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「結論から言うと、竜はいました」私はファイルを広げ、琉夏さんに突き付けた。「設置されていた時期も、撤去された時期も、酒入さんの記憶と矛盾しません。これで決まりですよ」

「確かに凄い竜だね。へえ。この公園、こんなのがあったんだ」

 他人事のように感心しているので、私は声を張って、

「公園の遊具説は間違いって言ったのはどこの誰でしたっけ? 楠原さんは私の話をちゃんと聞いて、誠実に対応してくれましたよ。無駄じゃなかったでしょう」

「確かに遊具説が間違いとは言ったけどね。竜の遊具が存在しなかったとまでは言ってない。それから楠原に頼むのが無駄だ、とも言ってない。果てしなく失うものが多くて非効率的だって指摘しただけ」

 いつものことながら、本当に口の減らない女である。「どっちにしろ、今回は私の意見が正解だったわけですよね。そして部長より先に答えに辿り着いた」

 ふうん、と琉夏さんは頬杖を突き、「なんで正解だって断定できるの?」

「なんでって――ここまで証拠が揃ってて、逆になにが不満なんですか? 私と楠原さんとで解決しちゃったのが悔しいだけじゃないんですか?」

「別に私に不満はないよ。判断するのは依頼人だもん。酒入さんがそれだって言えば、私はそれでいい。素直に負けを認めるよ」

「認めるんですね? じゃあ楠原さんに一緒にお礼を言いに行ってください。文芸部として受けた案件を手伝ってくれたんですから」

「だから負けたらね。いまこの時点では負けてないから、私が楠原に感謝することなんかないね」

 強情もここまで来るといっそ清々しい。「酒入さんを呼びますよ。覚悟はいいですか?」

「どうぞどうぞ。私はなにも言わずに聞いてるから」

 私はポケットからスマートフォンを掴み出した。前回同様、酒入さんが数分で部室に姿を現す。

「見つけてくださったんですか。本当にお世話になりました。ありがとうございます」

 と相変わらず腰が低い。琉夏さんの手柄だと思われては癪なので、私は殊更に強調して、

「意見を出したのは私だけど、この資料を探してくれたのは生徒会の楠原さん。ほら、竜ってこれだよね?」

 酒入さんはファイルを引き寄せ、じっくりと時間をかけて見つめた。写真を遠ざけたり近づけたり、顔を上げたり下げたりしたのち、呟くように、

「――ごめん。これじゃない」

 しばらくのあいだ意味が掴めなかった。冗談を言われるはずがないと分かってはいたが、それでも私は冗談と思い込みたくなってしまい、

「嘘でしょ」

 酒入さんの返答は変わらなかった。きっぱりと首を振りながら、「この写真で思い出したの。私、確かにこの竜も見たことがある。でもはっきり、作り物だって分かってた。あれは本物じゃないよってお祖母ちゃんに言った覚えもある。そう、そしたらお祖母ちゃん、じゃあ今から呼び出そうかって――」

 言葉が耳を擦り抜けていく。すっかり狼狽していた私は口調を乱しながら、思い付くままに、

「これより本物っぽい竜が、また別に現れたってこと? そんなことあるかな? これだけリアルな造形の竜って、そうそういないはずだけど」

「うん、それは分かる。でも私は私にとっての真実を語ってる。この写真の竜は本当に精巧だけど、なんて言うのかな、静止した像でしょ? 私が見た竜には動きがあったと思うの。自分たちと同じ時間の流れの中に存在してるような感じだった」

「いや、でも――」

 さらなる反論を重ねようとして、思い留まった。琉夏さんの言葉が脳裡に生じる。そう、判断するのは酒入さんだ。

 勘違いをするところだった。どれだけ凄絶な努力の末に見つけ出したとしても、依頼人がひとこと違うと言えば、それは正解ではないのだ。

「せっかく探してくれたのに、ごめんね。でもありがとうね」

 うん、と私は力なく頷いた。「また一から考え直しになっちゃったね。いい線行ってたと思ったんだけどなあ」

「いや、一からではないよ」だらりとした姿勢を維持したままの琉夏さんが、唐突に声をあげた。「言ったじゃん、調査は無駄ではないって。ただ遠回りしただけ。もう一押ししてやれば、今度こそゴールに辿り着けるはずだよ」

「どうやって? 幻想や視覚トリックではなくて、動いてて、芸術家が全力で作った造形物よりリアルな竜が、いったいどこに存在したんですか?」

「見たいと思った人の心の中かな」と琉夏さんが笑う。「冗談ではなくてね。竜は物体として存在していたとも言えるし、してなかったとも言える。空を飛んでいたとも言えるし、地上にいたとも言える。動いてたとも言えるし、動いてなかったとも言える」

「いつも思うんですけど、そういう煙に巻くような言い方、やめてくださいよ」

「別に煙に巻いてるつもりはないんだけどな。そう聞こえる?」

「聞こえますね。部長にとってはそれが真実なのかもしれませんけど、私と酒入さんには共有しえないわけで」

「そんなことないよ」彼女は飄然とした態度を崩さない。「客観的に観測しうる事実を語ってる」

「いつの時点で? それこそどうして断定できるんですか」

「当時でもできたし、なんなら今でも。見たら分かるはずだよ」

 意図がまるで理解できなかった。ただ言葉遊びで翻弄されているだけのような気がし、私はますます苛立ちを募らせて、

「頭から、私と酒入さんに伝わるように話してください。申し訳ないんですけど、私たちのシナプスは部長みたいな構造になってないんですよ」

「別にいいけどさ。この案件は皐月が自分で解決するって言ったじゃん。私が手出ししちゃって構わないわけ?」

 私は深く溜息を吐いた。渾身の一手が空振りだった以上、こちらにはもうなんの策も残されていないのだ。「――分かりました。私の負けです。部長の知恵を貸してください」

 彼女は途端に表情を明るくして、「まじ? 楠原のとこに行かなくていい?」

「私だけで行くんで、いいです。どうせ顔を合わせたらまた喧嘩しそうだし」

「奴が人間として最低限の礼節を弁えてれば、私も別に喧嘩する気はないんだけどね。まあいいや。どうやって説明したもんかな。ちょっと考えを纏める」

 明らかに浮き浮きとした調子で、鞄からお菓子の袋を取り出す。今度はマシュマロである。いくつかを口に放り込み、満足げに飲み込んだあと、

「纏めた。まず皐月の出した遊具説だけど、これは当たらずといえども遠からず、なんだよね。もう一押しでゴールできるって言ったのはそういうわけ。酒入さんが竜を見た現場が、例の公園であること自体は間違いない」

「でも私、実際に現地に行きましたよ。竜に見えそうなものなんて、なにもなかったです」

 ふんふん、と琉夏さんは頷き、「よくよく探した?」

「そんなに広い公園じゃないですし、ぜんぶ探しました」

「行ったのはいつ?」

「先週の土曜の、お昼過ぎ頃ですね」

「ああ、めちゃくちゃ寒かったでしょ。よく出かける気になったね」

「私は手足を動かすことを厭わないんです」

「立派だ。私も多少は見習うべきかもしれない」珍しく殊勝なことを言った琉夏さんが、私を、続いて酒入さんを見やって、「次の休みに、今度は三人で行ってみよう」

「今すぐじゃ駄目なんですか」早く真相を知りたいがためだろう、酒入さんが尋ねる。

「週末のほうが都合がいいんだよ。防寒さえしっかりすればじっくり見物できるし、なにより――」ここで琉夏さんが言葉を切り、思わせ振りな笑顔を浮かべた。「――今はまだ、竜は旅に出たまま戻ってきてないからね」

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