第7話 お骨と森とルブラン
知らない男の人からもらった木の実は1つだけ食べて、残りは焚き火の近くの地面に埋めて目印に小枝を何本か刺しておいた。
この先何があるかわからない。
他の動物に食べられてしまうのももったいないので、隠しておくことに。
食べられるとわかっているものはとても貴重なので、大事にしないと。
食べる前よりも血糖値が上がってきたおかげか、少しだけ頭が回るようになってきた。
腹ごしらえにはまだまだ足りていなかったけど、あの木の実にはタンパク質はあまり含まれていないようだから、明日までに何かタンパク質のとれるものを食べなければならない。
今日の分の薪の集めと、引き続き食糧(タンパク質)探し。
それから、もっと水を飲むための道具も必要だし。
なにから探そうかと逡巡する。
ふと、どうしても気になることを思い出して、確かめに行くことにした。
私は池の対岸に来ていた。
チビカピさんたちが今日も草をもぐもぐしたり、身を寄せあって寝ていたり、のそのそと歩き回っている。
「君たちは本当に可愛いなぁ……」
時間が許されるならずっと見ていたい。
そう思うのだけれど、単に癒されに来たのではない。
昨夜の光る祭壇の跡が目の前にあった。
「一晩で……すごい……」
苔と苔の間にキノコの菌糸がびっしりと伸びていて、チビカピさんのご遺体は一晩ですっかりその姿を変えていた。
菌糸の下には、肉は残っておらず、骨と皮だけ。
これが光の祭壇の効果ということかもしれない。
この現象を感覚的に理解しているチビカピさんたちをえらいすごいと褒めてあげたいけど、私が手を伸ばすとふいっとどこかへ行ってしまう。
実際、私がキノコや苔などの自然界での役割を知ったのはごく最近だ。
ネイチャーエコシステム学の講義で教わり、レポート課題も出されて調べたから知っていたものだ。
たぶん、その講義を受けなければ一生知ることはなかったかもしれない。
普通に暮らしてたらキノコはスーパーで売ってて焼いたり出汁をとったら美味しいもので、苔は盆栽とか日本庭園に生えてるなんか植物っぽいものという認識以外持っていなかった。
「ねえ、チビカピさん。
私にそのコのお骨を少しいただけないかしら?」
手を伸ばすと逃げてしまうので、近くにいたチビカピさんに手を引っ込めて話しかけてみた。
当然返事はない。
けど、手さえ伸ばさなければ私がここにいても、チビカピさんたちは警戒することなく気ままに過ごしている。
このコたちをモフモフしたくても、動物園や飼い犬のように人に慣らされていないのだ。
野生のまま生きている。
あくまで観賞していることしかできないみたいだけど、襲われたり警戒されたりしないだけまだいい。
お互いに適度な距離というのを尊重しあえるのは大切だ。
亡くなってからすぐ、新鮮なままで菌糸が肉や内蔵を養分にしてしまったからか、嫌な腐臭はまったくしない。
皮も虫食い状で半分ほどになっている。
いずれ分解されてしまうだろう。
本当は毛皮を持って帰れれば夜間の寒さ対策に良いと思ったが、もうほとんど穴だらけで、すでに菌糸が張り巡らされている。
じきに分解されていくから、使うのは難しいと思う。
骨の方は全く分解される気配はない。
少し勇気はいるが、これも生き残るためと、チビカピさんのご遺体だったお骨を少しだけ拝借させてもらった。
たくさんのキノコをチビカピさんたちが持ってきてくれたおかげなのか、骨には肉片が残っているところもなかった。
こうしてキノコに分解されて、水分は苔に吸われて、そのキノコや苔が新たな生命の土壌を作る。
自然の循環を目の当たりにして、この異世界でも大自然の営みは変わらないのだと知ることができた。
骨に関して、元いた世界の森であれば鳥や狐や熊なんかが食べたり、土壌に埋まって、ほかのバクテリアなどの分解者が分解したり、雨風で風化して消えていく。
それを今回は、少しだけ私が生き延びるために使わせてもらおうと思う。
きれいなお骨をいくつか抱えて、焚き火まで戻ってきた。
地面に置くと、カラカラと乾いた音。
苔がすっかり水分を吸着してくれていた。
今の骨の状態はかなりいい。
しかし、良い状態は長くは続かない。
生き物の骨は代謝によって常に作り変えられているから形を保っていられる。
この骨はもう代謝が止まってしまったので、あとはどんどん摩耗していく。
その短い間にできる限り有効活用したい。
喫緊で差し迫ったタイトな課題から取り組もう。
まずは焚き火の維持。
昨日の昼過ぎにここに到着して、日が落ちるまでに近場の拾えそうな枝をかなり拾ってきている。
現時点で動ける範囲では、残りの薪の量として今日の分が心もとない。
薪集めに限らず、そのまま食べられるような食糧や道具に出来そうなものを探すにも、行動範囲を広げるのは必須になる。
しかし、これ以上森の中に入っていくなら、ここに戻るための道しるべが必要になる。
道しるべがないなら、作るしかない。
集めてきた小枝とチビカピさんのお骨で作ることにした。
できるだけ長くて太い枝数本に、チビカピさんの前歯の骨で傷を付ける。
傷をつける位置は、枝の片端に近いところで、360°のうち特定方向にだけ目立つ傷を付ける。
傷は三角形に付けた。
動物が付けないような模様として付けるのが目印には良い。
これを手に持って行き、まずは1本池の方向に付けた傷が向くよう、開けていて見通しの良い所の地面に突き刺す。
なるべく深く突き立てて、土で倒れないように固めて補強する。
昔ながらの道しるべの完成だ。
江戸時代などに東海道の山道を迷わずに進めるように木板を立てていたことを思い出して、今使えるもので代用した。
問題点が沢山あるので、もっといい方法ができるようになれば、方法を変えたい。
自然の枝を突き立てただけなので、目印としては視認しにくく、短い間隔で立てる必要があること。
立てるのに時間も労力も必要なこと。
適度な長さの枝がないと作れないこと。
枝を消費するので薪が減ってしまうこと。
やってみて、これほど問題点がすぐに出てきたので、早めに代案を見つける必要がある。
それでも、やらないよりやって良かった。
行動範囲が少しづつ拡がって来たことで、薪は今夜を越せるだけの十分な量を確保できそうだし、森をもっと広く見られたことで幸いにも行動範囲拡大のための代案も浮かんできた。
まだ形にできない障壁があるので、障壁をクリアできたら切り替えよう。
「あれは……さっきの木の実かしら?」
足元に落ちていた丸っこい黒に近い茶色いものには見覚えがあった。
あの声の男に食べられる木の実だと教えてもらったものだ。
この辺にはその木の実がいくつか落ちている。
上を見上げると、その木には黄色い木の葉がびっしりと生えていて、木の葉と木の葉の間に、実がいくつもついている。
まだ熟していないのが赤い実かもしれない。
徐々に黒に近くなっていくようにグラデーションで変化したのがわかる。
葉の色が黄色い木はたくさんあって色では見分けがつかない。
この木の特徴を覚えておく必要がある。
木の幹の質感や木の葉の形、枝のつき方などで見分けることができれば、同じ種の木が他の場所で見つかった時に収穫時期を判断して取りに行ける。
同じような種類の木には、似たような生態がある事が少なくない。
この種類の別の木を見つけることができれば、生き残るのにとても有利になる。
これはとても大きな収穫だ。
何しろ、ここにある1本の木だけでも、自分一人の食べ物が今後の数日分以上とれる。
あの声の人、いや、ルブランさんだったはず。
あの男の人に、次に話せることがあったら、もっとちゃんとお礼を伝えないといけない。
木の実が食べられるという情報は、私の命を何度も左右したかもしれないほど貴重な情報だ。
彼の言うささやかなというのは、どうやらかなり謙遜したものだったらしい。
私は目を瞑り、無意識に、そして傍から見ると祈るように手を組んでいた。
あんなに冷たく接してしまったことを、今更後悔することになるなんて……。
今の私には、彼は神様に匹敵する存在だと実感した。
もちろん彼の口ぶりからすると、私の名前もわからないし、私の気持ちを汲めていなかったように、全く神様らしからぬ人だった。
だけど、私のことを案じてくれて、私が生き残るためにとても重要な情報をくれた。
その代償が妻になれ、というのはさすがにまだ検討の前の段階であることは否定しないけど。
私のあの時の気持ちを汲まれていたら、いや、彼が実は真に受けていたとしたら、とうに彼は私を見放しているかもしれない。
でも、もしも、本当にもしも、まだ私のことを見守ってくれているのなら、ありがたいことだし、彼の期待も含めて、生き残らなければならいと思った。
「……ルブ……」
はっと気が付き、口を噤んだ。
もし彼の言うことを信じるなら、私が誰かと話していたことは、彼の言う何かに気づかれないようにしなければならないらしい。
気づかれるのは私にとって不利になると言っていた。
その名前を口に出すことはやめておいた方が良いと気づいて、心の中で感謝をすることに留めた。
私を映すビジョンを見ている者には、その時の私は胸の前で手を組んで熱心に祈りを捧げるように見えていたかもしれない。
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