黒点

彌(仮)/萩塚志月

黒点

 砂場の近く、砂糖に向かって列を成している黒点を一つずつ潰す。本当に潰れているのかは、分かっていない。正直あんまりよく見えていない。朝起きて出かけようと思ったらコンタクトが切れていて、それならばまずはコンタクトを買いに行こうと、暫く前から新調しておらず度のあっていない眼鏡をかけて家を出て、今。砂に混じっている黒い石の粒との違いは、動くか動かないかだ。ざらついた砂の感覚だけが指の腹に残る。せわしなく白い山を削りながら運んでいた指先のそれは、ただの動かない黒点に変わる。手を払う。一面の砂に混じって居なくなる。また次の黒点を潰す。繰り返し。蟻は一番初めの、餌を見つけた一匹が道に残した何かフェロモン的なものを辿って歩くらしい。間の数匹が潰れても、後ろから来た蟻は何一つ疑いもせず同じ道を歩く。それを潰す。繰り返す。寒さで、段々と指先の感覚が消えていく。潰す。

 別に、楽しいからやっているわけではない。こんなことをしている暇があるなら、ずり落ち続けている眼鏡に鬱陶しさを感じる前に、さっさとコンタクトを買いに行くべきなのだ。そもそもコンタクトを買う以前に行こうと思っていた場所もある。でも、潰さなければいけない。一匹残らず。何故なら、コレは要らないものだから。

 今居るのは家から徒歩三分の公園である。しゃがみ込む私の膝には、血が滲んでいる。今日は珍しく予定も詰まっていることだし、せっかくだから近道をしようと公園を斜めに突っ切って歩いていたら、足がもつれて転んだ。転んで、地面を寸分の狂いも無く一列に進んでいた蟻の列へと突っ込んだ。怒った蟻は、噛む。ちりとした痛みが、脚の至る所を襲っていた。小さな頃クラスメイトに、砂場へと突き飛ばされたことを思い出した。突き飛ばされた砂場にも、蟻が居た。あの時からずっと、視界に入るすべての蟻を潰しておけばよかったと思っていた。だから、潰すなら今だと思った。私を害するものは、全て要らないもの。家に一度戻って、砂糖をひとつまみ。指先に砂糖のざらつきを感じたまま公園に戻って、一匹フラフラしていた蟻の前に置いた。黒点は迷った後、一度どこかへ消えた。私は黙ってしゃがみ込み、砂糖を見つめていた。暫くすると、蟻は砂糖へ向かって行列を成し始めた。潰す、繰り返す。

 そうやって無心で潰し続けていると、私の手に砂がかかった。


「おねえさん、大丈夫?」


 頭上からだった。地面が黒く染まる。蟻が見えなくなる。手元を覆っているのは、比較的小さめの影だった。恐らく彼が勢いよく駆け寄ってきたせいで手にかかった砂を払ってから、顔を上げると、マフラーに顔を埋めつつ大きめのダウンを着込んだ小学生が、逆光の中で私を見ていた。彼の後ろ、公園の入口では似通ったランドセルを背負った数名がこちらを見ているような気がした。よく見えていなかった。彼だけひとり、集団下校からはみ出して来たようだった。


「ひざ、血でてるよ」


 この子は目が良いようだった。私は、返事をせず、見えないままに蟻を潰す作業へと戻る。適当にさっきまで潰していた辺りの地面を押す。影は一向にどかない。もう一度顔を上げて、大体目があるであろう位置を見つめた。


「大丈夫」

「痛くないの」

「大丈夫だって」


 純粋に、どいて欲しかった。


「でもそのままにしてたらよくないって、お母さんが」


 明らかに、私の心は苛ついていた。苛ついていることが自分でも分かった。何が何でもどいて欲しいと思った。


「私のお母さんはそんなこと言わない。大丈夫」

「でも」

「しつこい」


 睨むと、集団からはみ出して駆け寄ってきたもうひとりの赤いランドセルを背負った小学生が、目の前の小学生の腕を掴んで引いた。そして自分も頭を下げながら、小さな頭を無理矢理下げさせると、二人はパタパタ集団へ紛れて行った。集団も、二人が合流するとさっさと行ってしまった。明るくなった地面で、蟻は、未だに行列を作っていた。

 私は立ちあがって、手の砂を払った。そして辺りの黒点を全て雑に踏みつけた。

 遠くから、甲高くて幼い声がする。

 多分、今のアレも、私にとって要らないもの。

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