第8.5話 生きた実験標本

長い講釈の後に、キヅキ研究員は私をこの実験室に呼んだ本題を切り出した。


「ああ、そうそう。

今はエネルギーを吸引中ですが、それを一時的に停めた場合に、あなたがどういう反応をするのか。

それを確かめたかったんです。


今から数秒間だけエネルギーの吸引を停めます。

念の為、放映されているものは昨日のダイジェストに切り替えるので、視聴者側への影響はないと思われます。


では、行きますよ。

3、2、1、はい。


改めて彼女を見て、どうですか?」


実験室のリクライニングソファの上で、キヅキ研究員の合図と共にゴーグル越しに彼女を見つめた。

キヅキの声がだんだん遠くなり、目の前の彼女を見ることだけに全集中力が注がれた。

これは私の意志なのだろうか?


私が抱きかかえてゲートで回収してから、一体どうしていたのだろう。


「………………」


━━噴水での記憶


目の前の噴水のガラスのオブジェの中に彼女がいる。

侵入角度を数ミリ単位で微調整して瓦礫の方向を予測したデータが、高性能なフルフェイスヘルメットに表示される。

彼女には傷1つ付かない角度はすぐに分かった。

侵入角度を定め、スラスターを全開にする。

インパクトまでコンマ2秒時点で最高速度に到達。

シミュレーション通りの角度、力点、速度でインパクトポイントにフルアーマーごと突っ込む。

少女の体が私の直線移動上に飛び込んでくるので、スラスターの逆噴射をかけて勢いを相殺。

フワリと少女の華奢な体を受け止める。


オブジェの破壊時に大きな音が鳴ったにも関わらず、目覚めない彼女。

呼吸をしていないのではないかと一瞬肝を冷やしたが、私の腕の中で寝息を立てる姿があり安堵した。

バイタルサインも正常を示している。

同時に、アーマーのフィードバックを切り替えて、触覚によるフィードバックを得た時、私は手が震えそうになった。

彼女の体に触れた感触が、私のように鍛えられてはいない。

とても柔らかいのだとわかった。


彼女を見つめると、無粋な表示が眼前に現れて、フルフェイスヘルメットがすごく邪魔に感じた。

彼女の身長と体重が即座に計測され、腕にかかる荷重とアーマーの出力が調整されるのだが、私は彼女の身長も体重も、彼女の許可なしに取得したことになる。

それに、ヘルメットは全面が軽くて強度が高く、熱にも強い物質で覆われている。

そのため、私が直接視認しているのではなく、カメラを通して見ている状態だ。

直接、もっと近くで見て、私自身の手でもっと感触を確めたい。


━━


魔女の抹殺命令を受けてエリア531635の噴水に出向いた時の感覚がフラッシュバックのように蘇った。

このまま彼女を見ていられるなら、私はこの変なプラグ付きの怪しいヘルメットを脱ぎたくない。

ずっと見ていたい。


「あれ?シグさん?

どうですか?

何か言ってくれないと……」


あの鮮やかな赤髪。

今は開いている瞳。

その瞳の色も赤く鮮やかであるという発見が嬉しい。

あの瞳に吸い込まれてしまいそうで、私を見つめて欲しいとすら思う。

手足には程よい肉付きがあることを知っている。

それが汗ばむと、肌は光沢があるかのように、時折射す木漏れ日で光を反射する。

どうして彼女は森の中を歩いているのだろう。

小さな手や腕には沢山の小枝を抱えている。

私が行って、かわりに持ってあげたい。


「…………ポソポソ……」


私は何かを呟いたようだった。

しかし、何を言ったのか、自分でもよく分からない。


「…………いえ、そうですか。

なるほど……そうなるんですね。

これは、いやはや……。

確かに恐ろしい力かもしれませんねぇ」


━━



目の前で指を鳴らすパチッという音がして、ハッとする。

私が手に持って頭にのせようとしていたはずのヘルメットが忽然と消えた。

目の前にはキヅキ研究員が、たった今指を鳴らしたばかりという姿勢でそこにいる。


「どうして……?」


「いやあ、お疲れ様でした、シグさん。

おかげで良いデータが取れたので、これからしっかりと分析に使わせてもらいます」


真顔から一転、嬉しそうな顔をするキヅキの言葉に、期待感が込められているように感じる。


しかしなんだろう?

良いデータがとれた?

部屋を見回すと、先程まで手にしていたヘルメットが実験机の上に置かれている。

私は今まさに、ヘルメットをかぶった所だったはず。

あんな一瞬でデータが取れるものなのだろうか?

かぶってからあの実験机の上に置かれるまでの間、私は居眠りでもしていたのだろうか?

妙に頭がぼんやりとするのはそのせいかもしれない。


「データ……?


私は……どうして?

もしかして寝てしまったのですか?」


噴水で彼女をみてからの記憶があまりないのと、同じような感覚。

ぼんやりとした状態が続いている。


目の前にいる男は私に何をした?

急速に背筋が伸び、私は自分の体に異常がないか見回した。

腕や頭、その他も触ってみる。


異常は……無くはないが、目につくところで言うと、どういうわけか腕まくりをしている。

しかし、まくり方がまるで “私が自分でやったみたい” で、この男のせいではないという漠然とした感覚がある。


「シグさん。

申し訳ないのですが、私は大至急このデータの分析がしたい!

もしデータを確認したければいつでも許可を出しますので、今日のところは部隊の方へお戻りいただいても良いですか?」


「はい、了解しました。

私はこれで」


私にとっては好都合なことに、こんなにすぐに、もう帰っていいと言われるとは思ってもみなかった。

少し居眠りをして、はい、おしまいとは、まったくもって不安がっていた自分が恥ずかしくなる。

キヅキ研究員の言葉に甘えて戻らせてもらうことにする。

このキヅキという研究員はこんなに短時間で済むことのために、わざわざ私を呼び出したのかと思うと少し腹は立つが、まあいい。

何か胸の中でモヤモヤと渦をまく違和感はあるものの。

私は今、自室に戻りたいと思っている。

それも、できるだけ速やかに。

私には今、何かを考えられるような余裕はあまりない。


また眠ってしまわないうちにリクライニングソファを立ち、実験室から足早に立ち去ろうとする私に向かって、キヅキが一言。


「魔女について、いずれまた、話を聞かせてくださいね?」


その言葉に、私はなぜだか後ろめたさを感じていた。

どうしてかはわからない。


「失礼します」


キヅキに頭を下げ、実験室を出た。

数人の白衣を着た研究員たちとすれ違いながら、入ってきた門を目指す。

道順は特に迷うことのないような単純さだ。


最後のキヅキ研究員の言葉に感じた違和感。

そもそも私は魔女の話をいつしただろうか?

ヘルメットをかぶった後、私は何をしていたんだろう?


研究部門棟の門まで来た。

一応、門番に声をかけ、キヅキ研究員の指示で戻ることを伝えておいた。


キヅキ研究員は『今日のところは』と言っていた。

もしかしたら、また何度も来ることになるのかもしれない。

また……。

しかし、いや、違う。

なんだか思考がうまくまとまらない。

また何かをするとしたら、あのヘルメットは無しでお願いしたい。

なんだか心の中に大きなさざ波が打ち寄せてくる。

振り払おうとして手を振り回したところで、さざ波の波紋の数が増えるだけ。

波を立てている正体がわからなければ払拭することもできない。


小さい頃に、不安を感じるとそんな感覚になることがあった。

そういう場合、私は瞑想をしながら、精神を落ち着かせる。

不安なままでいると、太刀筋が鈍り、判断力も低下する。

その状態が続くと、守護者としては使い物にならない。

眼前の対処すべきことに集中して精神を研ぎ澄ませなければ、境界侵犯者XHOとの戦闘で命取りになる。


今日は任務にも出ていないから、瞑想後にトレーニングもしたい。

申請が通れば訓練場の模擬戦闘を何度かやっておこう。

明日は元々非番の日だったはずだが、昨日と今日任務につけていないので、予定を変更してもらえるのであれば任務にでたいという希望もあわせて申請してみよう。

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