23
それからほどなくして、県警に新島とミユキが連行されてきた。
新島は八重樫と辰巳に挟まれ、ツンと顎を上げて一台目の警察車両から降りてきた。玄関で待ち受ける桜庭は新島に目もくれず、二台目の警察車両に歩み寄った。後ろに入江尚志を従えている。
ミユキは速水と市ノ瀬に付き添われ、車を降りてまっすぐ向かってきた。そして桜庭と入江の二人に気付くと、はっと驚いた顔をした。
「美雪……」
感極まったように目を潤ませ、入江が娘の前に進み出た。
「どうしてここにいるの?」
ミユキは普通の声を出そうと努めていたが、わずかに震えてしまっていた。
「美雪、お父さんのことを憶えていてくれたんだな」
「そんな……。お父さんのこと忘れるわけ……」
涙ぐむミユキを、入江は不器用に抱きしめた。すべて知っている。何も言わなくていい。無言でそう伝える父に、ミユキは堪えきれずすがりついた。
「行きましょうか」
市ノ瀬が二人を促して建物のほうを手で示した。ミユキは頷いて歩いていこうとしたが、途中でためらった。足を止め、その場の刑事たちを順に見ていく。
「あの……」
「どうしました?」
「実はわたし……」
何を言おうとしているか見当がついたのか、入江が娘に向かって首を横に振った。だが、ミユキは決然と父を見返した。
「今を逃したら本当のことが言えなくなる。刑事さん、聞いてください。十四年前、妹の美咲を死なせたのはわたしなんです」
「美雪!」
うろたえる入江に構わず、ミユキは話を続けた。
「両親の手を煩わせてばかりいる妹を困らせてやろうと思ったんです。でも、あとで見にいったら息をしていなくて、氷みたいに冷たくなっていました。まだ子どもだったわたしを守るために父が罪を被ってくれたんです」
「もういい。昔のことだから記憶がごっちゃになっているんだろう。美雪は何も悪いことをしていない。刑事さん、早く中に連れていってください」
入江は娘の腕を掴み、すがるように刑事を見た。対応に困った市ノ瀬は桜庭に目で助けを求めた。
「いずれ詳しく話を聞かせてもらうかもしれない。今はそれより先に、君が無事に帰ってきたことを知らせなきゃいけない人がいる。そうだろう?」
桜庭は優しく諭すように言った。するとミユキは足元に目を落とし、わずかに頬を赤らめた。
「こんな勝手な真似をして、今さら合わせる顔がないよ。そばに行くのはもう少し整理がついてからにする。今度こそちゃんと本当のことを話さなきゃ」
ミユキは桜庭たちにぺこりと頭を下げ、建物の中に入っていった。市ノ瀬が慌てて二人のあとを追う。三人の姿が見えなくなってから、速水が桜庭に視線を向けた。
「どうする。今の話、取り調べで追及するか?」
「幼い娘をかばうため父親が罪を被ったということか。青柳課長には報告を上げておくが、当時十歳のミユキの証言があるだけで証拠は何もない。証拠不十分か時効で不起訴になるだろう。当人たちはしばらく苦しむだろうがな」
そう言ったあとで、桜庭は「桧野はどこ行った?」と後輩の姿を探した。
「御手洗母娘に付き添って病院に行っている。あの新島って野郎、かなり強情だぞ。何を聞いても貝のように口を閉ざしている。自分が破滅する覚悟で議員を守るつもりらしい」
「供述に食い違いが出ればしめたものだ。蔵吉刑事部長はともかく渡捜査一課長が協力的で助かった。最初に速水が議員の関与を疑ったとき、余計なことを聞かず捜査員を出してくれたもんな」
入江の取り調べでその可能性に気付いた速水は、すぐさま捜査本部に報告を上げた。渡は難色を示す刑事部長を尻目に、駅前の広場を警戒するよう指示を出した。結果、御手洗母娘の保護と新島の逮捕に至ったのである。
「そのことなんだがな……」
歯切れ悪く、速水が話を切り出した。
「スマートフォンの位置情報のことだ。まほろばフェスタのときは本当にうっかりしていたんだろう。だがラ・クロワはそうでない気がする。夫が監視していることを知っていて、わざと電源を入れたんじゃないか?」
「まさか、夫かその手先の新島をおびき出すために?」
「上には報告していないが、智代さんは保護されたとき、コートのポケットにナイフを隠し持っていた。娘のもとに新島が来るのを見越して、何としても真実を語るよう迫るつもりだったのかもしれない」
御手洗智代が抱える闇の深さに思い当たり、桜庭は言葉を失った。おそらく物心ついたときから家庭内で女性がないがしろにされる光景を見てきたのだろう。御手洗重昭とその妻もそうだったに違いない。
「気付けば自分も同じ立場になり、娘だけは同じ目に遭わせたくなかったんだろう。これは俺たちが迂闊に立ち入っていい話じゃない。刑事失格かもしれないが俺はそう思った」
「……そうだな」
ナイフの所持に気付いたのは速水だけではない。その場にいた刑事全員が暗黙の了解で見逃したのだろう。桜庭は理解を示して頷いた。
「さて誘拐事件のほうは解決した。これでやっと本格的に捜査できるな」
暗い雰囲気を吹き飛ばそうと速水が話題を変えた。二件の不審死、桜庭千尋と飯塚夏苗の事件は事故なのか、それとも殺人なのか。まだ何もわかっていない。これでようやく堂々と捜査ができる。
「そういえばさっき青柳課長から連絡があった。交代で自宅に戻って、身体を休めてから利峰署に戻ってこいだと」
「先に帰っていいぞ。俺は捜査本部に顔を出してからにする」
速水は手をひらひら振って去っていった。
刑事をやっているとよくあることだが、深夜の張り込みから一睡もしていない。先に休みをもらった桜庭は、へとへとになりながら自宅マンションに帰った。
「ただいま……」
玄関で靴を脱ぎながら、いつもの癖で返事を待っている自分に気付いた。「おかえり」と言ってくれる人はもうこの世にいない。そんなことさえ忘れていた。
重い身体を引きずるようにリビングに入り、電気を点ける。自分が家を出たときから変化らしい変化はない。カチコチ音を立てる壁掛けの時計を見ると、午後七時を指していた。
刑事の帰宅にしては早いぐらいだ。桜庭は独り笑いを漏らしてリビングの椅子に腰かけた。そうすると改めて千尋を失った悲しみが襲い、鼻の奥がツンと痛くなった。ティッシュの箱を引き寄せ、音を立てて鼻をかむ。
――泣いている暇はない。千尋は誰に呼び出されたのか、なぜあの歩道橋に行ったのか、調べることは山ほどある。桜庭は壁際のリビングボードに歩み寄り、固定電話の着信履歴を見た。
やはりというべきか、午前一時十五分に公衆電話からの着信があった。どこの公衆電話からかけられたものか警察なら特定することができる。近くに防犯カメラでもあればいいが、そううまくはいかないだろう。
それから寝室に行き、千尋の私物が入っているタンスを開けた。衣類や料理本、好きな歌手のCDなどがきちんと分類して収納されている。しばらく中を探ってみたが、手がかりになりそうなものはなかった。
ベッドのサイドボードには置き時計とたまに聴いているラジオのほか、アクセサリーが外したままの状態で置かれている。真新しい指輪のケースを開けてみると中は空だった。桜庭はリビングに戻り、今度はテーブルの前に立った。
千尋はSNSで自分の日常を発信するタイプではない。どこかにメモや走り書きが残っていないかと、テーブルの上のものをどかし始めた。しかし力が強すぎて昨日の夕刊や雑誌がバサバサ落ちた。
「……」
テーブルの天板に両手をつき、おまえは何をやっているんだと叱咤した。被害者の親族が捜査から外される理由はこれなのだ。すぐ感情的になり、冷静でいられなくなる。千尋の死の真相が知りたければ、夫ではなく刑事として事件に向き合わなければならない。
桜庭は深呼吸をして怒りを鎮め、床に落ちたものをひとつずつ拾った。それをテーブルに戻そうとして、先ほどは気付かなかった一冊の本に目が留まった。
古びた卒業アルバム。
……千尋が話したかったこととは何だ? これに関係あることなのか?
中を検める勇気が起きず、桜庭はその場に立ちすくんだ。すると、そんな緊張感を破るようにテーブルに置いたスマートフォンが振動した。
「盛岡か。どうした?」
「別に大した用じゃないんだがな。飯塚夏苗のスマートフォンについていたストラップがあっただろう。独特の組み紐が使われていたんで商品名が判明した。地元の寺で売られている
「すいきん……。何だそれは?」
咄嗟に漢字が思いつかず、桜庭はぽかんと天井を振り仰いだ。
「水に琴、洞窟の窟と書いて水琴窟。地面の下に作られた空洞に水滴が落ちて、その音が反響して聞こえる仕掛けのことだ。それを模した鈴タイプのストラップがあちこちで売られている。商品によって微妙に音色が異なるらしい」
「それが千切れていたというのか」
「鈴の部分は押収品の中になかった。家以外の場所で落としたか、もう捨ててしまったかのどちらかだな」
「誰かが持ち去った可能性もあるんじゃないか? 千切れたストラップなんて普通はつけない。それこそ捨ててしまうだろう」
桜庭が鋭く指摘すると、盛岡は一瞬黙り込んだ。
「そういう考え方もできなくはないが……。今、家か?」
「そうだ」
「誘拐事件が解決したばかりだろ。じっとしていられないのはわかるが無茶はするなよ」
そう言って盛岡は電話を切った。桜庭はスマートフォンを操作して水琴窟を模した鈴のストラップを検索した。盛岡が言ったように、色も形も様々な根付が売られているらしい。
飯塚夏苗が持っていたものと同じストラップを発見し、詳しく見てみようと思ったとき、またスマートフォンに着信があった。
「桜庭だ。……ああ、言われなくてもわかっている。俺は確実な方法で追いつめたい。約束は守る」
電話に出た桜庭は一方的にそう言った。相手が何か言っているのを無視してさらに続ける。
「だからもう少し辛抱してくれ。周りに人はいないだろうな? よし、それじゃしっかり聞いてくれ」
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