第10話

縁切り当日、約束した19時の15分程前に居酒屋に着いた裕作は、 店の外で連れを待っているふりをしながらうつむき加減でスマホに目を落とした。

店内でじろじろと見るわけにもいかないので、一度外で遠藤さんを確認しておきたかった。

スマホの画面には、昨日事務所を訪ねてきたおっさんから手渡された遠藤さんの写真をスキャンした画像が映っている。

温和な顔つきながら意志の強そうな目をした白髪まじりの男性がこちらを見つめる。

いつ撮影された写真かは分からないが、おっさんよりも幾分若そうな印象を受けた。



季節は進んだり戻ったりしながらも着実に秋に向かっているようだ。

一日の仕事を終えた太陽が沈みかけた空には、夕日に赤く染まったひつじ雲が浮かんでいた。

高く抜けるような空に大きく息を吸いこんだ時、写真よりも少しだけ髪が白くなった男性が歩いてくるのが見えた。

白いポロシャツにジーパンというカジュアルな出立ちながら、アイロンがけした直後のようにピシッと整ったポシャツの襟から、その几帳面そうな性格がうかがえた。

連れを探しているのだろう、遠藤さんは少し店先をきょろきょろと見渡した後、店内に入って行った。



19時ちょうどに姿を現したおっさんに遠藤さんと会ったことを伝えると、おっさんは満足そうにうなずき、そのまま店の裏手に消えた。

遠藤さんたちに見つからないようにスタッフ用の出入口からお店に入るらしい。

裕作はおっさんの背中を見送って、よし、と軽く気合いを入れると、店内に足を踏み入れた。

裕作の入店に気がついた店員がすぐさま「いらっしゃいませ」の言葉を発しながらやってくる。

おっさんから裕作の名前で予約してあると聞いていたので「予約の神田です。」と伝えると、席まで案内してくれた。



裕作が想像していたよりも広々とした店内は、ほぼ全ての席が埋まっていた。

店の中程にあるテーブル席に通された裕作は、正面に遠藤さんの背中が見える位置に陣取ると「とりあえずビール」と言いかけて、さすがに仕事前に酒を飲むのはマズイよな、と思い直し烏龍茶とつまみをいくつか注文した。

万が一、切り間違えでもしたら取り返しのつかないことになる。なにしろ、一度切った縁は元には戻せません、なのだから。



お手洗いを探すふりをして店内を彷徨いながら、おっさんを探す。

一番奥の隅っこの席に太った禿げづらの赤ら顔のおっさんが座っていた。

テーブルの上には空になった徳利が2本並び、既に3本目に手をつけているようだ。

裕作は、思わず溢れ出しそうな嫌味を飲み込むと

「これから縁切りを始めさせて頂きます。作業が完了したらお声がけしますので、萩野さんはこちらの席にいらして下さい。」

と一息に告げた。



自席に戻った裕作は、鞄からハサミを取り出すと、空になったグラス越しに遠藤さんの背中を凝視する。

四方八方に伸びる縁とその縁にくっ付いているタグのようなものが無数に見える。

この中からまずは遠藤さんとおっさんとの縁を探さなければならない。

ただの紐にしか見えないけれど縁は丈夫で、基本的にハサミを使わなければ切れない上に、縁を触られたり引っ張られたりしても本人は気が付かないので、裕作は遠藤さんから伸びている縁を無造作に全て手繰り寄せた。

タグにはそれぞれ縁の相手の名前がフルネームで書かれている。

タグに書かれた名前をひとつひとつ確認していく。どこかに萩野啓造の文字があるはずだ。



そういえば、父は縁切りする縁を見つけ出すのが驚く程速かった。

ハサミを手にしてほんの10秒くらいだろうか、じっと虚空を見つめていたかと思うと、次の瞬間には何の躊躇いもなくチョキンとやっていた。

思えば、これが縁切り屋の仕事の中で唯一の職人技と言っても良いかもしれない。

残念ながら祐作にはその技術が受け継がれなかったので、既に途絶えてしまったのだけど。

遠藤さんとおっさんの間柄を考えるとそれなりの太さはありそうだよな、と考えながら太めの縁を調べてみるとすぐに見つかった。

思った通り、太い方から順に順位づけすると両手の指に入るぐらい、遠藤さんとおっさんの縁は太い縁だった。

夜の闇に白い絵の具を混ぜたような濃いグレーで、材質は電源コードにそっくりだ。



見失わないように電源コードのような縁を左手でぎゅっと掴んで右手にハサミを握り直す。少し汗ばんだ掌の中でハサミが踊る。

裕作は瞼を閉じて細く長く息を吐き出して、ゆっくりと静かに目を開けると、電源コードをチョキンと切った。

嫌になる程簡単に呆気なく切れた縁の切れ端を手に、裕作はしばらく遠藤さんの背中を見つめていた。

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