ちょっと疲れただけ

「お客様、どうかなさいましたか?」

 慌てた様子で、女性の店員が僕たちに駆け寄ってくる。

 亜黒を支えていた僕は、亜黒の青ざめた顔と店員の慌てた表情を交互に見て、何と言えばいいのか焦る。一緒にいた僕でさえ、亜黒の具合が悪い原因が分からないのだから。

 すると、亜黒が必死に声を出した。

「ごめん、トイレ、いかせて……」

 亜黒が口をきつく結ぶのを見て、僕は亜黒が吐き気を催しているのだと分かった。


 洗面所の壁に寄りかかり、近くの自販機で買った水のペットボトルを持ちながら、僕は亜黒の嘔吐する音を聞いて、ただただ泣いていた。トイレに出入りする人々は僕を怪訝な表情で見つめていた。

 亜黒の吐しゃ物が便器の水に落ちていく音を、周囲の人間は不快に思っているのかもしれないと思い、その中で亜黒のことを想っている僕はさらに胸が締め付けられる。

 個室から出てきた亜黒の表情は、ほぼ半泣きで、口回りにはうっすらと黄色い液体がついていた。そのぼろぼろな表情の亜黒に、僕はペットボトルを渡した。亜黒は洗面所で口周りを洗い、ペットボトルでうがいをした。

 僕たちはトイレを出て、どこか休憩できる場所を探した。ショッピングセンター内の広場に着くまで、僕は亜黒を介抱しながら歩いた。亜黒の体温から、一緒に写真を撮ったときのような温もりは感じなかった。

 僕たちは広場まで歩き、ソファに座った。隣で座る亜黒は目を瞑りながら呼吸を整えていた。そして僕の肩に頭を預けた。

「あっくん……」

「ごめん、いま、めっちゃきつい……」

 そう言って、僕の体に亜黒は寄りかかる。亜黒の高い熱が、直に伝わってくる。

 目の前では、知らない人がストリートピアノを弾いていて、がやがやと人々が行き交うショッピングセンター内に、どこかで聞いたことのあるアニメのオープニングが響いていた。

「ねえ、大丈夫?」

「うん、ちょっと疲れただけ……」

 そう言って、亜黒の体の力が抜ける。眠ってしまったみたいに、亜黒は黙り込む。

 すると、ショルダーバッグの中のスマホが震えているのが分かり、僕はスマホを取り出した。

 ラインを開くと、亮二から着信が来ているのが分かった。

『どう? 順調?』

 今この二人の惨状を知らない亮二の明るさが、ちょっとした文字数から伝わる。

 僕は返信する。

『ごめん、もう帰ろうと思う』

 即座に既読が付き、返信が来る。

『えっ⁉ どうした⁉』

『なんか、あっくんが体調悪くて』

 すると、即座に僕の吹き出しに既読の文字が現れたけど、亮二は文を返すのになぜか時間をかけた。

『じゃあ、しゃーないね。気を付けて帰ってね』

 僕は、亮二が亜黒の体調に触れないのに違和感を抱いたけど、そのままラインを閉じ、バッグにスマホを入れた。

 気が進まなかったけど、僕の体に寄りかかって呼吸を整えている亜黒に声をかけた。

「ねえ、あっくん……」

「なに、まーくん……」

 吐息交じりの亜黒の声が僕の耳元近くに発せられる。

「もう、帰ろう?」

 僕がそう言うと、少しの沈黙が流れ、亜黒が言った。

「うん……。ごめん、俺のせいで……」

 また、亜黒は自分を責める。

「いいよ、自分を責めなくても。それより、立てそう?」

「う、うん」

 亜黒は僕の体から離れ、僕の手を借りて立ち上がった。

 

 

 

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