第8話 告白

そんなこと求めてない

 小学生の頃、僕は何が悪いのか、何をしてはいけないのか判断が苦手な人間だった。自分のやっていることを客観的に見ることができず、僕はずっと周りに流されてばかりの人間だった。

 三年生の頃、とあるクラスメイトがいじめられていた。そのクラスメイトは、悪ノリで人に迷惑をかけるような人間で、誰からも嫌われていた。その子がやったいたずらは、クラス会議になるレベルで問題視されていた。


 ある時、誰も使わない小学校のプールの裏に立つ木に、三人のクラスメイトが群がっていた。その三人が何をしているのか、僕は気になって近づいた。

 僕の足音に、三人のうちの一人が僕を向き、そして二人も僕を見た。すると、木の中心部分が露になった。

 その時の光景を、僕は忘れられない。

 いじめられっ子が、木にロープで縛られ、ぼろぼろに汚れていたのだ。

 最初に僕を見た男の子は、僕に言ったんだ。

『あんたも混ざらない?』


 結局僕は、そのいじめに加担してしまった。

 木に縛られた男の子は、抗うことなく男子たちからの暴行を受けていた。

『こいつ、毎回悪ふざけで筆箱汚してきてさ、ほんとうざかったんだよね。悪いことした人には、ちゃんと罰を与えてやらないとね』

 三人の中の一人が、そんなことを言った。

 そうか、と僕は思った。

 何もなしに、人は傷ついてはいけないけれど、人に迷惑をかけた人間はそれ相応の痛みを受けるべきなんだと分かった。罰が必要になるのだと理解した。

 そして、僕はこのいじめられっ子に何をされたか思い返した。

 そうだ、昨日、僕はこの人に給食を取られたんだ。

 僕は、木に縛られ涙目になっている男子に近づく。

『これ以上、迷惑かけないでね』

 僕は靴の裏に着いた泥を、いじめられっ子の脚に擦り付けた。


 この件は、一気に学校中に露見した。

 僕含め、いじめられっ子をいじめた四人は、いじめられっ子の家に行って謝罪することとなった。


 お母さんはこのことを知って、僕が今まで見たことがないくらいに憤っていた。どんな言葉を発せられたかは覚えていない。とにかくヒステリックに、僕を怒鳴りつけた。

 そのあと、お母さんの気迫におびえながら、震えた声で僕はこんなことを言ったんだ。

『でも、あの人はみんなに迷惑をかけたんだよ? 迷惑をかけたら、罰が必要なんじゃないの?』

 その時のお母さんの顔は、だんだんと青ざめていった。僕を怪物か何かと勘違いしているみたいで、僕は、これは絶対に言ってはいけないことだったのだと瞬時に分かった。

『ましろっ‼ あんた! あの子がどれだけ痛い思いをしたかわかってるの⁉ 暴力だけでは何も変わらないの!』

 そして僕は、新たな気づきを得た。

 暴力では、あの人に与えられるべき痛みとしてはあまりに大きすぎたんだ。あの人は、確かにクラス全体に迷惑をかけている。それは多分、あの人が周りの迷惑に気付いて反省するだけで、おさまる問題だった。反省して更生すれば、それはあの人が味わうべき痛みとしては十分なんだ。

 なのに、僕たちが余計な痛みをあの人に与えてしまったんだ。

 なんてことをしてしまったんだろうと、僕は震えた。

 これじゃあ、僕はただの罪人じゃないか。


 いじめられっ子の家にお母さんと行き、僕は玄関でお母さんと一緒に頭を下げた。

 帰りの暗い車内で、僕はただただ泣きじゃくっていた。こんなに自分が嫌いになるのなんて初めてだった。

『ちゃんと反省したなら、もう二度と、人を傷つけるんじゃないよ。私は眞白がいい子だって信じてるから』

 優しいお母さんの声が運転席から聞こえる。

 ちゃんと反省して、これからは人を傷つけないと約束する。あの子から嫌われてもそれはしょうがないこと。僕は、このことを胸に刻んで生きていく。これで、話はおさまったように感じた。

 だけど、僕は僕を許していなかった。


 僕は家に帰ると、リビングにある鋏を取り出し、自分に向けようとした。人を傷つけた僕の罪は重い。だから、僕は今後の戒めとして自分を傷つけなければいけない。僕は強くそう思った。

 けれど、お母さんはそれを止めた。

『何してるの……、眞白……』

 お母さんの声は震えていた。

『僕は悪いことをしたんだ……。当然の事じゃ……』

『はあ⁉ 何言ってるの眞白‼ 私はそんなこと望んでなんかないわよ! あの子だって、そんなこと求めてない!』

 お母さんはがばっと僕の持っている鋏を取り上げ、ゆっくりと、自分の頭に刃先を向けた。

『眞白がそんなことするなら私も傷つく! このことは、お母さんの責任でもあるわ! あなたの言ってること、私には理解できない! だけど、あんたの言ってることが正しいなら、私は一緒に傷つくわ!』

 お母さんは涙を流しながら、僕に叫ぶ。

 ……なんで、なんでお母さんが傷つかなきゃいけないの?

『やめてえええええええええええっ‼ お母さんは何も悪くないの‼ ぜんぶ、ぜんぶ僕がわるいからあああああああっ‼』

 僕は泣きわめいた。

 お母さんが傷つくのだけは絶対に嫌だった。でも、お母さんの言うことには共感ができなかった。僕は人を傷つけたんだ。そんな僕には、ちゃんとした痛みが必要なはずなんだ。でも、お母さんは無理やりそれを拒んだ。

『分かったならもう二度とこんなことはするなあっ‼』

 お母さんは、鋏を降ろしてそう叫んだ。


 その日から、僕の人生は激変した。

 誰の迷惑にもなっちゃいけない。誰も傷つけちゃいけない。絶対に罪を背負ってはならない。潔白な人間にならないといけない。悪いことを絶対にしちゃいけない。僕はずっと、そんなことを胸に刻みながら生きてきた。

 そんな中、少しでも迷惑のかかるようなことをしたら、癇癪を起すように僕は自分が嫌になった。誰にも見られない場所で自分で自分を殴ることだってあった。


 小学校を卒業して、お母さんが仕事の都合で引っ越しをして、まったく違った場所で生活することになり、中学校に入学したころ、僕の犯してしまった罪を知る人はお母さん以外誰もいなくなった。

 ここですべての人間関係をリセットしよう。何も罪を背負わない真っ白な人間になろう。僕は強くそう思い、生きようとした。


 僕は全く罪を背負わない状態に固執しすぎていた。絶対に人に迷惑をかけてはいけないと、自分を縛り付けすぎていた。

 だからなのだろう。


『俺とどんな気持ちで一緒にいたんだよ。ほんとキモイ』


 僕がずっと想いを寄せていた相手にそんなことを言われ、僕は頭が真っ白になってしまった。

 また人の迷惑になってしまった。それだけで、僕はこの状況に耐えられなかった。

 恋愛感情という自己中心的なものと、絶対に人に迷惑をかけてはいけないという自分自身への束縛がせめぎ合い、僕はパニックに陥っていたんだ。

 僕は僕を許せるようになりたい。誰からも許される人間でありたい。

 そんな完璧主義者のような思考になってしまっていたからこそ、僕はそれがかなわない現実を押し付けられて混乱してしまった。

 だから、僕はあんな選択肢を取ってしまったんだろう。


 亜黒の死は、本当に事故死と言えるものであったかもしれない。

 けれど、僕があの時パニックにならなければ、僕のやってしまったことを飲み込めていたならば、亜黒は死ぬことはなかったはずなんだ。

 これは、僕が今まで背負ってきた罪の中で、一番大きなものなんだ。許されるべきでないものなんだ。


 でも……。

 

 



 

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