが死地である事すら忘れてしまい、ただただ見惚れるばかりになる。


 剣技の冴えはもとより、剣の性能も抜群である。瞬く間に火焔アリを両断しては、鮮やかに葬り去る。あちこちで青い血飛沫が飛び、分断された足や腹が無数に散らばってゆく。一方でアクセルには手傷の1つさえ付けられてはいない。


 やがて辺りが静けさを取り戻した頃、無数とも思える魔獣は一掃されていた。



「すげぇ……。タダモンじゃねぇと思ってたが、ここまでかよ……」


「1人で全部やっちまいやがった。50匹は倒したんじゃねぇか?」


「バカ野郎。もっとだよ、100匹は殺ってんぞ」



 アクセルは剣を戻しつつ、生存者達に眼を向けた。サーシャにポメロン、見知った顔がいくつも。そのうち、心の片隅に見え隠れした懸念が、一層強くなってゆく。



「誰か、ウセンを見てないか?」


「ウセンって魔術師みてぇな兄ちゃんですよね? そういや見かけてねぇな」


「あやつめ。もしかして……」



 アクセルは思わず語気を強めた。しかしその時、1つの悲鳴が事態の悪化を告げた。



「おい、あそこを見ろ! マズシーナが!」



 一同は、指が差された方に眼を向けた。すると、そこには地面を埋めつくすほどの、大量の火焔アリの姿があった。それは一矢乱れず侵攻し、先頭は既に城壁付近を脅かしていた。


 マズシーナに入城しようとする行列も、既に無い。皆が馬にムチを入れて、窮地の街から遠ざかって行った



「これは、陥落しちまうのか? オレ達の故郷が……?」



 不吉な言葉を否定できる者は居ない。マズシーナでは守備隊が防衛しているのだが、敵が多すぎる。いずれは落とされるだろう、魔獣に蹂躙されるだろうと、暗い未来を予感した。


 アクセルも唸り声を挙げては、成り行きを見守った。街を助けるべきとは思う。しかし、サーシャ達を此処に置き去りにするのも危険だった。


 考えあぐねた結果、彼は1つの結論に辿り着いた。



「敵の頭を叩く。恐らくは鉱山に居るだろう。良からぬ気配が感じられる」


「鉱山にって、これからですかい!?」


「そうだ。群れのリーダーさえ倒せば、全てが解決に向かうはずだ」


「マジかよ。中にはまだ、敵がウジャウジャ居るかもしんねぇのに……」



 その時、待ってと叫ぶ声がした。男たちを掻き分けて現れたサーシャが、そう叫んだのだ。



「このまま逃げましょうよ! アクセル様に街を守る義理なんて無いじゃないですか!」


「そうだな。私の役目ではあるまい」


「だったらどうしてですか! わざわざ危険を冒すだなんて!」


「それはな、私が知ってしまったからだ。人の世を。人の想いというものを。旅に出た当初、人間とは汚れた存在だと感じた。虐げ、抑圧し、搾取する。そんなものばかりであると」



 アクセルは遠くのマズシーナに眼を向けた。城壁から雨のように弓矢を射つ事で、辛うじて防衛に成功する様が見える。



「だが早合点だった。人は夢を抱き、愛し愛されようと懸命になる。その想いに苦しみもするが、生きる意味になる。前を向いて歩むことの出来る、強さにもなる。たとえ儚く、力及ばずに潰えようともだ。あの街にも数え切れない想いがあるのだろう。コウヤ、そしてシボレッタのようにな」



 アクセルは視線をサーシャに戻した。その瞳には温かなものが入り交じる。



「そんな善きものが、力づくで踏み潰されるのは忍びない。仮に私が弱者であれば、このまま逃げただろう。しかし強者として存在するのなら、闘う術を持つのなら、進んで矢面に立たねばならん」



 アクセルは剣の鞘を抜き払った。虚空を切る音が、相槌のようにも聞こえる。



「だから私は行く。サーシャよ。お前は皆と協力して、この場を死守せよ。下手に動き回るよりは安全だ」


「アクセル様……。だったら、ワタクシも……!」



 一緒に連れて行って。喉元まで出かけた言葉は、少女の胸まで落ちていった。それから口にしたのは、全く別のセリフであった。



「ご武運を。アクセル様が戻られるまで、決してここから動きませんから!」


「良いだろう。すぐに戻る」



 アクセルはサーシャの頬に指先を添えた。そして、流れ落ちる涙を拭ってやった。



「心配するな。強力な助っ人が鉱山で待っている」


「それってまさか?」


「ウセンだ。あの男が今どこに居るのか、おおよそ目星が着いている」



 アクセルはそう告げると、一度だけ微笑み、身体を翻した。走り出したら脇目も振らない。


 そうして山道を駆け抜け、木々を飛び越してゆく。速やかに鉱山へ舞い戻ると、何ら躊躇せず、坑道を降っていった。



「煙はもう抜けた後か。幸先良い事だな」



 内部の様子はと言うと、比較的平穏である。稀にアリと遭遇することはあっても、囲まれることもなく、各個撃破して進んでゆく。


 ひしゃげた牢屋を抜け、焦げ付いた道を進む。すると作業場に辿り着いた。



「ウセンよ、アクセルだ。お前の力を貸してもらうぞ!」



 叫んでみたものの返事がない。仕方なくアクセルは便所へと急行した。



「早くしろ。故郷の窮地だろうが」



 アクセルは木の扉を無遠慮に開いた。しかし、そこに人影はない。用便の穴が見えるだけだった。



「おかしいな。昨晩にトイレへ行くと言って出たきりだ。てっきり、ここで気絶してるものだとばかり……」



 首を左右に捻って、消えた仲間の足跡を探そうとした。しかしそこへ、肌を差す殺意とともに地鳴りが駆け巡る。


 アクセルが振り向けば、そこには天井に迫るほどの巨体が見えた。



「お前がリーダーか。私の睨んだ通り、鉱山に潜んでいたのだな」



 剣を構えたアクセルだが、相手が先手だった。火焔女王は足踏みすると共に、甲高く耳障りな声を響かせた。


 すると、転げそうになる程の地震が起きた。間もなく地割れまで生じ、アクセルの足元に大穴が開いてしまう。



「し、しまった!」



 抗う間もなく、アクセルは奈落の底へと落ちていった。


 その場に残る火焔女王は、地割れの方など目もくれない。付近を流し見て、打ち捨てられた荷車に向かって歩き出した。荷台には、掘り出された火霊石が満載だ。


 火焔女王は大きな口を近づけると、手当たり次第に齧りだした。そして一山分を食べ終えると、今度は身体を震わせて、力む。すぐに腹の先端からは、数十もの卵が飛び出した。


 そこで火焔女王はもう一度鳴き、暗い坑道を歩みだした。我が物顔で闊歩する魔獣を、止めようとする者は、この場に居ない。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る