踏切/峰岸 への簡単な感想

 応募作品について、主催者フィンディルから簡単な感想を置いています。全ての作品に必ず感想を書くというわけではありませんのでご注意ください。

 指摘については基本的に「作者の宣言方角と、フィンディルの解釈方角の違い」を軸に書くつもりです。

 そんなに深い内容ではないので、軽い気持ちで受け止めてくださればと思います。


 またネタバレへの配慮はしていませんのでご了承ください。




踏切/峰岸

https://kakuyomu.jp/works/16817330654085864277


フィンディルの解釈では、本作の方角は北北西です。


話の構成はエンタメだと思います。踏切のバケモノの話が出て、おじさんとの交流があって、給食袋を取るために夜に踏切に行って、バケモノの正体が明らかになる。「踏切のバケモノを明らかにする」という話の目的に向かって展開されるエンタメだと思います。

ただ世界観および世界観の見せ方に西があると思います。基本的には現実世界と同じなのだけど、少しだけ不思議なものがある世界。

本作は二種類の不思議を扱っています。まずは主観的な不思議。大人にとってはメカニズムや生態が明らかになっていて不思議ではないけど、「ぼく」にとっては不思議な不思議。次は読者視点の客観的な不思議。作中人物にとっては当たり前の存在で不思議ではないけど、読者にとっては現実世界に存在しない不思議。

本作はこの二種類の不思議を扱い、さらに踏切のバケモノ(雲母)にはこの二種類の不思議が重ねられています。

これにより本作の世界観および世界観の見せ方はかなり独特で、不思議のレースが複数枚かかっているような質感になっていると思います。かつ「読者にとっても作中人物(大人)にとっても不思議」という不思議は存在しないのもポイントですね。

魅力的です。


そしてこの世界観、冒頭でかなり上手く示されていると思います。

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 この世界にはふしぎなことがたくさんある。天気が良ければ魚のような生物が空を飛ぶし、お天気雨がふれば狐が嫁入りをしている。空中をぷにぷにした生物がただよっていることもあれば、チョークの粉を綺麗に食べてしまう生物もいるし、山びこに今日の夕ご飯を聞けば「お前の母ちゃん、ハンバーグの材料買ってたぞ」と返してきてくたり、ぼくらは不思議と共存して生きている。それはこれからもずっとそうなのだろうとぼくは思う。

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「魚のような生物が空を飛ぶ」、フィンディルは「いわし雲のことかな?」と思いました。「お天気雨がふれば狐が嫁入り」はそのまま狐の嫁入りですし、「子供の目を通すと、世の中のことは全て不思議になるんだなあ」と解釈しました。

しかし次の「空中をぷにぷにした生物がただよっている」は現実の現象に変換できませんでした。もしかしたら峰岸さんのなかでは何か変換元があるのかもしれませんが、山びこも合わせて、これは我々の目で見てもちゃんと不思議な事象なのです。

つまり「『ぼく』にとっての不思議」と「読者にとっての(も)不思議」の両方が冒頭にて例示されている。そしてそれは「『ぼく』にとっての不思議」として同列に扱われている。


この冒頭説明により、踏切のバケモノがもたらす不思議をきちんと楽しむことができました。

「ぼく」が踏切のバケモノに怖がっているときに、「そうそう子供のときって何でも怖がってたよね」と「何だろうね……電車、じゃあなさそうだな」の両方をフィンディルは思いました。

この両者が同時に重なる、とても面白い読書体験だったと思います。片方だけのシンプルな不思議だったらこの魅力は出なかったはずです。前者だけなら「いや電車じゃん可愛いなあ」で終わりますし、後者だけなら「何だろうねー」で終わりますから。

こんなに独特な読書感を、こんなに的確に伝えることができている。不思議の扱い方が高度で、非常にセンスがあると思います。

そして「読者にとって不思議でないものも不思議であるものも同列に不思議と捉える『ぼく』の目を通して見る不思議」で世界観が綴られているので、何がどこまで不思議なのかが曖昧で、この見せ方には西の要素があると思います。


方角抜きにすると、細部にて「多分こういうことなんだろうけど伝わりきってない」と感じるところが少しだけ気になりました。

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お化けはちょっとだけ苦手だから、トイレの帰りが怖くなってしまう。

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おそらく「トイレに行くときは怖くてそろりそろりと向かうけど、トイレから帰るときは恐怖に追われるように急いで戻ってしまう」という子供らしい描写を描いていると思うのですが、この書き方だと、トイレから帰るときは怖いけどトイレに向かうときは別に怖くないみたいな見え方をしてしまうだろうと思います。

また怖がっていたおっちゃんから「おう、坊主。大丈夫か?」と話しかけられたとき、「ぼく」に返事をさせないことでおっちゃんへの恐怖を描写しているものと思います。大人が話しかけたときに黙って返事せずに動作だけで対応してしまうの、子供らしいと思います。あれって、人見知りと恐怖などが混ざってああなっちゃうんですよね。ただお礼はちゃんと言いなさいと親に教わったからお礼だけはちゃんと言って、それをきっかけに発言できるようになるみたいな。そういう描写としては非常に上手いのですが、本作が「ぼく」の心情を丁寧に綴るタイプの一人称視点なので、その描写があんまり読者に伝わらないんですよね。「あれ、怖いと思ってたはずなのに怖がってないよ?」という見え方になってしまう。

ですので「こういうことなんですよ」がしっかり読者に伝わるような書き方が工夫できるようになると、さらに魅力を伝えられるようになるんじゃないかと期待します。

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