僕の人生で一番大きな間違い

「っ⁉」

 ハイイロさんにそう言われて、僕は即座に上着のチャックを開け、内ポケットに忍ばせた包丁を取り出す。

 しかし、包丁を取り出した右腕は、石化させられたみたいにピタッと動かなくなる。気づけば、ハイイロさんは僕の右腕を掴んでいる。

「あんた! 何する気だ⁉」

 僕は力尽くでも右腕を動かそうとする。それでも、ハイイロさんにつかまれた腕は、びくとも動かない。

「自分を傷つけるんだ‼ 亜黒のいない世界なんて、もう考えられない‼」

 僕は喉が張り裂けそうになるぐらいに叫ぶ。

「あんた‼ もうわかったはずだろ‼ こんなこと自分勝手なんだって! 分かったらこの世界が崩れるのを待てっ‼」

 ハイイロさんは僕の腕を掴んだまま、僕をきりっと睨みつける。

「邪魔しないで!」

 僕はハイイロさんの腹に向かって足を向ける。

「くそっ!」

 ハイイロさんは不意を突かれたように目を見開き、その場から消える。包丁を持った右腕が自由になる。

 すると、頭の中でハイイロさんの声が響き渡る。


『あんたはもう、取り返しのつかないところまで行ってしまったんだね。あんたが今からやろうとしていることは、あんたの中ではもう、罪を通り越した、ただの自殺さ! 今までの罪を完璧に消し去ってしまうほどの痛みをあんたは受けようとしているんだろう?

 ははははっ、まったく、ボクも考えが足りていなかったよ。

 自分勝手な感情というものが、どれだけ恐ろしいのか、ってことをね!

 ボクはもう、何もキミには干渉しないよ。さあ、あんたのしたいようにやるがいいさ!』

 

 上空で広がるひび割れ、時が止まった亜黒。僕はそれを目に焼き付ける。

 世界が揺れようとも、僕は地面にしっかりと足をつける。

 僕は包丁の柄を両手で持ち、刃先を自分の胸に向ける。

 もう、震えたりなんかしない。


 僕はこれから、僕の人生で一番大きな間違いを犯す。


 自分勝手な罰し方なんだと、僕は分かっている。


 それでも、僕はやるんだ。僕の背負ったたくさんの罪を、これですべてなかったことにするんだ。そして、僕は亜黒のいる世界で暮らし続けるんだ!

 罰欲センサーという魔法を知ったとき、僕は思ったはずだ!

 亜黒にもう一度会えるのなら、どんな痛みだって受けられると!


 そうなったら、もう容赦しない。

 善も悪も今は何も関係ない。

 全て、僕の欲望のためだけに、僕は僕を傷つける。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ‼」


 包丁が、僕の胸に突き刺さる。ドロッと鮮血が溢れ出し、雪の中に大きな赤い形を作っていく。罰欲センサーが発動するための痛みとしては十分。だけど、まだまだ足りない。

「んっ‼ んっ‼ うっ‼ ああああああああああっ‼」

 僕は僕の腹をめった刺しにする。

 すると、雪の中に染みこんだ大量の鮮血が、まぶしくなるくらいに乱暴に光り出す。

「っ‼」

 それでも僕は止まることなく腹を刺しまくる。

 すると、まるで僕の血液に巨大な魔物が棲んでいるかのように、ダムが決壊するかのような勢いで、赤い糸、いや、赤い触手のようなものが溢れ出てくる。

 その赤い触手は今までに見たことのないほどの速度で、ぐにゅぐにゅと音を立てながら全方向に住宅街を包み込んでいく。

 包丁や僕の腹からも触手がイソギンチャクのように溢れ出し、触手の勢いで僕は包丁を手放し、飛ばされてしまう。

「あああっ……」

 だめだ。まだだ。まだ痛みが足りない。

 僕は朦朧とした意識の中、血管のように張り巡らされた赤い触手を踏みつけ、触手の生々しい体に触れながら包丁をまた握る。

 そして最後に、僕は心臓めがけて……。


 いつの間にか、僕は触手が張り巡らされた地面に仰向けになり、上空へ昇っていく赤い触手を見上げていた。触手はとんでもないスピードで上昇し、大木の枝木のように上空で面積を広げていく。

 上空にたどり着いた触手たちは、上空にできたひび割れに巻き付き、その傷を塞いでいく。

 僕の視界がだんだんとぼやけ、僕の腹の流血から生えてくる触手は、まるで彼岸花の花弁のように、ゆっくりと僕の体を包む。僕の視界は、赤色以外何も映らなくなる。

 

 ああ、本当に、やってしまった……。

 これは間違いなく、僕がこれから生きていく人生の中で、最大の間違いだ……。

 ごめんね、亜黒。

 

 

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