第21話 襲撃に晒されて
アクセルは浅い眠りから目覚めた。夜中に不釣り合いな足音が、酷く気にかかるのだ。やがて微かに、悲鳴混じりの声までもが聞こえてくる。
「魔獣だ! 魔獣が襲ってきたぞ!」
次第に喧騒が厩の方へ近づいてくる。騒がしさに気づいたのは、アクセルだけでない。野生本能から馬はブルルといななき、耳を忙しなく四方に向ける。タヌキもタヌタヌッとした震えを止める事ができない。唯一眠りこけるのはサーシャだけであった。
「起きろ。何やら不穏な気配だ」
「ダメだってアクセルさん。そんなところ、汚いから……」
「寝ぼけるな。まずは起きろ」
「へぅぅ〜〜。もう朝なの?」
「いや、まだ夜明けを迎えていない」
アクセルは厩の入り口から外の様子を窺った。辺りは暗い。普段であれば、村の外周と、大きな通り沿いの随所にかがり火が灯されている。しかし今は月明かりがあるばかり。青い月光が、闇雲に逃げ惑う人々を照らしている。
「どうして! 何でかがり火が消えてんのよ!」
「おい、こっちはダメだ! 魔獣が来るぞ!」
そう叫ぶ男も、屋根の上から襲いかかるグレイウルフに食われた。瞬く間に数体が群がり、男の身体を食い漁る。断末魔の叫びの後、彼の身体は石化した。地面に横たわり、夜空に向かって手を差し伸ばす様は、何か許しを乞うかのようだ。
阿鼻叫喚。村人たちは為すすべもなく、逃げ惑い、続々と餌食になってしまう。
「見過ごすわけにいくまい。サーシャはここに隠れていろ」
「アタシも行く! 何かの役には立てると思うから」
「正気か。この先は死地だぞ」
「だって、グレイウルフは鼻が利くんでしょ。隠れてたって意味ないもん」
「……いいだろう。私から離れるなよ」
言い終えた矢先、アクセルは厩から飛び出した。倒されたかがり火台を飛び越す。その間に2人の村人とすれ違った。彼らが向かう先が安全かは、アクセルも知らない。
「敵はどこだ。せめて全貌くらい掴んでおきたい」
壁をレンガ伝いに登り、屋根の上から見渡す。どこも暗闇だが、音の出処は掴めた。悲鳴や足音の多くは、村中央へと向かっているようである。
「よし。まずは生存者を守りつつ、魔獣どもを撃退……」
「キャアアーー! アクセルさぁぁん!!」
階下の道でサーシャが叫ぶ。2頭の敵に追い立てられているのだ。
アクセルは急行しようとする。しかし、首筋に殺気を感じ、その場で伏せた。
頭上をグレイウルフが飛び越した。そのまま通過する事を許さず、魔獣の後ろ足を掴み、レンガの壁に叩きつけた。立ち昇る黒煙。撃滅に成功した証だ。
しかしそのタイムロスは致命的だった。逃げ惑うサーシャは躓(つまづ)いて倒れ、絶体絶命の危機に陥る。彼女を脅かす敵が近すぎた。もはや飛び降りても間に合わない。
「やむを得ん! ジッとしていろ!」
アクセルは剣の縛めを解くと、その鎖をムチのようにして振るった。サーシャに飛びかかろうとする2頭に、鎖が同時にヒットした。尋常でない重さだ。その衝撃で石畳は粉々に粉砕され、大きなクレーターが生じる。
「無事か、サーシャ!」
アクセルは大穴に向かって叫んだ。やがて、穴の縁に手がかかり、青髪の少女が顔を覗かせた。
「あは、は。死ぬかと思った……」
「怪我はないな? 村の中央まで駆けるぞ」
アクセルは震え続けるサーシャを小脇に抱え、闇夜の道を駆け抜けた。やがて大きな井戸と、右往左往する村人達が見えるようになる。
「皆、落ち着け! 無闇に動き回るんじゃない!」
アクセルの声は届かなかった。誰もが恐怖の虜であり、必死に逃げ道を探すか、助けを求めるかで、大混乱となっていた。
「こっちもダメだ、魔獣だらけだぞ!」
「どうにかして灯りを用意しろ、ここもすぐに襲われるぞ!」
「ママ! 起きてったら、死なないでよママァーー!」
「誰か助けておくれ! 孫が魔獣に襲われてるんだよ!」
「離せよババァ! 他人になんか構ってられっか!」
石像に泣き縋る子供。助けを求めるが、無慈悲にも振り払われる老婆。そうして自分自身の安全を優先した男も、グレイウルフに喉元を噛まれて石化する。
全滅。皆殺しだ。誰もが死を意識して、ヒステリックに叫ぶ。だがその時、彼らは信じられないものを見た。
それは待望の、目もくらむ程の光であった。真昼のような輝きが、絶望する人々を七色に染め上げた。自然と皆の視線が集まる。高々と掲げられた、アクセルの剣の方へと。
「お前たち、落ち着け。一致協力しない事には、この危機を乗り越えられんぞ!」
「ひ、光だ。なんて美しい……」
「おい見てみろ! 魔獣どもが光を嫌がって、寄りつけねぇみたいだ!」
「お前たちの安全は、この剣聖(仮)のアクセルが保障してやる。老人と子供は私の下に集めろ。動ける者は、何か燃やせる物を集めてこい。ここを拠点にするぞ!」
アクセルの神剣は確かに効果があった。井戸の一帯は魔獣の気配が薄くなる。しかし、脅威が去ったと言うより、押し留めただけである。光の及ばぬ暗闇には、依然として赤々とした殺気が浮かび、牙を剥いて唸り続ける。
「急げ、お前たち! 1人でも多く生き残りたければ死ぬ気でやるのだ!」
「無茶言うなよぉ……もう腰が抜けちまって動けねぇ」
「安心しろ、石化しても治してやる」
アクセルはサーシャを呼び寄せると、薬壺を手渡した。そして、側の石像を治療するよう頼んだ。
サーシャが噛み傷に薬を塗りつけると、瞬く間に石化は解けた。快癒したのは若い女性だ。その場に座り込んで呆然とするのだが、自身の息子と包容した事で、冥土からの生還を噛みしめるのだった。
「見ただろう。これで死ぬことはないのだ。だから早く、焚き火の用意を!」
「よ、よぉし。そういう事なら……!」
男たちは意を決して駆け出した。そして付近の家屋から、手当たり次第に資材を集めようとした。ランプに木材、燃えかけの薪。少しずつだが、材料が揃い始める。しかし、決して順調と言えるものではなかった。
「ギャァア! 助けて……ッ!」
物陰は未だに死地であった。光の遮られる物陰では、魔獣どもが牙を剥く。抵抗する暇もなく、皆が石化の憂き目にあう。すかさず薬壺を携えたサーシャがそちらへと駆け寄るが、彼女までも危機に陥った。
「伏せろ、サーシャ!」
アクセルはその場で石礫(いしつぶて)を投げ、グレイウルフの額を貫いた。それで撃滅。サーシャは手早く治療を済ませ、資材をかつぐ村人とともに帰還した。
「遅々として進まんな。おのれ、私が動けさえすれば……」
もどかしい。アクセルは無力さに苛まれた。
皆は良くやっている。石化の治療に駆け回るサーシャも、資材を集める村人達も懸命だ。彼らなりの全力だとは理解している。
しかし、状況は悪化するばかりだ。安全を確保できたのは井戸の周辺のみで、村人全員を救うには狭すぎる。実際、四方から聞こえる悲鳴は、今も変わらず続いていた。村中央までたどり着けなかった人々は、為すすべもなく蹂躙されるだけだった。
そのうち、一方向だけが静まり返る。他と比べて悲鳴の1つも聞こえない。そちらの住民全てが毒牙にかかり、石化したのだろうと理解した。
「戦力が足りない。せめてあと一人、魔獣と渡り合える戦士が居たならば……!」
アクセルは歯ぎしりした。一体何が最善か、どうすれば多くを救えるか、結論の出ない思案は続く。
その時、遠くの家屋のドアがけたたましく開いた。宿屋だった。そこから数名の足音が現れ、漆黒の闇に響きわたる。やがてアクセルの元へ、3名の男たちがやって来た。
臨戦態勢、抜剣したギルゼン達である。
「そうか、お前たちが居たな! これは心強い……?」
待望の援軍だった。アクセルの顔も喜色に塗れるのだが、間もなく曇り、沈む。
ギルゼンは剣こそ抜いているが、ローブ1枚のみで、ズボンすら履かないという出で立ちだ。裾の隙間から、うっかり雄しべが頭を覗かせかねない。更には顔まで真っ赤で、足取りも酷く怪しい。離れていても酒臭いと分かる程の醜態だった。
「これは果たして、役に立つのか……?」
「おい貧乏剣士。一体何事だ、説明しろ」
「魔獣が襲撃してきた。今や、村の至るところが戦場と化している」
「何だと!? だったらこんなクソ田舎に居られるか! お前たちは、僕が逃げ切るまで敵を食い止めろ。ガキの1匹さえ、命を惜しむんじゃないぞ!」
ギルゼンは手前勝手に罵ると、身体を左右によろめかせながら夜道を駆けていった。その前後は家来の2人が固めており、押し寄せる魔獣を打ち倒していく。やがて、主従達の背中は見えなくなった。
「何しに来たんだアイツらは。うっかり喰われて石化してしまえ」
アクセルは悪態をもって見送る。それはさておき、戦況は依然として悪い。魔獣達の攻撃は執拗で、思うように灯りの用意が整わない。治療法があるとはいえ、一般人にとって魔獣は恐ろしき相手だ。丸腰で向き合うには強大過ぎた。
そこへ更なる凶報が届く。決定打とも言えるサーシャの叫び声が、絶望的な恐怖をもたらしたのだった。
「アクセルさん、薬が尽きちゃった! もう治せない!」
「分かった。全員、一旦戻れ!」
号令をかけるより早く、村人たちは逃げ戻ってきた。そして井戸の周りにランプの灯火が並び、木材にも火がかけられた。
「どうだ。これで足りそうか?」
「ダメだろうよ。ランプの炎くらいじゃ魔獣はビビらねぇし、焚き火の方もすぐに燃え尽きちまう」
「木材は私が調達してくる。皆はここで待て」
アクセルは剣を石畳に突き刺し、たった1人で闇に身を躍らせた。まずは酒場に潜り込み、木のテーブルを手当たり次第に粉砕。一抱え分の木材を得る。
「燃えはするだろうが、夜明けまで保つのか?」
やはり薪が必要か、保管場所はどこかと視線を巡らせると、屋外から悲鳴が聞こえた。
「アクセルさん! 剣の光がどんどん弱くなってる!」
「何だと!?」
ドアを蹴破り、大通りに駆けつけた。サーシャの言葉は正しかった。剣の光は陰りだし、明滅を繰り返すようになる。
「何てことだ。私の手から離れると、効力を失うのか……!」
辺りには、既にグレイウルフが集結していた。光が消える事を見越しており、その瞬間を虎視眈々と窺っている。
「早く戻らねば……。ええい、退け!!」
行く手を阻むグレイウルフ達。押し寄せる牙を、爪を避けつつ血路を開く。目まぐるしい猛攻を防ぎながらも、一歩ずつ距離を詰めていく。
その時、井戸の反対側から悲鳴があがる。光が弱まった事で、脅威に晒される者たちが出始めたのだ。
「クッ……待っていろ、今すぐ……ッ!?」
焦りは、油断と隙を生む。ほんの一瞬の間を突かれてしまい、アクセルの胸に一筋の傷が刻まれた。
途端に硬直し始める身体。まず両手の自由を失い、すぐに首と膝も動かせなくなる。
「ま、まさか。こんな所で……」
その呟きすら、口元が固まった事で止められる。石化とは無情だ。最後の言葉すら許してはくれないのだ。
しかし後悔の念すらも、冷たく、灰色に染められてゆく。魂の芯までも凍てつくようで、止める手立てもなく、命が奪われるのを待つばかりだ。
それに伴い、アクセルの意識も次第に遠ざかる。すると、どこかからか、悲痛に泣き叫ぶ声が聞こえてきた。
「嫌だ! そんなの嫌だよアクセルさん!」
サーシャだ。こちらへと駆け寄る姿が、視界の端に映る。
(戻れ。光のある方に。お前まで餌食になってしまう……)
せめて指の一本さえ動かせたなら。やはり、動かない。
間もなくグレイウルフたちがサーシャに襲いかかった。アクセルには為すすべもなく、ただ成り行きを見守るばかりだ。その瞳も、端から徐々に灰色へと染まっていく。
死が訪れる。誰彼構わず、命が踏み潰されてしまう。絶望の未来は避けられず、定まったかのように思えた、その時だ。辺りに力強い叫び声が響き渡る。
「皆の者、目をつぶれーーッ!」
すると、井戸の側で閃光が煌めいた。ほんの一瞬の輝きだったが、目がくらむ程に眩しい。
それは攻撃だった。付近にひしめいた魔獣たちは、絶叫をあげる暇も無く、その全てが黒煙に包まれて消えた。まさに一掃とも言うべき大戦果である。
「アクセル、サーシャ、しっかりせい。今助けてやるぞ!」
アクセルは、瓶の中の水をかけられた事で、自由を取り戻した。全身を確かめるように関節を曲げてみる。指一本に至るまで正常だった。
復活したのはサーシャも同じだ。目を白黒とさせて、訳が分からなくなり、とりあえずアクセルの胸に飛び込んだ。
「何やら奮戦してると思えば、やはりお前さんだったかアクセルよ」
「シナロス。一体何を……?」
「出血大サービスだ。蔵の中から使えそうなものを、片っ端から引っ張り出した。これだから商いが上手くいかんのだな」
シナロスは、自分の白い歯とともに、肩掛けの革袋を見せつけた。大きく膨らんでおり、揺らすだけでガチャリと重たい音が鳴る。
その姿を見るだけで、アクセルの胸は熱く燃え盛った。そうして火が点いた熱意は、笑顔となって現れる。
「アッハッハ! お前が商売下手で助かったぞ、シナロス!」
「いやはや、面と向かって言われると、少し刺さるものがあるな」
「皆、これで助かる算段がついた! 焚き火を燃やせーー!」
アクセルは再び剣を掴んでは、光を煌めかせ、辺りの人々を照らした。絶望の底に突き落とされた村人達は、間もなく活力を取り戻した。火起こしだけでなく、石像の回収に治療にと忙(せわ)しなくなる。
「黒幕よ、待っていろ。反撃開始だ……!」
アクセルは柄を力強く握りしめた。その意志を反映してか、刃はさらなる光を煌めかせた。
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