越えて行け、あの雨雲の向こうへ




道化師はそっと桃花から離れた。


「・・・・」


彼女の背後からその様子を見ていたテルはほっと息を吐いた。

だが道化師と対峙している桃花は緊張を解いていない。


(まだだ)



「・・・キミの考えは分かった」


道化師は言う。その声は静かだ。


「だが、憎しみという感情も大切なものだと認めるとしても、その感情を抱え続ける本人は苦しみ続ける事になる。苦しみに耐えきれず、暴走して自分の大切なものを踏みにじった相手に復讐する事もあるだろう」


復讐――――傷付けられた側が今度は傷付ける側になる。


「一度傷を負った者は人の痛みに敏感だ。それが傷付ける側に回る苦痛たるや、想像を絶する。――――そんな事をさせるくらいならいっそ憎しみという感情を消してしまおう。それが道化師ボクが生まれた所以ゆえんだ」


彼はそこまで話してから、桃花をじっと見る。

桃花は言った。


「・・・うん、分かった」


こくんと頷く。


「あなたの考えは分かった。でも――――わたしに言わせるなら、どんなに苦しくても、相手が許せなくても、相手を傷付けると決めるのは自分なんだよね」


己の大切なものを踏みにじった相手を傷付けたい?なら、それを実行する?YES or NO?


「わたしたちにはを選ぶ権利がある。もちろん、相手を傷付ける選択をしたのならそれ相応の罰を受けなければならない。それは当然の事だ。


人を傷付けた者に罰を、と。


「わたしたちはちゃんとわかってる。わか。――――だから、『苦しそうで、可哀想だから』だなんて理由でその権利ごと奪わないで」


言葉の最後は懇願になった。

桃花は気付いていた。この道化師は決して無慈悲で冷酷なただのシステムなどではないと。

だから懸命に伝えた。


(だって、それしかわたしにできる事なんかないんだ)


じっと相手を見つめる。――――すると、


「あーーーーーーあ!仕方ないなあ、もう、分かったよ」


道化師はうがー!と両腕を天に突き出して憤懣ふんまんやるかたないといったように顔をくしゃくしゃにした。


「・・・分かってくれたの?」


桃花がおそるおそるといった様に聞けば、道化師は「うん、分かったよ」と頷く。


「じゃあ・・・!」


「でも!!」


ぱあっと表情が明るくなった桃花にびしっ!と人差し指を向ける。


「ぶっちゃけ、『そんな状態で何が楽しいの?』とも思う。だからキミがボクに見せてよ」


「見せる・・・?」


「うん。憎しみという感情を大事に抱えたままでもヒトは楽しく生きていけるってところ、キミがボクに見せて」


「え・・・えーと、つまり・・・・」


桃花はだんだんと表情をこわばらせていった。嫌な予感しかしない。

道化師はにっこりと愛らしく笑う。


「という訳で!今日からしばらくの間、ボクもキミたちと一緒にいるからよろしくっ!!」


「はあああああああッ!?」


夜のアパートに桃花とテルの叫び声が響いた。

そんな二人を道化師は面白そうに見ていたのだった。

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