三文役者の戯曲

鳥宮奏

第1章 

第0話 亡霊

「……ねえ、今日も魔女のお話を聞かせてよ」


 読書灯の淡い光に照らされたベッドの上で、母親の隣に寝転がる幼い少年は無邪気な声で語り掛けた。


「ふふ、アニマは魔女の物語が本当に好きなのね」


 母親は本棚から一冊の本を取り出し、またベッドへと腰かけた。アニマは後ろからその本を覗き込む。

 彼女は本当はその本の内容を一語一句覚えていた。

 だがこの物語を誤った形で伝えないために、アニマに読み聞かせるときは必ず本を開き、一行一行確かめながら読み聞かせるようにしていた。

  だからこの日も母はそうして物語を始めるのだった。


「――昔、それは遥か昔。王国の都にとても綺麗な娘がいました。


 彼女の月のように白く長い髪と、南の海のような青い瞳、そしてお人形のように整った顔立ちの美しさは都どころか王国中に知れ渡りました。

 彼女が勤める酒屋には連日男が詰め寄りそのお店は大繁盛となりました。

 みすぼらしかった彼女の格好は段々と綺麗になり、美しさにより磨きがかかりました。

 勿論、その噂は王室にまで届きます。

 王子にはまだ妻がいません、王国中に噂が広がる程に美しい彼女を妻にしたいと王子は思いました。

 王子は早速行動に出ます。

 家来の反発を押しのけて、城を飛び出し彼女が働く酒場に向けて馬車を走らせます。

 着いて見るとそこには人がごった返していました。勿論、彼女を一目見ようと集まった男達です。


「ええい、どかないか!」


 王子が一声かけると群衆は一つの生き物みたいに二つに分かれ、王子が通る道が作られました。

 開けた道の先、店の前には噂の彼女が立っていました。慌てる様子もなく、凛として立っていました。


「ああ、貴方が」


 余りの美しさに王子は声を震わせます。


「名前を聞いてもいいかな?」

「……イトリです」

 それはとても透き通った綺麗な声でした。


 王子はイトリの手を取り、ひざまずきました。


 周りの群衆の間でどよめきが起きます。当然です。王族が、それも次期王が彼女のような平民にひざまずき、その上求婚するなど絶対にあり得ない事でした。


「イトリ、私と結婚してくれないか」

「と、突然過ぎません⁉」


 これも当たり前の反応です。

 冷静だった彼女も流石にたじろぎました。ですがすぐに落ち着いて、王子の手を両手で包むように握り周りに聞こえない小さな声で返事をします。


「……王子、私は魔女です。 時間を操る時の魔女です」


 王子も思わず表情を変えました。

 魔女は国に仇なす存在です。王子とイトリはいわば敵同士なのでした。


「……どうしてそれを僕に言ったんだい?」

「貴方を一目見て思ったんです、こんなにも素敵なお方がいるんだって。 でも私と一緒にいると不幸になります、どうかお考え直して下さい」


 しかし、それでも王子は諦めていませんでした。彼女の美しさだけではなく、身を明かすその強さにも惚れたからです。


「今のは全部聞かなかったことにする。 また来るよ」


 その日から連日王子が返事を貰いに店へと訪れました。

 来る日も、来る日も。

 毎日王子が行く場所が都にあると、その噂は同じように王国全土にすぐに広まり、酒場は前の三、四倍の人々で溢れていました。

 そしてちょうど一年が経ったとき、ついにその時が訪れました。


「イトリ、私と結婚してくれないか」

「……もう四季が一周しました。 王子にはきっと私よりも美しく、そして聡明な女性がお似合いです。 どうか、私のために貴重なお時間を使わないでください」


 王子は首を横に振る。


「君は王国の中で誰よりも美しい。そして私は聡明な女性は求めていない。 私が求めているのは何事にも動じず、誰に対しても物事をはっきりと言える強さだ――華は綺麗なだけでは絵にならないからね」

「……わかりました、王子」


 イトリは王子の手を取りました。


「ありがとうイトリ!」 


 二人は抱き合います。

 群衆からはどっと歓声が湧きました。


「おめでとう!」

「王子万歳! イトリ妃殿下万歳!」

 

 酒瓶を持ちあげたり、歌を歌ったり、楽器を演奏したり、皆それぞれの形で二人の幸せを祝いました。


 それからしばらく月日が流れ、二人の間に子供が生まれ、王子は国王に即位しました。

 しかし平和な時は長くは続きません。

 ある冬の、激しく雪が降る日の事でした。


「――これは一体何の冗談だ」


 玉座に座る国王の前には百人近くの騎士が剣を抜き構えていました。

 ものすごい剣幕で、隣にいるイトリは青ざめます。


「国王陛下、誠に僭越ながらご忠言させていただきます。 その女は魔女です、今すぐお離れ下さい」


 騎士の中でとびぬけて体格の良い男が言いました。

 国王は冷静でした。まるでこうなる事を分かっていたかのように。


「騎士長、それがどうしたと言うのだ」

「……その口振りだとやはり知っておられたご様子。 その罪がどれ程重いか存じ上げなかった、とは言わせませんぞ」

「ああ、親父が作ったから知っているさ……イトリが魔女と知っていながら隠した僕は死罪だ」


 国王は乾いた笑いと共に答えました。


「やめて、貴方が死ぬ必要はありません! 私が、私だけが殺されれば良いのです!」


 血相を変えたイトリが叫びます。そうすると、騎士長は不敵な笑みを浮かべました。


「ええそうですとも、王妃。 貴方だけが死ねばいい!」

 

 騎士長がイトリに飛び掛かります。その剣は真っすぐ彼女の心臓を目掛けていました。

 しかし突き刺さったのはイトリではなく、国王の体でした。

 咄嗟にイトリを庇ったのです。


「ごほっ……」


 大量の血を吐いて、国王は倒れてしまいます。瞬く間に玉座へ続く階段は赤一色に染まりました。


「貴方!」


 イトリが大粒の涙を流しながら、国王の体に抱き着きます。剣は心臓を貫いていて、彼はもう亡くなってしまいました。


「許さない、許さない……」


 魔女はその言葉を呪詛のように吐きつけます。


「分かっていました、幸せになれないことは。 しかし彼が何をしたと言うのです?」


 詠唱の陣が次々と魔女の周りに広がります。彼女の服は綺麗な装飾を施したドレスから真っ黒な布へと、ティアラから魔女帽子へと形を変えました。


「もう罪は数えきれないくらいに重ねてきました。 だからこれから罪を新たに増やしても、どのみち地獄行きは変わりません」 


 そう言って魔女が杖を振ると一瞬で十人の兵士がばたりと倒れました。

 魔女の時を操る魔法で心臓が止まったのです。


「ひ、ひぃ!」

「こ、こんなの無理だ!」


 すぐに残った騎士長が大広間から逃げ去っていきました。兵士長さえも腰を抜かせて這いずるように出ていきました。

 

 それから魔女は城を出て、国中を彷徨いました。

 魔女は時間を自在に動かし、過去に起きた大災害、疫病、凶作を再び引き起こし人間に対し非道の限りを尽くします。彼女は時の魔女と恐れられ、王国中を恐怖の渦に溺れさせました。

 しかし、長くは続きませんでした。 


「……貴方は誰です?」

「私は王国に仕える空間の魔導士、アイデシア。 時の魔女――お前を国の命で倒しに来た」


 不意打ちでした。物陰からずっと魔女を付けていたアイデシアは彼女の背後をとるとすぐに魔法で彼女を異世界へと転移させました。


 その異世界は何も存在しない無の世界。地上も、空もない。色すらないから、ここが真っ白なのか、はたまた真っ黒なのか分からない。自分が存在しているのか、していないのか、その感覚すらも曖昧でした。

 しかし無の世界に飛ばされても暴虐の魔女の人間に対する宿怨は消えません。むしろより一層とその感情は狂気に彩られることとなりました。


――復讐を、人間に復讐を


 この言葉をただひたすらに思い浮かべながら、魔女は無の世界に有を創造しはじめました。

 まずは彼女の意思、次に彼女の体。

 しかし体を取り戻しても魔女はこの先、一生、どうあがいてもこの世界からは出られません。

 これでは人間への復讐が果たせない。

 だから彼女は人間をこの世界へと連れてくることにしました。空間の魔導士の力さえも利用したのです。


 そうして出来たのが、私達が眠りについて見る「夢」です。

 吉夢は人を夢の世界に閉じ込めるため、悪夢は人を恐怖に怯えさせるために作りました。

 こうして今でも時の魔女は夢を通して人間への復讐を続けているのです」



 決して喜劇ではない。その上釈然としない終わり方だ。子供への読み聞かせには向かないだろう。しかしアニマは微笑んでいた。そう、まだこの物語には続きがある。

 母親は彼に振り返り笑いかける。そして物語の続きを紡ぎ始めた。

 まるで歌っているような美しい声音で。



 夜は嫌いだ。寝る前、部屋の灯りを消すとどうもこの記憶が頭をよぎる。どうしてあの時母は、私は、微笑んでいたのだろうか。魔女の物語の続きも思い出せない。

 母は私が四歳の時に事故で死んだ。もう十三年もたっている。物心がつく前なので彼女との記憶はこの読み聞かせ位しか思い出せない――といっても朧気だが。 

 正直な所私は彼女を恨んでいた。

 彼女は魔女に心酔していた。そして私と彼女にはその魔女の血が流れている獏の一族だ。当然、王国に仇なし多くの命を奪った時の魔女の末裔である獏は迫害されていた。あの「時の魔女」の物語のせいで子供の時から王国民は魔女への反感が根付いている。だからそのせいで大きな自然災害、はたまた不景気になる度に魔女とその一族のせいとされる始末だ。

 母を思い出す度に嫌な記憶がよぎってしまう。

 小さい時周りの子供から虐められたこと、大人たちから邪見に扱われたこと……とにかく最悪な記憶だ。

 私は陰鬱な気分を払うように真っ暗な天井目掛けて腕を上げる。


「さっさと亡霊は消えてくれ……」


 だが何も掴むことが出来ず、ただ私は腕を下ろした。

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