お隣さんお静かに

綾南みか

1 冷めたマナガツオ


「篠原、一緒に暮らさないか」

 そう言ったのは友人でも恋人でもなんでもない、榎木匠という男だった。同じ高校だが同じクラスになったことはなくて、ただの顔見知りという程度だが、隣県の同じ大学を受験して、その時に少し話した。

 大学入試の合格発表の後、榎木は誰に聞いたか俺の携帯に連絡を寄越してきて、そう持ちかけてきたんだ。

 俺んちは普通のサラリーマン家庭で、そんなに裕福ではない。合格した隣県の学校に寮はなくて、アパートをどうするかで悩んでいた俺は、迷いながらも榎木と一緒に部屋を見に行くことにした。


 土曜日に駅で待ち合わせて、一緒に電車に乗る。

「何で俺?」

 座席に並んで座り、榎木に疑問に思っていた事を聞いた。

「別に、篠原ならいいかなって思って」

 漠然とした答えだ。

 俺と榎木は、体格はそう変わらない。二人とも平均身長で、あまり太ってなくて。違いといえば髪の長さくらいか、俺は襟元に届くくらいの長さだが榎木は短い。

「篠原こそ、断らなかっただろ」

「んー、俺も同じかな」

 側に寄られるのも嫌だとかいう激しい感情は、俺は持ったことがない。言い換えれば、そういうどっちつかずの所を嫌われた事はある。優柔不断なんだ。

「榎木って無口だよな」

「面倒なんだ」

 榎木って、面倒くさがり屋だったのか。


 二時間ほど電車に揺られた後、電車を乗り換えた。大学のある駅で降りて、物色していた不動産屋に行って部屋を見る。真新しくて南向きの部屋は明るい。六畳二間に六畳のキッチン、バストイレつきだ。大学に割りと近いし、近所にスーパーもある。

「どうする?」と、俺が聞いて、面倒くさがり屋の榎木が「ここでいいんじゃねえ」と決めてしまった。



 春になって俺たちは同じ部屋に引越し、大学に通い始めた。

 掃除を当番制にして、料理もやっぱり当番制になって、赤の他人の居る部屋ははじめの内こそ居心地が悪かったけれど、慣れるものらしい。朝のトイレの順番も出来たし、風呂に入る順番も出来た。

 一緒に暮らしていると新たな発見もあったりするし。

 榎木は俺の嫌いなゴキブリやクモはやっつけてくれるくせに、ナメクジやカタツムリの類は俺を呼んで退治させる。

 めんどくさがり屋のくせに、掃除も料理もきちんとこなす。榎木に言わせればスタイルを決めるまでが面倒で、決めたら余計なことは考えずに毎日その通りにするから無駄が無いんだと言う。

 それからすれば、俺は無駄ばかりだ。誘われれば断れないし、寄り道も好きだし、目新しいものを見るとすぐに飛びつくし、考え方なんて日によってコロコロ変わる。

 俺にしてみれば一本芯の通った榎木が羨ましいが、榎木は俺が面白いという。

 榎木の言う通りスタイルが出来てみると、俺たちの暮らしは上手く行きはじめた。



 六月になって、空き部屋だった隣に男が二人引っ越してきた。挨拶に来たのは背の高いがっちりとした体躯の男と、綺麗っぽいちょっとにやけた男だった。

「はじめまして。鈴木と山田です。よろしく」

 割と感じがよくて、歳は二人とも二十歳をいくらも過ぎていないように見えた。

 最初の内は、彼らも俺たちと同じように部屋をシェアしているんだとばかり思っていたんだ。

 そうじゃないと分かったのは、二人で晩飯を食っていたある日のことだった。


 榎木も俺も少ない仕送りだけでは足りなくて、週三日くらいのバイトを入れていた。

 その日はバイトのない日で、榎木と学校帰りに待ち合わせてスーパーに寄った。

 榎木は四人兄弟の上から二番目で、親が商売をやっていて忙しい所為か、料理はおろか家事一般何でも出来て、しかも手早い。しかし俺は姉と二人姉弟で、料理なんか作ったことがない。

 ここに来てから必要に迫られて、榎木に教えてもらって見よう見まねで覚えた。

「手順を決めれば早い」

 と榎木は言うが、余所見をしやすい俺は、つい余計な事を考える。

 例えば魚を焼いていても、新聞とか広告とかテレビとかに目が行って、立ち止まってしまう。気が付くと魚は真っ黒けになっている。

 まともな物が食べたい榎木は、一緒にいる時は俺の側で監督をしてくれる。

 スーパーで売れ残りの旬の魚を安く手に入れた榎木は、箸を持ってレンジを監督している。

「マナガツオって美味いの?」

「焦げなければ美味い」

「ちぇ」

 何度か焦がした俺は文句も言えずに、それを横目に大根を下ろした。


 ご飯に味噌汁、焼き魚に酢の物、野菜の煮物に漬物という、大学生の二人暮しにしては上等な献立を食卓に並べて、一口二口食べたときだ。

「うあぁぁ――!!」

 と、隣から物凄いうめき声が聞こえたんだ。

 俺と榎木は顔を見合わせ、隣の部屋に一緒にすっ飛んで行った。


 鍵はかかっていなかった。

 だから、俺たちが悪い訳ではない。鍵をかけないで、そんなことをおっぱじめる奴らの方が悪いのだ。それも台所で。

 バターンとドアを開けて飛び込んだ俺たちは、その場で固まった。


 にやけた方がテーブルに仰向けに押し倒されている。ごつい方は細い男の足を抱え上げて、必死で腰を動かしている。

 うそ――!! 男の大事なものがそんな所に入っていいのか――!?

 俺は自分の目を疑った。

「あああっ……、っんん……」

「ああ……、すげえイイぜ」

 目を丸くして突っ立っている俺たちにお構いなく、奴らは盛り上がっていた。俺はホモカップルの濡れ場どころか、普通のカップルの生の濡れ場を見たことも無かった。


 あまりのショックに身動きすら出来ない。

 先に逃げ出したのは榎木だった。俺の腕を引っ張って、それでやっと身動きが取れて、慌てて後を追う。

 部屋に帰って、鍵をかけて、げんなりした顔を見合わせる。

「まさか本物だなんて思わなかったな」

 榎木が呆然と呟いた。

「俺、ホモカップルってはじめて見た。驚いたー…」

 すげえショックだ。どれぐらい隣の部屋で突っ立っていたのか、晩飯のおかずのマナガツオは、すっかり冷めてしまった。



 困ったことに、彼らは俺たちに見られると、今度は開き直った。

 しょっちゅう遊びに来て、どっちが浮気したのどうだのと言っては俺たちの部屋で喧嘩をし、俺たちを巻き添えにするのだ。

 世の中半分は可愛い女の子だ。何が悲しゅうて男同士でくっ付かねばならんのだ。

 一番困るのは、彼らが俺たちをカップルだと思っていることだ。

「違う」と喚いてもてんで相手にしてくれない。

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