第22話

それから数日間、ひっきりなしに新しい依頼人がやって来たので裕作は何度も縁切りの説明をする羽目になった。

やっぱり萩野のおっさんは説明だけは意外と真面目に聞いてくれたよな、と裕作は今更ながら少しだけ、ほんの少しだけおっさんを見直した。

ここ数日のうちに事務所にやって来た依頼人たちは、馬鹿にしたように大袈裟なリアクションや合いの手を入れながら説明を聞くか、おかしなことを話す裕作に憐れみの表情を浮かべるかのどちらかだった。

愛想笑いを貼り付ける価値さえ感じられなくなった裕作は、淡々と事実だけを伝えることにした。縁切りにはそれなりの費用が必要であること、一度切った縁は二度と元には戻らないこと。

どうせ軽々しく縁切り事務所の扉を叩いたのだろう、この二つを伝えただけで逃げ出す依頼人ばかりだった。



裕作は14人目の依頼人が事務所を出ていくのを見送って、これまでの鬱憤を全部ひとまとめにするように乱暴に事務所の扉を閉めた。

バタンと大きな音が事務所の壁と裕作の脳みそを震わせる。

少し冷静になった頭の中に、亜由美の前で自らに課した宿題が真夏の積乱雲のように湧き上がった。

この数日、依頼人の不快な態度に苛立ちを覚えながらも、未だに亜由美の記憶を取り戻す方法を見つけられないという事実が常に頭の片隅に蹲っているのを感じていた。

良い案が浮かばないことを自分の中で正当化するという意味では、ひっきりなしに訪ねてくる依頼人たちが——無駄に不快ではあったけれど——裕作にとって救いであったのも事実だった。



ちらりと時間を確認すると、時計の針はちょうど16時を指していた。

事務所を閉めるにはまだ早いけれど、これ以上ここに居る気になれなかった裕作は事務所の鍵を手に取った。

外に出ると、お絵描きの手本のような青空と太陽が裕作を見下ろしていて、それだけで少し気持ちが晴れた。

吸い込む空気はカラッと軽やかで、いつの間にやら季節はすっかり秋になってしまったようだった。

今夜は気分転換に外食にでも出ようか、と身支度をしに自宅に向かいかけた時、背後から「あの、すみません」と声が聞こえて、裕作は心の中で舌打ちをした。

15人目の依頼人に馬鹿にされるのも憐れまれるのもうんざりだったけれど、このまま無視するわけにもいかない。

真面目に説明を聞いてくれる依頼人に違いないと自分に言い聞かせながら、両手で無理やり口角を持ち上げる。

手を離した瞬間に下がってしまった口角を感じ取りつつ「はい、なんでしょうか」と振り向くと、そこには薄手のシャツを羽織った亜由美が立っていた。



突然の訪問に驚きながらも、亜由美のお馴染みの無表情になぜか安心感を覚えて表情を緩めた裕作は、すぐに宿題のことを思い出し、

「只野さん、すみません。あれからずっと考えてみているのですが、なかなか良い方法が見つからないんです。申し訳ありません」

と頭を下げた。

「そうですか、ありがとうございます。親身になってくださる方がいるだけで心強いです。私の方も頑張っているのですが、やっぱり何も思い出せなくて。それで、あの——」

言葉を止めた亜由美に、裕作は怪訝そうに顔を上げた。

「誰かと会話していた方が何か思い出せそうな気がするんです。それで、ご迷惑かとも思ったのですが、また会いましょうという話だったので訪ねて参りました。ですが、今からお出かけのようですね。出直して参ります。」

亜由美は、事務所の鍵が握られている裕作の手に目を遣った後、ぺこりと頭を下げて立ち去ろうとした。

「いえ、今日は事情があって少し早く事務所を閉めたんです。これから夕食でも食べに行こうかと思っていたところなんですが、よろしければご一緒にいかがですか?」

裕作は、亜由美を引き留めるように慌てて尋ねた。

「ではご一緒させて頂いてもよろしいでしょうか。依頼料はお支払いしますので」

少し考えた後でそう答えた亜由美に、裕作は笑いながら依頼料の受け取りを辞退した。15人目の依頼人のおかげで、苛立ちで強張っていた顔と心が解けていくのを感じた。

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