3 ドリアの香りの誘惑


 女の子が来ている。髪が長くて可愛い。目が大きくて、ちょっとネコ瞳? 胸はちゃんとあるし、足は細いし。歳は俺たちと一緒ぐらい。同じ大学の子かな。

 女の子から甘い香りが漂ってくる。ウチは無香料派だったので姉ちゃんも何もつけていなかったけど、それでも女の子というのは仄かにいい匂いがするんだけど、この子のはちときつい。少し減点。


 もちろん可愛い女の子は大歓迎だけど、どうリアクションしたらいいのかな。

 それに、お腹が空いているんだけど、メシはどうなったんだろう。もしかして、彼女と一緒に食べるのか!? 俺はお邪魔虫か!? どうしよう……。


 榎木はどんな顔をしているのかな。

 恐る恐る榎木の顔を窺うと、榎木は俺を見ていた。ばっちりと目が合う。席を外せと言われたらどうしよう。というか、俺が気を利かせなければいけないのか!?

 榎木が口を開きかけて、俺は少し身を竦めた。


「篠原、お帰り」

 それだけ?

「ただいま。えっと、その子は?」

 はっきり言ってくれないと、どうしていいやら……。

「学校の子」

 それだけ……?

「お前かと思ったら、そいつだった」

 ええと、つまりこの子が勝手に押しかけて来た訳か。


 首を傾げて女の子の方を見る。女の子のネコ瞳がちょっと意地悪そうに細められた。

「やっだー! いつも一緒にいると思ったら、一緒に住んでんのー!?」

 いや、そんなにいつも一緒に居る訳じゃないぞ。大体、理系のコイツと文系の俺と学部が違うし。

「篠原って、女に興味なさそう」

 ええっ!? 何という誤解を――。

「何でー!? 俺、女の子好きだよ。君も可愛いなあと……」

 しかし、彼女は俺の一生懸命の言葉を、途中でさっさと遮ってくれたのだ。

「あら、ありがと。でも、あんたに好かれたって、イミないの」


「ええと」

 再び、どういうリアクションをしていいか分からなくなる。ボケらと突っ立っている俺を押し退けて、榎木が女の子に向かった。

「今から晩飯なんだ。二人分しか作ってないし、帰ってくれないか」

 おい、それはちょっと冷たいというか……。


「榎木が作るの?」

 女の子が嬉しそうに榎木に向かう。

 ううむ。榎木を目当てに来たのか。ここは気を利かせるべきか。

「あの、俺、邪魔は……」

 しかし、今度は榎木が俺の言葉を遮った。

「俺はさ、俺より美味い飯を作る女じゃないと付き合わねえ」

 まるで、この子がお料理が出来ないみたいじゃないか。

 だが、俺がオロオロする中、女の子はぷうっとほっぺを膨らませると、つんと顔を反らせて帰ってしまった。


「いいのか?」

 あんな邪険にして。帰り際に俺を睨んでいたし、ちょっと怖かったぞ。

「女は面倒くさい」

 ああ、そうだろうよ。お前はな。でも、面倒くさがっていたんじゃ彼女が出来ないんだぞー。


 榎木は俺の内心にはお構いなく、テーブルにさっさと料理を並べる。コンソメスープにミモザサラダ。そして――。

 おお!! イタメシじゃん。

 榎木がオーブンから取り出したのは、熱々のドリアだったのだ。

 コイツ、これが早く食いたかったのか。ガキだなあ。

 しかし、榎木は俺の顔を見て言ってくれたのだ。

「お前って、案外ガキっぽいよな」

 ちえ。お前に言われたくないぜ。

「可愛いし」

 ……。

 何で俺、顔が赤くなるんだよ。


「食おうぜ」

 さっさとキッチンの椅子に座って榎木が俺を急かす。

「う、うん」

 実は先ほどからいい匂いが部屋に満ち満ちて、俺の空きっ腹を直撃していたのだ。榎木の向かいに腰を下ろして、早速スプーンを手に取った。

「いただきまーす」

 熱々のドリアにスプーンを突っ込むと、小エビやイカやホタテがチーズとご飯に絡まって出てくる。

「んーまい」

 ああダメだ。この美味しさの前には、何もかもどうでもよくなってしまう。



 しかし、翌日俺たちが並んで学校に行くと、女の子たちが俺たちをカップル呼ばわりするのだ。その真ん中には昨日のあの子が居るし。

「変だと思ったでしょ」

「でも、お似合いかも」

「キャー! ホモだって、イヤだー!!」

「キモイー!!」

 なんちゅうウワサを立ててくれるんだ。

「よう、篠原。お前、榎木と同棲してんの?」

 友人までもが面白がって聞いてくる。

 隣人の行為を目の当たりに見て、その内容を知っているだけに余計に始末が悪い。

「違うっ!!」

 と真っ赤になって喚いても、誰も信じてくれない。

 昨日、女の子を飯も食わせないで追い返した所為か!? 食い物の恨みって恐ろしいなあ。こんな事なら一口くらい、食わせてやればよかった。


「悪かったな、一緒に住もうと誘って」

 昼休みの学食で、マイペースな男もさすがにウンザリした体で溜め息を吐く。

 窓際の席は日差しが明るくて、榎木は肘を付き、目を細めて、窓の外の植え込みとその向こうの青い空を眺めた。

 いつもの引き締まった口元が、への字に曲がっている。


「いや、お前が悪いんじゃない」

 俺がそう言ってやると、顔を元に戻した。心持口元が上がる。

 そうだよなあ。若い男の考えることっていったら、まず食い物だ。あの子はそれを邪魔したんだ。榎木に取り入ろうと思ったら、美味い食い物を差し入れろって。俺だって味見くらいしてやるのに。

「お前とは気が合うなあと思っているんだけど」

「俺もだぜ」

「でも、篠原。可愛い子と付き合いたいだろ」

「別に、まだいいよ」

 そうだ。心ときめく出会いは、きっと神様が先で用意していてくれるのだ。

「そっか」

 榎木は少し笑って頷いた。

「お前こそ」

「俺は、面倒くさい」

 そんなこっちゃから、女の子が逃げるんだぞ。

 俺はそういう榎木の顔をぼんやりと眺めながら、あの子はこいつのどこを好きになったんだろうと、つい余計な事を考えてしまった。

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