美術教師(仮)④

「ていうか、千佳子に聞けば、修羅場なんていくらだって話してくれるんじゃねぇのか。ぼろぼろ出てくるぞ」


 呆れ返った声がぼそぼそと呟いた。決して、歓迎している声音ではない。だが、千佳先輩がネタの宝庫であることは紛れもない事実だ。


「もしかして、透先輩が遊び歩いてるのってネタのためですか?」

「それもある」


 ということは、それじゃないこともある。

 自分のことはこれほど割り切っているというのに、千佳先輩のこととなると何故頑なな視点が抜けないのか。その危なげは僕だって理解したが、それにしたって過保護である。

 千佳先輩に思うところがあるのは、本心なのだろうか。そんな考えが浮かんでは消えることを繰り返すくらいには、こっちにも思うところが出てくるくらいだ。


「というか、遊び歩いてるけど、大体相談聞いてるだけだぞ」

「それ、遊び歩いてるって言います?」

「まぁ、こっちは聞くだけだし、ついでにカラオケ行ったりファミレス行ったりしてるようなもんだし、遊んでるだろ。息抜きってことで普通にデートもするし」


 思ったより、しっかり遊んでいる。相談と聞くと、真面目さに傾く天秤の釣り合いを元に戻すどころか、逆側に傾けるような弁明だった。


「まぁ、女子が多いしな」

「男同士で遊んだりはしないんですか?」

「合コン紛いなことになったりはするな。でも、基本女のほうが多いよ。俺は少女漫画を描くし、女子目線の感触が欲しいからな」

「女子と男子で感じ方って違いますか?」

「いや、それはもう人それぞれとしか言えない」


 それじゃ、女の子にこだわるのは結局透先輩の好みという話か。

 だらりとだらけながら、透先輩を緩く見上げた。透先輩は肘を突いて僕を見下ろしていて目が合う。

 ただの雑談のときよりは、いくらかまともな顔をしていた。……透先輩のそれを見通すのは結構難しいので、当たっているかどうかは甚だ疑問だが。


「女々しい男だっているし、肉食女子だっているし、その辺りは完全に個人のもんだよ。男の恋は名前をつけて保存。女の恋は上書き保存。よく言う文句も間違っちゃないし、統計的にはそうなのかもしれないけど、イレギュラーは何事にも存在する。そのうえ、創作となればイレギュラーのほうが断然面白い要素になりやすい」

「じゃ、女子にこだわることないじゃないですか」


 やはり、趣味か。透先輩のことは予測ができない。そうだとからっきしで頷きそうな気もするし、首を横に振りそうな気もした。


「そりゃ、精神性はもうそのキャラの個性に任せるしかないし、男も同じくらい収集したいけど。でも、やっぱりな……肉体的なことは分かんないからな」

「……下世話な話ですか」


 茶化しているわけではないのだろう。それでも、僕は猥談する友人なんていた試しがなくて、間合いが掴めない。潔癖を謳うわけではなく、あけすけな相手が単にいなかっただけだ。


「ぶっちゃけそういうとこもある。けどなぁ、なんつーか、胸見られてるのがどれだけ分かってんのか、とか。自分がテンション上げるためにお洒落してるんであって、別に男にモテようとしているわけでもないとか。そういう機微? なんてのはさ、残念ながら確実に把握はできないじゃん。ヒロイン視点で描くなら、それは欲しい」

「……そもそも、その視点が緩いですよね」

「そういうこと」


 一度言われれば、想像として装備されるかもしれない。だが、そもそも気にする点としてインプットされていなければ、視点にならないことだ。それを手にするために遊び歩いてるということだろう。


「僕じゃ難しいですか」

「お前はその分、色々と読んで知識を蓄えるタイプだろ。そりゃ、体験するに越したことはないだろうけど、想像力があるってのも十分武器じゃん。視点のレパートリーがあるのは強いぞ。創作物ならではの視点ってのもあるわけだし」

「ならでは?」

「魔術師としての矜持がどうとか、吸血鬼の性質から来る性格とか。そういう視点は色々創作物を見て積み重なっていくものだろ。知ってればイレギュラーも作れる」

「ラブコメだと、リアルに負けませんか?」

「ラブコメだって設定次第だろ。天使が現れるとか、それこそ異世界ものとか、ファンタジー要素が入ったりすれば変わってくるじゃん」

「今回は学園ものなんですよ」

「じゃ、今回は今回でプロットに沿って修羅場展開させるしかないな」


 元の木阿弥のようなことを言われて、でろっと感情が溶ける。ますますテーブルに突っ伏して懐いた。僕の落胆が伝わったのか。透先輩の大きな手のひらが、大雑把に頭を撫でる。ここで丁寧にされても困るので、手荒いくらいがちょうどいいけれど。


「まぁ、根は詰めないにしても、根性で頑張るしかないな」

「結局根性論にしないでくださいよ」

「他は体力つけろってことくらいしか言えないけど」

「体力……」


 長時間集中し続けようと思えば、体力がいる。アドバイスは素っ頓狂ではないけれど、話に行き詰まっていることと直接的に関係がなかった。今の僕に適したものではない。

 愚痴のように零してしまった僕に、透先輩の手のひらがとんとんと頭を叩いてくる。励ますというよりは手遊びのようであった。多少は励ましの気持ちもあるのだろうけれど、それを感じさせない軽やかさがある。

 それが透先輩の印象からブレていないものだから、僕は閉口するしかできなかった。


「息抜きついでに筋トレするのはありだろ」

「透先輩やってるんですか?」

「俺はほら……身体動かしてるから」

「は?」


 僕は透先輩が身体を動かしているところを見たことなんてない。さも知っているだろうとばかりに言われても、困惑しかなかった。

 テーブルに頬をくっつけたまま、頭を揺らして困惑を伝えると、透先輩はニヒルな笑みを浮かべる。今までの創作談義とは顔つきが変わった。これは嫌な予感を運んでくるときの顔つきだ。

 目を細めて様子を窺っていると、片眉が持ち上げられる。


「遊び人が言う運動は概ねひとつと結びつくと思うが?」


 言葉に即したニヤニヤとした笑みは、あえて作り出したものだろう。僕が理解できるように。耐性のなさそうな僕をからかうために。それが分かってしまえば、大袈裟な反応をするのが悪手だということは明瞭だ。僕だって、やられっぱなしではない。栞に慣れたように、透先輩にも慣れている。

 眉を動かすだけに留めていると、透先輩は面白くなさそうに顔を顰めた。


「もっと騒ぐと思ったんだけどな」

「なんで先輩を喜ばせなきゃいけないんですか」

「栞なら話は別だけどって?」


 プロらしい創作者の顔はすっかりなりを潜めて、冗談が大好きなただの先輩に戻っていると分かっていた。けれど、的確にポイントを突いてくるのは嫌らしい。声こそ出さなかったが、反射で揺れた身体の不始末は隠せなかった。

 透先輩の笑みが深まったのが、顔を見ていなくたって分かる。


「本当、栞ちゃんのことはちっとも隠せないな。そんなに気になってるくせに、放っておいていいのか」

「それこそ、放っておいてくださいよ」


 実にガキっぽい。不貞腐れた僕に、透先輩は声を上げて笑う。

 創作談義では、頼りになっていた。千佳先輩のときも同じだ。見直すところがあるというのに、それを台無しにする。

 これは元来、性格が悪いということか。それとも、計算尽くでバランスを取っているのか。そのどちらにも取れるものだから、どこまでいっても掴めない。ただ分かるのは、からかいモードの透先輩は僕にとって不都合だということだ。


「じゃ、俺が手を出してもいい?」


 冷静になれば、そんなもの挑発して僕を弄ろうとしたことなど明白だった。

 けれど、リアルタイムの会話で、そんな冷静さが常に隣にあるなんてことはない。僕は上半身を持ち上げて、一心に透先輩を見上げてしまった。

 透先輩は笑みを浮かべて、面白そうに両手を挙げる。白旗を揚げているつもりだろうが、何に観念しているのかはさっぱり分からなかった。場の主導権は透先輩が握ったままだ。


「そんな睨みつけんなよ。冗談だっての。いくら俺でも荘の中で手を出そうなんてことはしないって。面倒な」

「千佳先輩とはどうなってんですか」


 聞けたのは、からかわれていることへの開き直り半分だっただろう。だが、ずっと気になっていたことだった。

 透先輩は一瞬で優位性を失ったかのように、顔を顰める。僕のことを分かりやすいと言うけれど、千佳先輩へ対する透先輩の態度も大概分かりやすい。

 ただし、これは反応が分かりやすいというだけだ。その中身を推測することはできないので意味がない。


「千佳子と何かあったらこんなもんで収まってるわけないだろ」

「どういうことなんですか、それは」


 現在でも、二人は口論でコミュニケーションを取っている。喧嘩が絶えない愉快な二人状態だ。

 それで収まらないとは、どういう意味なのか。僕には想像できなかった。そもそも、愉快な二人である以外はいまいち掴みきれないのだから、想像なんてできるわけもない。


「千佳子が俺を許すなんてよっぽどの大事件でもないとあり得ないだろ」

「でも、それなら収まるところに収まることもあり得るってことでしょ。少なくとも、透先輩からは」

「そりゃ、俺は千佳子を嫌う理由がないからな」

「じゃ、なんで千佳先輩の遊びに口うるさく執着しているんですか」

「それ、理由言わなきゃ分かんないか?」


 透先輩は心底嫌気が差すかのような渋い顔になる。

 今まで以上にあけすけで明瞭な態度に、堪えきれずに笑ってしまった。透先輩が僕のことを笑う気持ちがよく分かる。

 今までは真意が読めないままでいたが、どうやら心から心配しているようだった。何度も思ったことだったが、ここにきて鮮明になる。睨まれて笑いを収めたが、ニヤニヤは止まらなかった。


「分かったからって、そういう反応をするかね。この後輩くんは」


 ふんと鼻息荒く捨てるように言い放った透先輩は、僕の鼻を摘まんでくる。息ができないので、はふっと口を開くことしかできなかった。


「それもたっくさんアドバイスしてあげた創作の先輩に向かってよ、なぁ」


 よほど知られたくない。または、明言して欲しくなかったのか。透先輩は不貞腐れたような苛立ったような声音で、ぎゅうぎゅう鼻を摘まんでくる。


「すいません」


 そこまで強烈に申し訳なくは思っていない。だが、普通に痛いし呼吸がしづらいので、素直に謝罪を零す。鼻づまりの声は、発音もうまくできなかった。

 透先輩は不機嫌な顔をしたままだったが、指だけは離してくれる。そして、くしゃりと金髪を引っ掻き回して掻き上げた。刈り上げていたことには、こうでもないと気がつかない。

 髪型ひとつ取っても、イケメンの面目躍如であるようだ。苛ついている様子ですら絵になるのだから凄まじい。理不尽な態度を取られていることさえ、気にならないほどだ。

 そりゃ、遊び歩いていても、問題なく事を成せるだろうなと他人事のように思った。


「俺と千佳子のことはほっとけ」

「そっくりそのまま返しておきますよ」

「しょうがねぇなぁ、せっかく面白いことだったのに」

「趣味悪いんですよ」

「そんなん元から分かってただろ」

「開き直らないでください」

「はいはい」


 適当な返事に今度はこっちが眉を顰める。

 僕は透先輩と千佳先輩のやり取りをぐだぐだ言えないのかもしれない。あれほど過激にないにしろ、僕らにも振り幅があるし、それがかなりの頻度で入れ替わり立ち替わりしている。

 透先輩は立ち上がりながら、僕の頭をぽんぽん叩いた。もはや、手癖でやっているだけに過ぎないのではないか。そこには励ましなどが含まれているとは思えなかった。


「とにかく、何にせよやりたきゃやるしかないんだから、頑張れよ」


 とんでもなくカジュアルでありながら、一切の予断ない真実を寄越す。正論とはときに打ちのめされるほどのものだ。しかし、透先輩はそれが当然だとばかりに軽やかに口にする。


「透先輩はそんなとき、どうしてるんですか」


 もうきっとこのまま去ってしまう。だからこそ、とても直截で愚直な物言いになった。剥き出しに過ぎて、縋っているのが丸わかりだ。こっぱずかしくて、視線が下がる。

 だが、透先輩はいつも通りフラットだった。一部一部を知るようになっても、山下透という多面体な人間を理解するのは到底難しい。


「やるしかないなら、やるだけだよ。俺だって、それしかできない」


 その声には苦笑があった。だが、言っていることは精神論でしかない。突き放されたとまでは思わなかった。

 透先輩にも他のことを言えないほどに、根気強く積み重ねるしかないことは理解できる。それでも、少し肩透かしを食らった気持ちは拭えなかった。だからって、それをぶつけるほど、不躾にはなりたくない。求めた僕に、透先輩は答えてくれたのだから。

 そして、それを最後に透先輩はするっと去って行く。やればできてしまう、という実力を感じてしまって仕方がないのは、僕が卑屈なだけだった。

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