第1話 魔女の夢①

 獏にはその血筋以上に迫害される所以があった。

 それは獏が生まれつき持つ人の夢に入る能力だ。魔女がその子孫と夢で会い、人間に復讐を続けるためだと言われているが真偽は定かではない。

 夢に入る理屈を問われると難しい。しかし若干人生十七年、経験に基づいて方法は簡単だと言い切る事が出来た。わざわざ文献を引っ張ったり、根拠を並べて導いたりするまでもなく、それは自明なことだった。

 私には眠っている人の近くに一冊の本が見えた。それは人によって厚かったり薄かったり、新しかったり古かったりした。色や形状となると非常に多岐に渡った。こういった違いを夢の感情と表現するのが正しいかは分からない。しかし、決まってクローゼットの奥から出てきたような、くすんだその色からは、澄んだ空みたくすっきりとした感じはしなかった。

 そんな沈んだ色調を覗くと、私の体は、意識は、濁りへと――深く、深く沈んでいった。人の夢に入る方法は至極単純だった。

 この奇妙な力で周りの人には散々な目に合ってきたのだが、私にとってみればこの能力は当たり前で、とにかく理不尽だと思っている。

 なんせ今もこうして迷惑を被っているのだから……


「……」


 大きな赤い舞台幕が上がっていく。後ろは真っ黒で何も見えやしない。夜遅くの空ですら星の明かりで雲が薄っすら見えると言うのに。

 前には等間隔にランプで照らされた絨毯の道が見える。

 木で建てられた舞台から降り、私は終わりの見えない回廊をただひたすらに歩きだす。


「いや、厳密にはまだ夢ではない、か」


 魔女の回廊。

 それは夢へと繋ぐ道。


「……!」


 突如として回廊はメトロノームだけの摩訶不思議な空間へと形を変えた。

 四方八方、等間隔に無数と置かれたメトロノームは私の呼吸と合わせてまるで時を 刻むように音を立てた。反響などしない、ただただ真っ白な空間で、その音は通り過ぎていく。

 脈絡の無い変動。

 頬に冷や汗がゆっくりと流れた。


「……」


 この夢が誰のものなのか、そもそもなぜ私がこの夢の中にいるのかが分からない。

 誰もいない自室で眠りについていた私が夢に入り込んでいるこの状況は受け入れがたかった。なんせ寝ぼけて人の夢に入り込まないように、わざわざ他の部屋と隣接していない屋根裏に住んでいるのだから。

 その時、私の考えが行き詰ったことを見計らったかのように、刻々と時を刻む針が一斉に動きを止めた。そして静寂がこの空間を包む間もなく、どこからか声が聞こえてきた。それはスッと耳に入ってくる音だった。


「――どうやら眠りが浅かったみたいだね」

「……っ⁉」


 刹那強い風が私目掛けて襲い掛かる。そして瞬く間に辺りを包んでいた空間は崩れだした。

 声の主は真っ白な髪を靡かせながら忽然と現れた。王笏のように立派な杖を持ち、男物の真っ黒なフロックコートを身にまとう、不思議な恰好をした少女だった。


「ようこそ」


 少女はゆっくりと腰を落とし一礼した。その丁寧な身のこなしは小柄な彼女の容姿と合わさって人形のように見えた。

 風に煽られて彼女の長く白い髪が靡く。その奥で海鳥が穏やかな波の上で悠々と羽ばたいた。砂浜の奥、水平線の向こう、積乱雲の根の方へ。水にくだけた太陽が、その道を示すように白く輝いていた。

 現れたのは彼女だけじゃない。それは一つの世界だ。

 暖かい潮風が頬を撫でた。

 風の行く先へと視線を向ける。

 穏やかに波打つ海の後ろには、ただ一つ黒い木目の小さなログハウスを除いて、見渡す限り高低差の無い平原が広がっていた。雨の降った後だろうか、所々に水溜まりが出来ていて空に浮かぶ雲を映していた。


「ここは一体……」


 これが、彼女の夢だと言うのか?

 じっと少女を見つめる。彼女は頭を下げたままで無機物みたいにピクリとも動かない。

 いや、彼女のものとは限らない。ここは夢で、目の前に映る景色すべてが仮象だ。夢を作り出した本人は別にいて、彼女も海に沈みゆく太陽と一緒でこの夢の生成物かもしれない。

 戸惑う私にゆっくりと少女は顔を上げる。

 凛としていたその表情が、一瞬崩れたような気がした。


「――久しぶり、だな」

「……久しぶり? あんたは誰なんです……?」


 私はこの人と会ったことがあるのか?

 少女は私の言葉に一瞬目を細めると、すぐにそっぽを向いた。彼女の長い髪がしっぽのように揺れた。


「ああ、そうか人違いだった――すまない、うん。 来客は久しぶりでな」

「はあ」

「あの人はもうちょっと背が高かったな」

「チビで悪かったな、チビで!」


 何なんだこの人は。初対面なのに失礼過ぎないか?


「はは、すまんすまん」


 さっきまでの暗い表情は薄れ少女ははじけるように笑った。


「それより、この場所は何ですか? どうして私はここに……」 

「……おいおい、キミは何を言っているんだい。 キミからここに入って来たんだろう? ここがどこなのか知ってる筈だよ?」


 心底不思議だと言わんばかりに少女は首を傾げた。


「……⁉ いや、そんな筈は……」


 私からここに入ってきた……? ただ自分の寝室で眠っていただけだ。意図してここに来た覚えはない。

 それを聞くと彼女は頭を傾けた。


「うーむ…… なかなか考えにくいがどうやらキミは自分の意思じゃなく偶発的に迷い込んだみたいだね」

「はあ」


 事情を呑み込めない私は曖昧な返事をする事しかできなかった。


「まあこれも何かの縁だ。 ――そうだね、キミが初めましてならまずは自己紹介から始めよう。 僕はこうしてキミみたいに迷い込んでくる人を待っていながら……ほら、石畳の道の先に見えるだろう? 今あの古くさい小屋にいるもう一人のやつと一緒にこの世界の管理人のような事をやっている。 まあボクの事は――お姉さんとでも呼んでくれ」

「お姉さん……?」

「ああ、お姉さんだ! そうだよそう、この響きだよ……! 一度呼ばれてみたかったんだ……」

 

 彼女はなぜか拳を握り悦に浸っていた。

 それにしても「お姉さん」って自分の名前は明かさないのか……

 ならばこちらも多少身分を誤魔化しても悪くはないだろう。


「……わかりました、お姉さん。 私の名前はアニマ、アニマ・フェルメール。 その――相談屋をやってます」


 相談屋、その言葉に館長の頬が少し動いた気がした。


「そうか、アニマ――いい名前だな。 しかし相談屋という仕事は初めて聞いたな、実に興味深い」


「いえお姉さんの管理人みたいな事ってのもなかなか……」


「――アニマ、キミは冷静だな」


「え?」


「私がキミだったら慌てて取り乱すよ。 だって、いきなり知らない空間に自分がいて、しかも突然、とても可愛らしく、こんなにもお茶目でキューティーな女の子が話しかけてくるんだから――さ?」


 お姉さんは頬に指をあてて、上目遣いのあからさまにあざとい表情を作った。


「あんた私の事からかってます?」

「からかってなんてないさ、本当に感心しているんだよ。 キミは最初は驚いてる風だったけど、すぐに落ち着きを取り戻した。 それはどうしてだい?」

「……」

「まるでこんな奇天烈な空間に前も訪れたことがあるようだ。 だが、普通の人間に   そんな経験あるわけない。 ……では普通じゃなかったら? この世界みたいに、誰かが勝手に作った常識と名付けられた領域に囚われない存在だったら?」


 お姉さんの瞳は好奇心じゃない、もっと別のもので光っていた。


「……」


 何も口にしない私に彼女は仕方がないな、という顔をした。


「当ててあげよう、それはキミが私と同じだからだろう?」


 その一言で確信した。この女は危ない。

 あの瞳は獲物を狙う目だ。

 獏は小道具程度なら夢の中で創造する事が出来る。

 咄嗟に腰に手を伸ばし、短剣を創造する。しかし遅かった。

 一歩速く館長が宙に投げ上げた杖が瞬く間にマスケット銃へと形を変え、その銃口が私の喉元を捉えたからだ。

 刻印された金色の蛇は捉えた獲物を逃さない、捕食者の目をしていた。


「こうして剣を突き付けられるのは久しいな」


 私は彼女を問いただす。


「……お姉さん、いきなり何をするんですか」

「おいおい、手を出そうとしたのはキミが先だろう?」


 どちらかが行動を起こせば、片方は必ず命を落とす。

 そんな状況だと言うのに心なしか彼女は活き活きとしていた。

 ああ、やはりこれは同族狩りだ。反射的に私はそう思った。

 同族狩りとは、魔女寄りの獏が夢の中で私みたいに夢で困った人達を助けるような、国の忠犬となった獏に対し粛清を行う行為だ。

 実質的な殺人である。ただでさえ獏は国全体で百人程度と少ないのに年に一人から二人はこの被害にあっている。

 それが今、眼前で、自分自身で起きている。

 このままだと殺される。引き金を引かれると私の魂はこの夢の中で途絶え二度と目を覚まさなくなる。突然人の夢に飛ばされて、しかもそこで同族狩りに合うだなんて最悪だ。


「……」


 だが妙だ。一向に館長が引き金を引く気配がない。

 何にせよ、これは時間を稼ぐ好機。逃して溜まるものか。

 私は意を決して口を開いた。


「……お互い同族だ、遠くかもしれないが血を分けた家族だ! なぜ殺し合う必要があるんです?」

「殺す? 同族狩り? そんなつもり毛頭ないさ」


 そう言うと彼女は私の喉の上で銃口を舐めるように動かした。


「嘘つけ! 思いっきり私の喉元に銃突きつけてるでしょうが!」

「殺しはしない。 ただキミに頼み事がしたくなってね。 僕が今から言う事を飲み込んでくれたらこの銃は離すよ」

「それを人は脅しっていうんです」

「脅迫ともいうね」

「嫌だと言ったら?」


 轟音と共に、凄まじい勢いで砂浜から海の果てまでが真っ二つに割れた。

 底で海藻が、飛び跳ねる魚が見える。

 それはまるで旧約聖書にあるモーセの奇蹟のようだった。

 そう、彼女が海に向けて引き金を引いたのだ。


「……キミは事を冷静に、俯瞰して見るべきだ。 なあに、難しい事じゃない。 いまどちらが主導権を握っていて、そしてどちらが不利な状況にあるのか。 分かるだろう?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る