特別な日に、特別な感謝を、君に

八咫空 朱穏

特別な日に、特別な感謝を、君に

 私は差し入れを持って、スミレの書斎しょさいに向かう。彼女は、大体書斎で研究しているか、魔導書まどうしょを広げたまま椅子いすに座って寝ているかのどちらかだ。

 今日は、研究に熱中している方。今日に関してはこっちの方が都合がいい。


「スミレ、おはよぉ」

「おはよう、フェネル」

「最近、研究続きで疲れてないのかい?」

「好きでやってるものだもの。疲れるけれど、苦じゃないわ」

「そういうものなのかねぇ」

「あなたのフォレスフォードでの仕事と一緒よ」


 そういうもの、なのかなぁ。私の仕事ははあんまり頭を使わないけど、スミレのは滅茶苦茶めちゃくちゃ頭を使っている気がする。

 そんなスミレには、糖分とうぶんが必要だと思う。コーヒーとお菓子かしの包みが数個ったトレーを、つくえの空いたスペースに置く。


「これ、いつもの差し入れだよぉ」

「ありがとう、フェネル」


 いつものように、スミレは魔導書に向かってお礼を言うと、空いた方の手で茶色の包みに手を伸ばす。目を離してしまうと、読んでいる箇所を再び探すのが面倒らしい。私は理由を知っていて、慣れているから特に何も感じない。

 包みをつかむと、何か異変を感じたのか、顔がお菓子の方に寄り道してから、私の顔を向いて止まる。


「あれ? 今日はいつものじゃないの?」

「そうだよぉ。なんでか、わかるかなぁ?」

「……いいえ。わからないわ」

「そうかぁ。でも、今日だけの特別仕様、ちょっとだけお高いお菓子だよぉ」

「あなたの特別は、そんなに特別じゃないじゃない」

「今日のはちゃんと、ほんとに特別だよぉ?」

「ほんとう?」

「ほんとだよぉ。それじゃあ、魔法の研究、頑張がんばってねぇ」


 何か言いたげなスミレが言葉を発する前に、私は彼女の前から姿を消す。


 スミレへの差し入れを届けた後は、店を開けに行く。地下の書斎しょさいから階段を上って、店のある部屋まで歩いてとびらを開ける。


「うわぁ?! なんじゃこれぇ?!」


 扉を開けると同時に、茫然ぼうぜんとする。いつもの森が、いつもの姿をしていなかった。


 ゆかが、いつもの優しい緑じゃない。


 いつもは、大樹海の下草やらこけやら黄色のかわいらしいリュウキンカやらが生えていて、自然を感じられる場所。しかし今、その場所には、バラにダリアにカスミソウ、そしてカーネーションが生えている。白とピンクと赤の、派手な絨毯じゅうたんき乱れている。

 かべの方はいつも通りの景色だから、派手な絨毯と合わせると凄くシュールな感じがする。


「ほえぇ……」


 これがだれの仕業なのか、何のためにやったのかはすぐに理解した。


 これは、使い魔のメィリィの悪戯いたずらじゃない。これをやった犯人は、メィリィの主のスミレ以外にいない。感謝の言葉がめられた魔法まほうの絨毯を作れるのは、彼女しかいない。


「いやぁ、知らないふりして、ちゃんと用意してたんだねぇ」


 今日、店の床はこのままでいい。壁の方をちょっといじって、森の中の花畑ということにしておこう。


 壁に魔法をけると、私はスミレの書斎しょさいに向かう。


 店を開けるよりも先に、するべきことができた。




 書斎の前に戻ると、いつもより少しだけ勢いよく、ノックもせずに書斎の扉を開ける。


「いきなり開けないでよ。びっくりするじゃない」


 謝るよりも、先に。

 伝えたいことがある。


 扉を開ける前にノックをする。決められたルールを破ってでも、言いたいことがある。 

 

「スミレ、ありがとねぇ」


 スミレの少しだけとがった口元がゆるんで、目が細くなる。


「喜んでもらえて良かったわ。ねぇ、私からも言わせてよ?」


 スミレは目を閉じ、ゆっくりと息を吸う。


「いつもありがとう、フェネル」


 私の顔も、緩んでいくのがわかる。


『ハッピーバレンタイン』

 

 ふたりの顔に笑顔が咲いた。

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特別な日に、特別な感謝を、君に 八咫空 朱穏 @Sunon_Yatazora

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