横顔/澄田こころ(伊勢村朱音) への簡単な感想

 応募作品について、主催者フィンディルから簡単な感想を置いています。全ての作品に必ず感想を書くというわけではありませんのでご注意ください。

 指摘については基本的に「作者の宣言方角と、フィンディルの解釈方角の違い」を軸に書くつもりです。

 そんなに深い内容ではないので、軽い気持ちで受け止めてくださればと思います。


 またネタバレへの配慮はしていませんのでご了承ください。




横顔/澄田こころ(伊勢村朱音)

https://kakuyomu.jp/works/16817330653661801253


フィンディルの解釈では、本作の方角は真北です。

初読時は北北西~北西の印象だったのですが、時間が経つごとに北が強く(=西が弱く)感じられていきました。


理由は四つです。ひとつずつ紹介していきます。

ひとつめ。物語の核を虫食いにすることで「書かない」を表現しているから。

本作は「書かない」ことで読者の解釈を誘っているのですが、解釈を誘うポイントが明確です。美優(わたし)が彬(兄ちゃん)の気持ちをわかったのは何故か、美優の気持ちとは何か。この二点ですね。この二点は本作を理解するうえで核となる両ポイントだと思いますが、本作は意図的にこれを「書かない」ことで、読者の解釈を割れさせています。

確かに「書かない」のは西との親和性が高いですし、“流行りのエンタメ”は「はっきり書く」というのもそのとおりだと思います。ただ「書かない」=西とはならないだろうとも思います。一口に「書かない」と言っても、どのように「書かない」を表現しているかによってその性質は大きく変わると考えます。書かないエンタメだってあるはずです。“流行りのエンタメ”でないだけでエンタメの範囲には収まる可能性も十分考えられるはずです。

本作は物語をしっかり論理的に構築したうえで、そこから大事なポイントを「書かない」、つまり空欄にしているように思います。このようなアプローチで「書かない」を表現すると、読者の解釈は空欄を埋めることに集中します。美優(わたし)が彬(兄ちゃん)の気持ちをわかったのは何故か、美優の気持ちとは何か、ここに絞って解釈するようになります。

これはクイズの楽しませ方に近しいと判断します。虫食いクイズですね。前後の文章から空欄を推測する楽しさ。虫食いクイズも「書かない」創作ですが、虫食いクイズは明らかにエンタメです。仮に解く人(読者)によって答えが割れても、それを指して純文だ芸術だと考える人はおよそいないでしょう。

解釈ポイントが特定かつ明確、この楽しみ方は西っぽくなくて北っぽいと感じました。


二つめ。おそらく作者は本物語を論理的に解説できるだろうと思えるから。

さきほどの内容とも被るのですが、「書かない」表現を見るかぎり、作者は本物語を論理的に解説できちゃうんだろうなあという印象がありました。母親は置いておいて、彬の気持ちも咲良も気持ちも美優の気持ちも、咲良はどういう気持ちで「ともだち」を描いたのかも、「ともだち」に咲良を重ね見た彬・美優の感想がどんな意味を持つのかも、澄田さんは全てに論理的な解説ができるんじゃないかと思います。(細部だからという場合は除いて)「作者である私にもわかりません」という箇所はおそらくないのではと想像します。

どうしてそう感じるのかというと、文章の統率がとれている印象があるからです。文章に逸脱を感じない、作者の想定に従っている印象があります。エンタメとしてそつがなく上手い、ということですね。

そしてこうなると西が弱く、北が強く感じられるように思います。


三つめ。最終的に作品に残る感情が恋心に絞られていくから。

物語が始まったときは、恋心だけでない感情が描かれていたように思います。楽しさや寂しさなど、少年少女をある程度包含する心情が存在していたように思います。

が、物語が進むほどに表現対象の感情が絞られていって、最終的には恋心だけが残る印象がありました。恋心と、恋心に起因する感傷ですね。そしてこれは論理的な構築に組みこまれている。

ここにエンタメらしさを感じました。読みどころとなる心情や感情がフォーカスされる感覚はエンタメらしいそれです。人間の茫洋さがカットされていく印象がありました。


四つめ。これは非常にエンタメ技術が光るのですが、母親の存在と視点者の小学生設定が活きているから。

本作は小中学生の「繊細で敏感だけど自分の気持ちに気づけていない幼さ」が描かれているのですが、これを表現するうえで非常にきいているのが「子供同士の微妙で繊細な関係性を関知していない」母親の存在です。そんな大人である母親を配置することで、「あーそうだよね、親って関知してなかったりするよね」と読者に小中学生の雰囲気が蘇ってきて、小中学生の表現が効果的に強化されているように思います。

またそういう構図表現を行ううえで、視点者の美優が小学生である点も非常にきいています。中学生くらいになると「親は関係ないから」みたいに蚊帳の外に配置したがるんですけど、小学生くらいだと「もーわからないかなー、鈍感で天然だなあ」みたいに蚊帳の中に入れることの抵抗感が少ないだろうと想像できます。中学生は蚊帳の中に入れずに除け者にするけど、小学生は蚊帳の中に入れたうえで除け者にすると。こういう小学生らしい処理により、キャラ表現の構図において母親を効果的に機能させられていると思います。

キャラ構図や視点者の設定を活用したキャラ表現、非常に上手いと思います。機能していると思います。

ただそういう技術が光ると、かえって西らしさは弱まる印象があります。北らしいというわけでもないのですけどね。小中学生を描くことのみで小中学生を描いているのなら西らしさも出ると思うのですが、他者(大人・親)を構図に組みこんだりして総合的に小中学生を描いているとなると、それはエンタメの人物表現テクニックなんじゃないかなという印象がありました。表現の品質の上げ方が北だと。


といった理由から真北と判断しています。北北西にかなり近いとは思いますけどね。

仮に澄田さんが西を目指されたいなら、「書かない」の表現方法にこだわる、解説しきれない重要な何かを作る、取りあげる心情をわかりやすく絞らない、などが考えられるかなと思います。あとはもちろんエンタメ技術を光らせすぎないことも。

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