第20話 終章

 がらんとした事務所の中。草間は部屋の中心に立って眺めていた。備品は全て運びだされ、もう何も残っていない。

 次元穴が開いた事で、この町はじきに立ち入り禁止区域に指定される。住んでいた人は、否応無しにどこかへ行かなくてはならず、町はいつも慌ただしかった。


(今思えば、随分短かったんだな)


 ここで働く事になって四年。阿久津と会ってからなど、僅か三ヶ月足らずだ。何だか、もっと長かったような錯覚を感じていた。


 玄関から大きな音が聞こえた。こんな音を立てるのは一人しかいない。


「くーちゃん、ここにいたんですかー。ほらほら、早く出発しないとー」

「ああ、そうだな。行こうか」


 今日は初見と阿久津の別れの日だった。

 二人は事務所を出て、初見達のいる空港へと向かった。



 空港には人がごった返していた。皆、ここから出て行くのだろう。あちこちで別れの言葉や泣き声が聞こえる。

 草間達は16番ターミナルへ向かう。そこは他と比べて人が少なく、ぽっかりと穴が開いたようだった。だから、初見達の姿をすぐに見つける事が出来た。


「はーさん! あーちゃん!」


 香坂が大声を出して、ブンブンと右手を大きく振った。初見達もこちらに気付いて、初見が小さく手を振り返す。


「二人とも良く来てくれたわね。ありがとう」

「当たり前じゃないですかー」

「所長、出発の時間は?」

「一〇分後ぐらいに搭乗ね。ねえ草間、もう所長っていうの止めないかしら。今の所長はあんたでしょ?」

「それは、そうですが。やっぱり所長と呼ばせてください。もう慣れてしまいましたし、他に何と呼べばいいのか」

「ははは、まあいいんだけどね。少しはその堅物な性格を丸くしなさい」

「う、精進しますよ……」


 初見はおかしそうに口に手を当ててクスクスと笑い、草間はバツが悪くなって頭をかいた。

 気を取り直し、草間は初見に頭を下げた。


「今までありがとうございました。それに今回の事も……」


 戦いが終わったあの日に飛んできたヘリは次元穴対策委員会だった。初見と阿久津は存在が明るみに出た事で、身柄を次元穴対策委員会に預けられる事となった。本来なら関係者である草間と香坂も連れていかれるはずだったが、初見が手を回してくれたおかげで免れたのだ。ただ、数年は影から監視される日々が続くだろうが。


「はーさん、やっぱり私達も……!」


 付いていくと言いかけた香坂を、初見は首を振って止めた。


「駄目よ。ここから先は私達の仕事。あんた達にはあんた達の仕事があるの。私達は次元獣から人々を守りつつ、次元穴を塞ぐ方法を探す。あんた達はいつか私達が戻ってこれる場所を作って守っていって。大丈夫、あんた達がおじいちゃんおばあちゃんになる前に解決してあげるから」

「はい……」


 香坂は涙ぐんで鼻を鳴らす。初見は香坂を慰めるように肩を抱いた。

 その様子を微笑ましく見た後、草間は阿久津に向き直った。どうしても一つ、謝らなければならない事があったからだ。


「阿久津、色々とすまなかった。その、あの時の事とか……」

「ぐす、本当ですよー。あのドラマティックな愛の告白が、まさか真っ赤な嘘だったなんてー!」

「う、嘘は言ってないぞ! ただ頭に血が上って、つい言葉を選び間違えたというか……」

「勘違いさせたならそれは嘘と同意です! あーちゃんに何発か殴られても、文句は言えませんよねー」


 そんな事は香坂に言われるまでもない。草間は目を瞑り、覚悟を決めた。


「それで許してもらえるとは思ってない。だがせめて俺を気の済むまでやってくれ」


 草間は次元獣さえ殴り飛ばすパンチがくるのを、今か今かと待っていた。正直、奥歯が震えるほど恐ろしく怖い。内臓破裂程度で済めば御の字とまで思っていた。しかし一向にパンチはやって来ず、草間が目を開けようとした瞬間だった。首に長いものが巻かれ、唇に温かく柔らかなものが押し当てられる。


「あ、ああああああああ!」


 香坂の絶叫がターミナル内に反響した。阿久津が草間にキスをしたのだ。草間は驚きで何も考えられず、ただなすがままと化していた。

 僅か三秒で阿久津は草間から離れると、向日葵のような笑顔を草間に贈る。


「いみはちがってたかもしれないけど、わたしすごくうれしかった。わたしもくーちゃんがすき。だいすき。はなれてもいつだって、くーちゃんのことおもいだすから」

「あ、ああ」


 未だ放心状態から抜け出せない草間を見て、阿久津はクスクスと笑い声を漏らした。


「さて、そろそろ時間ね。二人とも元気で。またいつか、世界が平和になったら再会しましょう」

「はーさんとあーちゃんもお元気でー。くーちゃんの事はどーんと任せてください!」

「俺はお前に世話になるほど落ちぶれちゃいない」

「あははは! 草間の事は香坂に任せとけば安心ね。じゃあ行ってきます」

「ばいばい。くーちゃん。あーちゃん」


 初見と阿久津は手を振り、飛行機の中へと消えていった。


「……行ってしまったな」

「絶対にまた会えます」

「ああ、そうだな。それじゃ俺達も行くか」

「はい、いざ新天地へー!」


 草間達は踵を返し空港を後にする。新しい事務所を構え、いつの日か二人を迎え入れるために。

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緩やかに壊れゆく世界の中で 夢空 @mukuu

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