魔澄駆 -序章ー

境 仁論(せきゆ)

序章

 いつまでもヒーローが好きなヒロ。

 いつまでもガキのままのヒロ。

 いつまでも弱虫なヒロ。

 僕はずっとそう呼ばれて虐められてきた。


 僕は閉鎖的な町に住んでいる。きっと名前を言ったところでわからないだろう。過疎と呼ぶ割には人が住んでいるし、都会という割には道行くサラリーマンが不足している。

 そんな町の唯一の特徴は、閉鎖的でみんな心が狭いってところだと思う。田舎の人はおおらか? 

 そんなことを決めるのは、生まれとか環境とかの先天的な要素だけだろう。

 こうして僕が自転車置き場でぶっ倒れているのがその証だ。

「えーてぃーえむのヒロ君、今日も引き出しありがとー?」

 同じ学校の不良三人衆は、財布をぱさりと捨てて去っていった。

「……」

 財布を拾う。何も入っていない。ずっとそんな毎日。

 抵抗しようとは思わないのか? 思えない。だって、怖いじゃないか。

 これがざまあ系の話だと思った人、ごめんなさい。僕は弱い。その弱さを克服したいとも思えない。自分を変えることそのものに、僕は恐怖を抱いていたからだ。

 だから、僕が部屋に引きこもるのも当然の話だった。


自分の部屋に戻る。勉強机の上には改造中のラジオ。床の上には色んな部品が散乱している。

壁には設計図がびっしりと。その中に一枚だけ場違いな子どもの絵が貼られている。

「……助けて」

 ヒーローだ。この絵は、ヒーローだ。

 僕がいつでも縋れるもの。それは、自分が幼いころに作ったオリジナルのヒーローだった。

 壁に磔にされたヒーローは何も喋らない。でもただこうして眺めているだけで、なんとかしてくれるだろうという気にさせてくれる。

 そして普段の機械いじりに埋没する。法に触れそうなぎりぎりのものを作る。

 これを使って世界を変えようなんて思っちゃいない。あくまで、作ることが目的。

 自分が得意なモノにだけ意識を向かわせる。そのときだけは、自分の良くないところを誤魔化せてカッコつけられる気がしたから。

 ただもう、外に出ることはないけど。




 ノンフィクションだと諦めていた日常に、ファンタジーが彩り始めた。真っ黒な、真っ赤な、災害のような非日常。

 信じられる? 怪人が町を襲い始めたんだって。何かの冗談だろうと思いながら、完成したラジオからのガサガサ声を聞いてみる。

「———広場で、怪人が———至急———」

 今日も警察はどこかの広場に行くらしい。

 怪人はゴワゴワした腕を持った人間らしい。真っ黒で岩のような皮を持ち、血に濡れた大爪を四つつけている怪腕なんだって。ついでに、怪人の目は宝石のように赤いらしい

 普通の人間の振りをして町に溶け込み、急に吠えると変身して目的もなく周りの物を壊すんだって。そんな奴らがどこから来たのか、何が目的なのかは誰にもわかっていない。

 僕の知らない世界で起こっているちょっとしたイベントだったが、それは僕にきっかけを与えてくれた。

 壁に新しい設計図を貼った。


 機械いじりが得意。もう武器として十分に使えるものも既にいくつか作っている。今新たに作っているのは、服と仮面だった。

 白い服に白い仮面。一つ加えて白マント。純白の戦士だ。ラジオから流れる警官の声を聞きながら完成に近づけていった。

 一週間もかからなかった。僕は憧れのヒーローの衣装を作り上げた。しかも本当に戦うことができる。

 ヒーロースーツを持ち上げる。見れば見るほど、惚れ惚れする。

 当然、着ないわけがなかった。


 彼の名は魔澄駆(マスク)。魔を澄み切らせて駆ける戦士、魔澄駆。

 

 視界はちょっと悪いけど問題じゃない。これを着る事そのものに意味がある。何か、違うものになったみたいだ。本当にヒーローとして戦えるんじゃないかと思えた。

 鏡に映る自分の姿を見ながら酔いしれる。そしてふと、思った。

(外に出てみないか)

 ちょうど怪人も出ている。こんな状況の中で僕のような成りの何かが出歩いたとしても何の不思議もないだろう。

 カーテンを開ける。数週間ぶりの陽光を浴びる。そして窓を開け、僕は異世界へと飛び立った。


 魔澄駆は、強かった。

 設定通り早く駆け抜け、設定通り怪人との力比べに勝った。何度も何度も殴りつけて、怪人は気を失って倒れた。

「ヒーローだ」

 僕を見て誰かが言った。続けざまに他の誰かも

「そうだ、ヒーローだ」

と、同調した。その声は伝播していき、最終的にはヒーローコールが始まった。

 そんなつもりはなかった僕だが、片手を高く突き上げた。その瞬間に人々はどよめく。

 僕はにっこりと笑い、

「私が、ヒーローだ!」

と叫んだ。

 みんなが喜んだ。


 何度も戦い続けた。毎日どこかに現れる怪人。毎日魔澄駆は求められる。

 助けてという声が聞こえる限り、ヒーローは絶対に人々を守る。魔澄駆は終わりの見えない戦いに身を投じていった。

「っはあ、はあ……!」

 部屋に戻るといつもこうだ。魔澄駆でいるときは感じなかった体の負担が帰った瞬間に押し寄せる。立ってもいられないほどに。

「———至急、———」

 また怪人だ。

「いか、なきゃ」

 ヒーローとしての使命感。それだけで足を奮い立たせる。

「僕、が、ヒーロー、なんだ」

 軋む骨。それでも立たないと。僕に、苦しんでいられる余裕は、ないのだから。

「立て、私よ」

「……え?」

 声がした。部屋には僕しかいないのに。

「私よ、立つんだ」

 声は前の方から聞こえていた。そこに目を向ける。そして僕は、自分の顔に仮面がついていないことに気が付いた。

「私が、ヒーローだ」

 声は、仮面の方から聞こえていた。


「魔澄駆が来たからにはもう安心だ!」

 満面の笑顔を子供たちに向ける。それだけでもう勝利は決まった。

 あとは僕が裏で作っていた専用のレイピアでとどめを刺す。それだけだった。

 そして去る時はいつも、

「私は誰にも負けない!」

と、毎回変わる決め台詞で観客を沸かせたのだった。


 僕は、また部屋に引きこもった。


 作るのが好きだった。何かを作っているときだけは、自分を忘れられるから。ずっと目の前のものにだけ意識を向けることが出来るから。

 だから、自分の心配をするなんて僕には無理な話だったんだ。ヒーローをやり切れなかったのも当然だ。

 ヒーローへの憧れは、ある。無かったら魔澄駆を作ろうとすら思わない。それを、身に纏おうとも。

 変わりたかったのかもしれない。

 ずっと弱いままの自分を、否定したかったのかもしれない。

 だから、魔澄駆を着た。

 でも僕は、何も変われなかった。

 僕と魔澄駆は、もう別々の存在になってしまったのだから。

「戦いは絶えないな、私よ」

 ヒーロースーツを脱ぎ捨てたはずのベッドから声がする。等身大の、強烈な気配がある。

「僕は、どうすればよかったんだろう」

 別れた理屈はわかる。要は、僕のキャパじゃ処理できない、人々を守るという使命を請け負うために魔澄駆は別の人格になったんだ。演じてきたはずの側面が、本当に僕から独立してしまったんだ。

「何を迷うことがある? 私よ」

 肩に手を置かれたような気がする。

「君が君で在る限り、私も私。みなのヒーロー、魔澄駆なのだ。君のおかげで、私は強いままでいられるのだ」

「魔澄駆。つまり、お前は」

「私は、君の理想だ」

 気配が消える。振り返るとそこには、丁寧に折りたためられた衣装と仮面が置かれていたのだった。

「お前が、僕の理想なら」

 やっと会えたヒーロー。いつもすぐそばにいてくれるヒーロー。夢を叶えたはずなのに、胸の中の黒いものはもっと濃くなっていく。

「僕は、ずっと弱いままじゃないか」

 僕のなりたかった理想は別存在になるしかなかった。それなら僕自身はその理想に辿り着くことはできない。ヒーローがヒーローであるためには、僕はもう、変わってはいけないんだ。


 


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