陶酔と狂乱②



『草薙さんは事故に遭われて以降、足に麻痺が残り、車椅子で生活されていると聞きましたが……本当ですか?』

「――――」

『本当なんですね』

「――――」

『ごめんなさい、不躾な質問をしてしまって。でも許してくださいね? だって草薙さんも不躾な質問をしているんですから』


 おかしい――なにがおかしい?

 いやだって、おかしいじゃないか。


『じゃあ、今度はわたしから質問させてください。いいですよね?』


 ぴーぽーぴーぽー、ぴーぽーぴーぽー……。

 まるで真横を通過したような大きさで、今、救急車が通り過ぎる音が聞こえた。

 岩倉女学院で昼休みを過ごしている彼女のそばで、聞こえるはずのない音が。


――?』

「ッ大和くん、鍵閉めて!!」


 通話を切断するや否や、草薙さんがぴしゃりと叫んだ。

 弾かれるようにして防音室の鍵を閉めると、得も言われぬ静寂が漂った。


「なんですか、あの子……おかしな言動を、」

「しっ」


 草薙さんは車椅子を壁際へと進める……まるで、出入口の引き戸を警戒しているように。


 まさか、家を特定したとでもいうのだろうか? 仮に本当だとして、オートロック式マンションに乗り込もうとしているなど、にわかには信じられなかった。玄関にも鍵をかけてあるのだ。多少なりとも同年代より筋力がある陸上部だろうが、少女の腕力でしかないのは揺るぎない。特殊な工具が手に入ったとしても、そんな暴挙が――――。


 こんこん。


「っ!」


 こんこん。

 こんこん。

 鍵を閉めた引き戸から、ノックの音がこだまする。


 こんこん。

 こんこん。

 空耳ではないと訴えかけるように、ノックの音は連なって響く。


「ま、じかよ……」


 ……おかしいのだ。

 今現在、この草薙初音の家に上がり込んでいるのは、俺と、咲弥を除いて他にはいない。草薙さんもここにいる。


 こんこん。

 こんこん。

 じゃあ――このノックは、誰がしている?


 こんこんこんこん、こんこんこんこん。

 こんこんこんこん、こんこんこんこん。

 どんどんどんどん、どんどんどんどん。

 どんどんどんどん、どんどんどんどん。

 がちゃがちゃがちゃがちゃがちゃがちゃがちゃがちゃ――。


「あらあら、絶体絶命ね」

「なに他人事ひとごとぶってんだ莫迦! おいどうすんだ、こっちは丸腰だぞ。それに……」


 ハッとして言葉をき止める。

 「それに、車椅子で自由に身動きが取れない草薙さんまでいる」――思いがけなかったとはいえ、俺は言ってはならないことを言おうとしてしまった。


「いいんだ。事実だしね」

「……肯定しないでください。それを言ったら、この間の俺の失態まで認めざるを得なくなっちまう」


 がちゃがちゃがちゃがちゃ――。

 がちゃがちゃがちゃがちゃ――。


 音は話している最中も続いている。引き戸特有のフック状の金具もおかまいなしに、音の主は無理矢理こじ開けようとしていた。常軌を逸した執念だ。

 ただの偵察ならば、ここまでの強硬手段には及ばないだろう。つまるところそれは、凶器に類するものを所持している危険性が高いということ。


「大丈夫よ。ボク達は」

「――――は、」


 俺の冷や汗を無視して、咲弥は涼やかに歌う。


「ヤマトの疑念は、『相手が【エス】じゃないか』ってことだろうけど、ボクは違うと思うわ。本物の【エス】なら、ボク達が【ギロチン】だと知ってようと知っていまいと、隠密を心掛けるはず。警察は怖いからね。だからあの藤原紫貴って子は、手先が関の山よ」

「で、その関の山を安全に無力化できるってのか?」

「百パーセントの安全は保証できないけど……」


 言葉尻を引くように、咲弥はセーラー服のスカーフを紐解いた。


「成功率の底上げはできる、かもね?」


 天鵞絨ビロードもかくやと艶めく真紅。それと瓜二つの舌が、臆病風に吹かれる俺を挑発していた。


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