第12話 墓荒らし⑤

 ブーケの中には、手紙が忍ばせてあった。

『あとで屋上に来て』


 あとでとは具体的にいつなのか。そもそもどの屋上なのか。アバウトすぎる指示だった。

 ため息をつきながら、春樹は曖昧な目的地に向かった。



       ♥



 鼻歌混じりに閑散とした階段を上り、錆びついたドアを開ける。

 屋上には、柵を背にして不貞腐れたように座り込んでいる春樹の姿があった。


「やっほー、ぼっち君」

「遅いよ」


 不愉快そうに、春樹は流し目を送る。

 その感触が心地いい。


「どうせ暇だしいいじゃん。一緒に回る友達いないもんね」

「うるさいな」


 十一月上旬の空は、もう太陽を隠そうとしている。燃えるようなオレンジと濃い紫が最後の灯だ。真っ暗になった時、学園祭は終わる。眼下では、帰宅を惜しむ生徒たちが最後の賑わいを見せていた。

 秋風が吹いている。


「これ、あげるよ」


 姫は隣に並び、2年2組で買ったポテトを差し出す。

 春樹は眉をひそめた。


「……変なもの入ってないよね?」

「ん~? どうだろうね~?」

「はあ」


 彼は諦めて手に取り、食べた。


「……ワサビ味」

「キャハハハッ!」

「でも、案外悪くないよ。食べてみる?」

「え、そうなの~?」


 目を丸くして、姫も一本口に放り込んだ。


「ホントだ。まあまあおいしいかも」


 なんだ、つまんないな。

 人のリアクションが好きだと気づいた姫の辞書に、もう『手加減』の字はなかった。転げ回るくらいの苦悶が見たくて驚くほどの量を練り込んだのに、こんなのでは肩透かしだ。

 そういえば春樹は辛さに強いことを忘れていた。今度は別の手を考えておこう。


「あのドレスはもう脱いだんだな」


 彼は姫の服を見て、小さく呟く。


「そりゃそうだよ。あれはあの場所で着るからいいんだもん。今はこっちの方が素敵でしょ」

「そうだね」


 姫は服の生地を引っ張って、学園祭用のTシャツを主張する。

 この高校の伝統として毎年作られる、クラスごとのオリジナルTシャツだ。

 率直に言って、かなりダサい。デザインも色もめちゃくちゃだ。


 けれど服というものは、時と場合によっていくらでも化ける。

 学校という場所の、学園祭というイベント時のみ、この安物は青春の匂いと味を醸し出す。他では再現できない、唯一無二の表現だ。

 だから姫は、このダサい服を好んで着る。

 服は、空間も含めて服なのだ。


 学園祭が終わればすぐに捨てるだろうが。

 しかし意外だ。春樹があの手のドレスを名残惜しく思うなんて。

 姫はニヤリと笑い、一つからかうことにした。


「春樹くん、あのドレスのことよっぽど気に入ったんだね。感動したの?」

「ああ、感動したよ」


 面食らう。

 冗談のつもりだったのに、彼はあっさりと肯定した。こんなに素直に感情を伝えられるなんて想定していない。

 春樹は顔を上げ、姫の目を真っ直ぐに見つめて言う。


「誘ってくれてありがとう。来てよかったよ」


 照れくさいのか、すぐに顔をそむけたけれど。

 姫は少し放心して、その場に座り込む。

 頬をかいた。


「……………………ふぅん」


 下を向いて、はにかむ。

 ちょっと。ほんのちょっとだけ。

 嬉しいなあって、思った。


 そんな姫の方を見ないまま、春樹は尋ねる。


「まさかあんな大がかりなことするとは思わなかったよ。いくらしたの、あれ?」


 夢のない話だが、当然といえば当然の疑問だった。

 昨年まで学園祭に大した力を注いでいなかった高校に、スポットライトやレッドカーペットなんてあるはずがない。ウェディングドレスなどなおさらだ。

 学園祭実行委員の資金だけで賄えるわけもなく、出所は気になるだろう。

 と思ったら、春樹は疑いの眼差しを向けていた。盗んできた可能性も考慮しているらしい。

 その杞憂が面白くて、ケラケラと笑う。


「そんな心配しなくてもいいのにー。三千円くらいだよ」

「え? それだけ?」


 あっさりと明かされた事実に春樹は衝撃を受ける。

 何でもないような顔で姫は種明かしをした。


「だって、ほとんど作り物かもらい物だもん。マットは学校にある青いのを白く塗っただけ。レッドカーペットはテキトーな赤い布を切って繋げただけ。花飾りなんて小学生でも作れるじゃん」


 ついでに、スポットライトはもうすぐ閉店するリサイクルショップから安く買い、三千円はそこで使ったこと。ドレスの布は、姫の家が呉服屋だったのでタダでもらえたこと。花は南西にある山からそれらしいものを拾ってきて着色したことを説明した。


「え? あの山って私有地だったよね?」

「え~??? 何のこと~???」

「やっぱり盗んでるじゃないか……」

「キャハハッ」


 楽しげにする姫に、悪びれるような素振りは一切ない。

 もちろん確信犯だった。


 だが、彼女はこれでも妥協したのだ。

 スポットライトもレッドカーペットも、上等なものを盗んでくればもっと上等な作品に仕上がった。

 姫にとって、犯罪だからと素材へのこだわりを折ったことは、まぎれもない妥協である。

 信じがたいことかもしれないが、彼女の思考回路ではそうなのだ。


 妥協という点でいえば、ドレスだってそうだ。


「もっとうまく作れたのになー」


 姫は柵にもたれかかり、未練を引きずるように夕焼けを眺める。

 これまでそれなりに服を作ってきた姫だが、本格的なウェディングドレスを仕立てたのは初めてのことだ。

 遠目からなら光でごまかせただろうが、近くで観察すれば素人目にも粗がわかるだろう。


 実際、今の姫の心中は、顔に出ている以上に複雑だ。悔しさと怒りと悲しみが、ぐちゃぐちゃに喧嘩している。

 あんな中途半端な出来ばえで、ステージに立ちたくはなかった。


「でも、感動したんだよね?」

「……?」


 疑問符を浮かべる春樹に、なんでもないと姫は首を振る。

 彼女のアートの本質はリアクション。一番動かしたい心を動かせたのなら、よしとしよう。本当はよしとしたくないけれど、よしとしよう。

 そして誓う。

 いつか、完成品を作るのだ。必ず。


 あの瞬間。

 稲妻のように駆け抜けた鮮烈なイメージは、まだまだ、まだまだこんなものではない。

 絶対に形にすると、強固な誓いを立てた。

 が、それはそれとして。


「ねえ、なんで学校サボってたの?」


 姫は振り返って、ここ最近ずっと気がかりだったことをついに尋ねる。

 素直になった春樹になら、聞けると思ったのだ。


「あ、カッコつけて取り繕ったり、変ないいわけする必要はないよ? 姫はありのままを知りたいの」

「他に言い方あるでしょ……」

「いいじゃん。感動料だよ」


 言いたくないことを無理やり言わせると思うだけで、ちょっとワクワクする。

姫の気持ち悪くなった笑顔から春樹は距離を取り、やっぱり諦めたようにため息をつくと語り出した。


「どうもこうもないよ。ただ、意地を張ってただけなんだ」


 彼はまだ星のない空を見上げて、クラスでの光景を思い出しているようだった。


「クラスメイトは出来上がっている関係に甘んじて、俺を拒んだ。教師は見て見ぬふりをして、助けてくれない。目の前に困ってる人がいるのに、なんてひどい人たちだろうって思ったよ。だから周りのせいにしてたんだ。俺はこんなやつらに迎合しないって、勝手に戦ってる気でいた。……けど、本当は全部わかってた。悪いのは周りじゃなくて、俺なんだって」


 その視線が、姫を向く。

 見ているのは、クラスTシャツを着た姫じゃない。ミスコンでの、ドレス姿の姫だ。


「さっきやっと、ちゃんと思い出したんだ。そういえば姫がいたなって」

「なにそれ~」


 サラリと衝撃的なことを言われた。

 あんまりな言い分に姫は眉を寄せ、少々以上にイラっとする。

 彼にとっては姫の存在も、献身的とも言えるような行為も、すべて眼中になかったというのか。何様のつもりだ。

 春樹はその不服を受け止め、ごめんねと真摯に頭を下げる。


「思い返せばクラスのみんな、できる範囲で俺を助けようとしてくれてたなって、気づいた。驚くほど、なんにも見えてなかったんだ」


 彼は立ち上がると、遠くの背後に過去の自分を見つめる。


「本当に、自分でも恥ずかしいよ」


 どこか清々しそうに、勝手に自己完結する春樹。

 姫は解消されない苛立ちを、舌打ちまがいの悪態にして吐き出した。


「はーぁ、やっぱ春樹くんって情けないね」


 彼の独白は自罰的。だが言葉とは裏腹に恥じている様子もなく、あまりにも期待外れだった。けれど――。


 太陽が角度を変え、陽が傾く。

 新たな影が浮かぶ春樹の顔には、覇気が戻っているように見えた。


「いい顔してるね」

「ああ」


 ちょっとした達成感を得て、姫も立ち上がる。

 ズボンのほこりを払いながら、この出来事を一善としてカウントする。これで今日は、うっかり四善目。


「どうして……」


 その場でくるりと回りながら自分の姿を確認する彼女に、春樹はおずおずと声をかけた。


「どうして、俺を見捨てなかったの?」


 その目は複雑に揺れていた。

 反省と後悔と、かすかな怯え。

 一度折れてしまった自信はすぐに戻るものではなく、姫の口から出る言葉に対する覚悟がまだできていないのだろう。


「そうだなー」


 顎に指をあてて、かわいらしく考える。

 自分でも理由がわからなかった、春樹に対する執着。


 情? 違う。

 利益? 違う。

 気まぐれ? 違う。


 ほどいてもほどいても絡まったままの糸みたいで、すごく不愉快で煩わしい感情だった。けれど紐解いてみれば、その根幹にあるのはろうそくのように温かな思い出だった。


「お母さんが姫を見捨てなかったから、かなあ」


 姫は胸に手を当てて、心臓の鼓動を感じながら追憶する。


「姫は小さい頃、どうしようもない子だったのね。今もかなりどうしようもないけど、それよりももっと。お母さんはいつも疲れた顔してたし、何度も泣きそうになってた。すごく辛かったはずなのに、それでもお母さんは姫のことを手放さないで、ずっと見守ってくれてたんだ」


 優しい母の顔とともに蘇る。

 姫の心に深く残り続けている、父の言葉。

 ――どんな姫でもいいんだよ。


「だから姫は、姫のことを大切に思えたのかも」


 いつからか。

 飽き性だったはずの姫は、モノを捨てられなくなった。

 どんなに色褪せても、どんなに汚れても、まだ見つけていないだけでいいところがあるかもしれない。だから一度姫のモノにしたものは全部、大切に大切にとっておくことにしているのだ。

 それは姫自身であってもそうだし、春樹であってもそう。

 だから、捨ててなんてあげない。


「春樹くん、ちょっとこっちきて」


 にこやかに微笑むと、姫は手招きした。

 春樹は無警戒に、一歩二歩、近づく。


 背伸びして、

 不意打ちにキスをした。

 顔を離すと、彼は呆気に取られたような表情で固まっていた。それが面白くて、柔らかに微笑む。


「大丈夫。春樹くんにも、いいとこあるよ」


 肩を叩いて励まして、送るのはささやかなエール。

 春樹の右目から、一筋の涙が流れた。


 遅れてやってきた感情が嗚咽に変わり、表情が崩れて、肩を震わせて、大泣きになった。

 姫はそれを、嘲笑するでも蔑むでもなく、ただ静かに見守っていた。

 不思議と、水を差す気分にはなれなかった。


「……………今まで、ずっと……、邪魔だ、って…………、思ってて、ごめん」


 また少しイラっとした。


「そういうのいちいち口にしちゃうのが、春樹くんのよくないところだよね」


 文句を言いながらも、姫は見守る。

 空の色はだんだんと紫が濃くなって、いよいよ沈む陽が最後の光を見せるところ。

 指で四角を作って、泣き顔を切り取った。

 オレンジが反射した透明な涙が、すっと肌を伝う一枚絵。


「綺麗……」


 意地悪なだけの姫では見れなかった。優しい姫だから見れた、ワンカット。

 きっと脳に焼きついて、忘れられない瞬間になるだろう。

 何度でも見たい、新しい輝き。


 姫はずっと、悪魔みたいな人になろうとしていた。だが、それはもうやめにしよう。彼女の中のアートと一緒に、進化させよう。

 これからの姫は、『姫』みたいな人になるのだ。


 暗闇と夜が訪れる。

 春樹はようやく泣き止んだ。


「姫」


 寂しそうな声で、名前を呼ぶ。


「姫は、俺のことどれくらい好き?」


 なんて答えようか。

 少しだけ逡巡すると、彼女は今度こそいたずらっぽく笑う。


「そこそこ」


 今日の姫は、いつになく優しい。

 だから隠し味に、意地悪を一つまみ。そんな感じ。



       ♥



 たくさんの荷物を抱えて帰ってきて、部屋に適当に放り投げて、片づけもせずそのまま。

 衣類はしわになってしまうがしょうがない。めんどくさくて力が出ない。


 いつものようにヨーグルトを食べる。


「あ!!」


 姫は大きな声を上げた。

 布団を敷いて、入眠する直前のことだった。


 一日一善ノートの最後のページ。

 今朝ルーティーンでこなした一善と、うっかり分の三善で、合わせて四善。それで、すべて埋まった。


「一冊終わった!」


 小学四年生の時から使っていた、ボロボロのノート。

 高校二年生、十一月四日の今日までかかった。

 コツコツ、コツコツ積み重ねて、ようやく役目を終えた一冊目。

 それは、彼女の成長の証だった。


 悪魔のようだった少女は、少しずつ優しくなっている。



       ♥



 後日、祭が言った。


「大学のミスコンって、ウェディングドレスが普通なんだって!」


 渾身のアイデアは、なんと最もありきたりだった。

 情報が手に入りにくいのは、田舎育ちの宿命である。


「ふざけんなぁっ!」


 ウェディングドレスを床に叩きつけた。

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