第11話 墓荒らし④
学園祭当日。
朝、姫は加賀谷家の郵便受けに一通の招待状を入れておいた。
内容は、ミスコンへのお誘い。
ただ誘うだけではつまらないので、その文面には不登校の春樹に対する皮肉と挑発をたっぷり練り込みつつ、彼が会場で嫌な思いをするための仕掛けが施してある。
おそらく、来てくれるだろう。
今はグレているが、彼は本来真面目で義理堅い。少し挫折したところで、人の性根はそう変わるものではないのだ。
ミスコン前。
二階にある細い通路から、姫は体育館を見下ろす。
まだ開演まで三十分以上あるが、すでにたくさんの生徒とその親族が出入りしていた。広告の甲斐あって大変な盛況だ。
しばらく眺めていると、見慣れた一人ぼっちの影がやって来る。
「ほらね」
彼女は案の定だと笑う。
真面目な彼は招待状に従って最前列に座り、友達のいる周囲と自身を比較して居心地悪そうにしていた。
そんな様子を愉快そうに観察しながら、姫は心臓の高鳴りを自覚する。
緊張ではない。自身がステージに立った時の彼の反応を想像するだけで、彼女は楽しみで仕方ないのだ。
♥
田舎県の田舎町にある田舎高校において、ミスコンのレベルはそれほど高くない。
出演者の容姿の話ではなく、イベントの規模の話。
昨年はちょっと広めの教室を借りて取り行われ、その内容は演者の簡単な自己紹介とアピールタイムの後、投票で一位を決めて終わりという質素なものだった。ギャラリーも大半は知り合いで固められていたせいか、そこそこに盛り上がったが閉鎖的で、あくまでも身内ノリの域を出ず。ミスコンの存在自体を知らなかった生徒も多いのではないだろうか。
しかし、今年の学園祭実行委員長は青山祭である。
あの声がでかくて、やたらアグレッシブで、イカれた行動力で何もかもを置き去りにすることで有名な、青山祭である。
彼女の存在は、学園祭そのものの在り方を大きく覆すこととなった。
なにせ活気が段違いだ。ほぼ全クラスの出し物のグレードが2ランクほどアップしている。生徒一人一人の意識も高く、グラウンドからは快活な客寄せの声が合唱となっていた。
優秀な実行委員長はミスコンを特に気に入り、暴走機関車のような勢いで準備を進めていたそうだ。その力の入れようはすさまじく、具体的には、吹奏楽部との強気な交渉、もとい舌戦の末に体育館の使用権をごっそり勝ち取ってくるほどの大立ち回りを見せた。
宣伝にも独学でやれる限りの全力を尽くし、本番の一月前には出演者の顔写真がついたチラシが朝のホームルームを通じて全クラスに出回っている。努力の甲斐あって、かのイベントは始まる前から多くの話題をさらい、今年の学園祭のサビとして周知されるまでになった。
そのことは、百を超える客席からあふれるほどの人だかりが証明している。
観客たちは早くも浮かれていた。
なぜか。足を踏み入れてみればわかる。開演前からすでに雰囲気が違う。
体育館は、真っ白な神殿と化していた。
別空間のようだった。それは、視界のすべてを覆う白のせいだ。
元の茶色を覆い隠すように、床にはプラスチック製の白いマットが敷き詰められ、元より白い壁にはその上からさらに布製の白い造花が飾りつけられ、天井の電球の色まで橙色から白色に変えられている。
スピーカーから流れるのは凪のようなオーケストラ。真ん中に広く道が開けられた椅子の配置も相まって、教会のような荘厳さを醸し出す。
遮光カーテンが黒いままだったり、客席がパイプ椅子なのは妥協点だ。
完璧とは言い難いが、この白い空間には日常とは違う何かが起こりそうな、そんな期待感を煽る働きがある。
高校生の域を逸脱した、素晴らしい演出だった。
BGⅯの音量が下がり、合わせて会場の喧騒も静まっていく。
照明の明度もわずかに下がる。
壇上に青山祭が立った。
本番が、始まる。
♥
ミスコンの出演者は五人。
主催者である青山祭の、独断と偏見によって選ばれた可憐な少女たちだ。
選考基準は大きく二つ。
まず当然だが、容姿。これは整っていることよりも、常日頃から自身の魅力を発揮しているか否かに重きを置いている。端的に言えば垢抜けているかだ。いかに美人であってもメイクやファッションに疎かったり、好んでいない者は候補から外している。
そして最も重要な、意欲。祭は今回、持てる能力の限りを尽くし、本イベントのハードルを上げに上げた。課される試練とのしかかる重圧に、モチベーションがついていくか。大舞台でも委縮することなくパフォーマンスできるか。この二点の資質は必須だと判断した。
彼女の采配はズバリであった。
黄色い歓声が上がる。
それを引き出しているのは、ステージ上の少女たちによる一挙手一投足だ。
ほとんどが前列に座る身内からのもので、しかしその雰囲気は会場全体に伝播していく。
空間と観客の心が一つになり、ショーはより華々しく輝くのだ。
「よし……!」
観客の様子を外から眺めて、祭は小さくガッツポーズする。
ここまでは、想定以上の大成功だ。
現在までに四人のアピールタイムが終了したが、素晴らしいものだった。
彼女らは同じ学校の生徒でありながら、競争相手。本番まで互いに互いを高め合い、影響し合い、その成果は、下手な都心部の高校を圧倒するクオリティとして表れる。
一人目、バイオリン演奏。
なんと初っ端から一芸の披露。小柄で華奢な体形からは想像できない、力強い演奏だった。上手いのかどうかは音楽の心得のない祭には詳しくわからないが、きっとすごいものだったのだろう。後列からも鳴る拍手が、大勢の感動を呼んだ証拠だ。
二人目、マジック。
最初は魔法の杖を出したり消したり、破いた新聞紙を修復したりするだけの予定だったのだが、ライバルたちの闘争心を目の当たりにして「このままじゃ負けちゃう!」と彼女は奮起。なんと前日に、帽子から鳩を出す新技を引っさげて来た。本番では少し失敗してしまったが、それも笑いに変わったのでご愛嬌。
三人目、男装。
百七十四センチの高身長を誇るテニス部のキャプテンは、その中性的な美貌を活かし、タキシード姿で登場した。後輩女子軍の一角で「キャー」という歓声が「ギャー」という断末魔に変わる。可憐さと凛々しさを併せ持つ立ち振る舞いに、みんな骨抜きにされた。
四人目、ショートコント。
「みんなすごすぎ。私どうしよう……」と震えていた臆病な一年生。彼女は散々悩み抜いた末に開き直り、なんとかわいさを放り投げた。全席から笑いが起こり、この日最高の盛り上がりとなる。ギャグは共通言語だと改めて認識するとともに、イベントを優先してプライドを折ってくれた彼女に祭は心の中で深く感謝した。
さて、ここまでの熱を経て、残すは桜木姫の出番のみだ。
が、ミスコンという勝負形式において、彼女はあまりにも不利である。
というのも、姫は変人として学校内で広く認知されているが、人望は皆無だからだ。知っていても話したことはないか、不良というマイナスイメージ持つかが大半であり、どうしても組織票が発生してしまう都合上、始まった段階からすでにハンデを背負っているに等しい。
だが、それでも祭は姫をトリに選んだし、何も心配していない。
みんなは知らない。桜木姫という少女は、一般的な常識やお決まりなどはるかに飛び越えてしまうほど、ものすごいのだ。
♥
加賀谷春樹は後悔していた。
姫の誘いに乗ってノコノコやって来てしまったがために、彼は孤立という低体温症のような地獄を味わっている。
ミスコン自体は、ものすごく満足度の高いものだった。四人目のギャグなんかが特に見どころで、大声で笑ってしまった。後列から見てればもっと楽しめただろうことを考えると、肩を落としたくなってしまう。
なにしろ、彼が座っている前列は九割九分が知らない女子で固められており、しかもその全てが部活やクラスなどの団体である。知り合いの先輩や同級生の活躍に歓声を上げる彼女たちの熱気に囲まれ、肩身の狭い思いをするのは必然だった。
姫はこうなることをわかっていて最前列に指定したに違いない。前の席でしかできない演出があるなどと、信じた春樹は愚かだった。神経を逆撫でするような招待状の文面のせいで頭に血が上り、冷静な判断ができなくなっていたのだろう。
いつもの甲高い嘲笑が頭の中に響く。
そもそも春樹は姫を見に来たのであって、それが終われば途中で抜け出すつもりだったのだ。だというのに彼女の出番は最後である。これも狙ったのだろう。針のむしろをじっくり長く味わってもらうために。
見事なまでに手の平で踊らされていることを考えると、苛立ちが止まらない。
悪魔みたいな女だと、常々思う。
だが、
「……」
四人目の出演者がはけていったのを見て、春樹は目を伏せる。
姫と会うのは、おそらくこれが最後だ。
先日学校から、留年がほぼ確定している旨の通達が来た。まだ挽回するチャンスはあるが、溜まりに溜まった補修の量は膨大であり、受験勉強よりもよほど机に向かわなければ達成できない。つまり事実上、打つ手がないのである。
まず自身の行いを恥じ、両親に深く謝罪した。この一年何をやっていたのかと振り返ると、情けない思いで潰れそうになる。
そして彼は、一つの決意をした。自分を見つめ直す決意である。
実はすでに、来年度からの就職先が決まっている。青山在住の叔父が経営している農家で下働きだ。高校は辞めないが、通信制のところに転校する手続きを進めており、働きながら二年ほどかけて、ゆっくり卒業することにした。
学校という枠から外れることにしたのだ。
それで何が変わるかはわからないが、このまま何もしないよりはずっといいと思った。ならばいっそ、まったく違う方向へ大きく舵を切ってしまうのも悪くない。彼らしからぬ計画性のない突発的な試みだが、それも含めて違う方へだ。難しく考えないで、ひとまず動いてみることにした。
もうこの高校へは来ないだろうし、他県へ引っ越すのだから、姫とも会えなくなる。このあと別れ話をするつもりではあるが、向こうの冷め切った気配は伝わっているし、あっさり片がつくのではないだろうか。
それに、姫のような才人の貴重な時間をこれ以上奪うのは、春樹には耐えられなかった。
近くにいるからこそまざまざと感じるのだ。彼女は傑出している、と。
春樹の少ない人生経験でもわかる並外れた努力量と、それを努力と思わない特別な思考回路。将来とんでもない大物になっていたとしても、きっと驚きはない。
だから。せっかくだから。
最後に、姫の作る作品を見ておきたかった。
ミスコンは美術館とは違うが、創作物を発表する場としては同じ。
春樹はここで、彼女の作品を見る。そして、その眩しすぎるくらい眩しい光を受けて、新天地での勇気に変えられたら、なんて。
最後まで打算的な考えで、彼はここにいる。
彼女にも悪いことをした。
それも含めて、あとで謝っておこう。
スピーカーから聞こえるオーケストラが、徐々に音量を落としていく。
場を再び静謐が満たし、空のステージへと注目が集まった。
稀代の問題児たる、桜木姫の登壇。
ある者は期待に胸を膨らませ、
ある者は警戒心を高め、
またある者は、今度は何をしでかすのかと口角を上げた。
音楽が止み、間もなく現れるというその瞬間。
春樹は見逃さぬよう顔を上げる。
そして、
遮光カーテンが素早く閉められた。
電気が消える。
「え?」
真っ暗な闇に覆われ、春樹は思わず声を上げた。
彼だけではない。予想だにしなかった事態に、会場全体がざわつく。
しかしみんな、これがトラブルでなく演出であることを直感で理解していた。
遮光カーテンを閉めたのはスタッフで、今も周囲からそそくさと作業をする人の気配を感じるから。
コツ、コツ。
高い靴音がして、注目は再びステージの上へ。
わずかな明かりから、春樹はそこに何者かのシルエットを見て取った。
まだ、光は戻らない。
まだ。
まだまだ。
たっぷり間を取って、観客の心を惹きつけて。
焦らして。焦らして。
スポットライトが灯る。
二階の通路、左右二方向から脚光を浴び、彼女は姿を現す。
果たして、二つの白が重なるその中心には――――、
緑と白の、花嫁が立っていた。
豪奢で、大きなウェディングドレス。
純白の衣装と、深緑の装飾をまとった少女がそこにいる。
少女、ではないのかもしれない。
花冠をかぶり、二色の瞳に慈愛を映すその様は、女王が君臨しているようにも、妖精が顕現しているようにも見えた。
暗闇の中に光はそこだけで、彼女だけが世界のすべてとなる。
その存在は靴音を立てて、一歩、二歩、三歩、前へ。
電気がつき、視界が開けた。
目に映ったものに観客が覚えたのは、驚愕。
体育館の景観は、またも変貌していた。
音楽も同様で、これまでとは異なる祝福の音色が響きわたる。
真っ白なだけの神殿では未完成。その上からさらに趣向を凝らした、この姿こそが完成形だと全体が主張している。
ここはこの世で最も幸せの集まる場所。結婚式場。
パイプ椅子の真ん中に作られた、幅の広い道。そこにいつの間にか、レッドカーペットが敷かれている。仮初のバージンロードだ。後列から前列までを縦断し、階段まで続いて、その先にあるステージへと視線を誘導していく。
そこにあったのはもはや、ステージではなかった。
白のマーガレット、緑のトルコキキョウでできた花のアーチによる、自然豊かな祭壇。
賑やかな背景をさらに強調するように、背後の壁面には上から白のカーテンがかかり、淡いライトライトアップが、花嫁を後光のように照らしていた。
それは、この世で最も身近な神秘。
会場が息を呑む、音の無い音がする。
春樹は静謐な空気に支配され、驚きを通り越して、唖然、としていた。
あれは……、姫か。
……姫だ。
そんな益体もないことしか考えられない。
ふと気がつくと姫がこちらに流し目を送っていて、心臓と肩が跳ねた。
いつものようなからかいではなく、どこまでも慈愛の瞳。
こんなに綺麗な恋人、逃がしてもいいのかな?
そう、挑発されているような気がした。
ハッと、正気に戻る。
とんでもないことに気づいて彼は、首元に冷や汗を流しながら恐る恐る辺りを見回した。
やっぱり。やっぱりそうだ。
開演前から体育館に施されていた、神殿のような演出。
最初はてっきり主催者の手によるセッティングだと思っていたが、違う。
この異界を作り上げたのは、姫だ。
床に敷かれた白いマット、壁を彩る花々の装飾、天井から降る白い光も。すべてが、登壇した桜木姫と抜群の相性で溶け合い、その輝きの手助けをしている。
非日常的な内装で目を楽しませ、暗転によって驚きを与える。だけではない。
ウェディングドレスを着てステージに立つその姿が、最も威力を発揮するための、仕込み。
彼女は持てる手段をすべて使い、ミスコンのアピールタイムと称して、体育館という空間を丸ごと染めてしまった。
その効果のほどは、未だ放心している観客の様子からも明らかだ。
戦慄する。
こんなものを魅せられては、それまでの出演者は前座にすらならない。
前四人の努力を無に帰すどころか、恥に変える行為だ。
本当に本当に、容赦がない。
やはり悪魔のような女だと春樹は再認識した。
けれど――。
彼は祭壇となったステージへ、誘われるように視線を戻す。
そしてまた、白い少女に目を奪われた。
軽やかに、いたずらに、歩み、踊る。そのたびに翻る赤みがかった茶髪を、薄桃と水色の瞳を、追いかけてしまう。
人々を翻弄するその姿は、どうしようもなく綺麗だった。
♥
みんな驚いてる。
驚いてるな。
ステージに立つ姫はうっかりニヤけそうになってしまって、ブーケで口元を隠した。
そうだ。
彼女は自らの世界観に圧倒される人々の、そういう顔が見たかったのだ。
特に春樹の反応は良い。色んな感情が入り混じっていて、最高に狙い通り。
――作品みたいだ。
そう呟いた時、閃きとともに姫の頭に浮かんできたイメージは、人の顔だった。
笑ったり、泣いたり、驚いたり、嫌がったりする、たくさんの表情だった。
芸術の道を歩んでいるうちに、忘れてしまっていたようだ。
姫の本質は、芸術家のような自己の追及にない。
他者のリアクション、見る者の心を揺さぶるエンターテイメント性にこそ、彼女の求めるものはあった。
小さい頃からそうだった。
姫は、人の悲しんでいる姿が好き。人の苦しんでいる姿が好き。
それに、人の楽しんでいる姿も、人の驚いている姿も好き。
何より、人に褒められることが大好きだった。
最近の姫は世界観を構築するにあたって外側を見ず、無意識に自身の内側を掘り下げることに終始していた。その過程で生まれた作品は、たしかに芸術品として優れていたのかもしれない。しかしそれは、伝わる人にしか伝わらない矮小な代物だ。
そんなものの一体、何が面白いというのか。
万人に通じなければ意味がない。大勢を虜にしなければ満足しない。だって姫は、この世の誰よりも強欲だから。
小さくまとまるのはもうやめだ。
アートのコンセプト自体は変えない。初心を曲げることはせず、これからもずっと、世界を『好き』で埋め尽くす。
そして今度はそれを、外へ、外へ広げよう。地球を吞み込んでしまうくらい、大きな世界を表現しよう。姫の『好き』は、姫の中だけで完結しない。世界中の人が、姫の『好き』を好きになる。
ああ、すごくワクワクしてきた。
これだ。姫が作りたかったのは、これだったのだ。
もう迷いはない。
自分のやりたいこと、作りたいもの、目標も、まだおぼろげだけど見つけたから。
淑やかな動作で、姫はブーケを投げる。
小さな花束は弧を描き、前列に座っていた春樹の手に渡った。
目くばせする。
次は、あなたの番だね。
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