このままずっと

 僕と亮二は歩き始め、普通列車しか止まらない小さい駅へと向かう。歩きながら亮二は言う。

「なんか、今日はまーくんの大事な日なのに、なーんでこんな日に限って曇りなんだろうなー」

 そう言われて、僕は歩きながら空を見上げる。

 ハウスダストみたいな雲が、街を覆っていた。

 そのまま僕たちは歩いて、駅へと向かった。駅の切符売り場の前で、私服姿の亜黒がスマホをいじりながら待っていた。

「おーい、あっくーん!」

 亮二は手を上げて、亜黒に言う。亜黒はスマホから目を離し、僕達を見た。どこか気だるげな目が僕を捉え、僕の鼓動は高鳴る。

「おはよー。あっくん」

 僕は切符売り場の前まで行き、そうあいさつする。

「おはよ」

 亜黒はスマホをポケットに入れながらそう返す。

 亮二は、慣れた手つきで切符を買いながら言う。

「ごめんね、待たせちゃった。お金は全部俺のおごりだから! お小遣いここまで溜めるの苦労したんだよー?」

 券売機から三枚の切符が吐き出され、亮二はそのうち二枚を僕と亜黒に差し出す。

「サンキュ」

「ありがと」

 僕たちはそう言って亮二から切符を受け取り、改札へと向かう。入り口から見える駅の中には人が一人もおらず、肌寒い風が金網を通り抜け、ホームを横切っている。

 改札を抜けながら、亜黒は先頭を歩く亮二に訊いた。

「ねえ、亮二」

「ん、なに、あっくん」

 二人のやり取りを、僕は後ろで改札に切符を通しながら聞く。

「亮二はさ、なんで俺たちをお金を奢ってまで誘ってくれたの?」

 その問いに、後ろにいる僕は心臓が跳ねる。そして、亮二はどう返すのか不安になる。僕の告白を後押しするためなんて、亮二は絶対に言わないはずだ。

 三人とも改札を抜け、先頭の亮二が、少し足を止める。

「三人で思い出作っときたいじゃん! 定期テスト終わって、これから受験だろ? その前にぱーっと遊んじゃおうぜってこと!」

 その亮二の言葉を聞いて、僕はほっと息をついた。


 僕は、後ろから過ぎ去っていく風景を眺めながら、青い座席でほぼ貸し切り状態の電車に揺られている。コンビニや予備校やスナックなど、様々な建物が立ち並ぶ様子を見て、その中にどんな営みがあるのか、僕は妄想していた。進行方向とは逆向きの座席に座っているから、なんだか不思議な気分だ。

 目の前では亮二が、隣では亜黒が座っている。黒い上着に身を包んだ亜黒は、座席に背を預けて、イヤホンで何か曲を聴いているみたいだった。目を閉じた亜黒の横顔には、いつも感じる優しさや無邪気さのようなものはなく、そこにはただただ、なにかはかなげなものに抱かれているような印象を感じた。そんな亜黒の表情のせいで、亜黒の、上着の襟からすらっと見える首筋や、しっかりした鼻の形、彼の無邪気さを表すようなぎざぎざとした短髪、どこか美形ともいえる顔の造形がはっきりして、僕はどこか遠い世界に亜黒がいるように思えた。

 僕は亜黒の隣で、ただただ幸せと温もりだけを感じていた。それでも、亜黒は僕のことを何か特別な友達としか思っていないのだと思うと、ありえないほどに胸が締め付けられた。

 いつの間にか亜黒を長い間見つめているのに気づき、僕は前方を向く。

 亮二は、窓枠に肘を預け、頬杖をついてにやにやと僕を見ていた。

「な、なに……」

 僕は小声で亮二に言う。

 亮二は、まるで猥談でもし始めるような顔で、亜黒の方を指さした。

「訊かなくていいの? 何聴いてるの? って」

 亮二は小声で返す。

「え、でも怒られない?」

「あっくん、そんなに短気だっけ? むしろ逆なんじゃない?」

 人の感情に敏感な亮二は多分、亜黒の一番の理解者だ。亮二に後押しされ、僕は言葉に甘える。

「ねえ、あっくん」

 僕は優しく、亜黒の肩をぽんぽんと叩く。

 亜黒の左目が開かれ、亜黒はイヤホンを外す。

「何? 音漏れしてた?」

「ああ、そう言うわけじゃなくて、えっと……」

 あたふたしながら、顔が赤くなってしまいそうになるのを抑え、僕は声に出した。

「何の曲、聴いてるのかなって……」

「ああ、そういうこと」

「いつも弾いてる曲?」

「うん。まーくんも聴く?」

 亜黒は平然とした顔でそう訊き、僕に片方のイヤホンを差し出す。

「ええっ⁉ でもそういうのって友達同士でやる?」

「え、嫌なの?」

 僕はそう訊かれ、首を左右にぶんぶん振る。

「ならいいじゃん。ほら」

 亜黒は、片方のイヤホンを僕の右耳にはめ始める。うっすらと、バイオリンと飾らない男の人の声が聞こえる。前を向きながら、耳たぶに亜黒の指の動きを感じ、僕は目を見開いて、顔が真っ赤になる。その様を、亮二はにやにやと見ている。

 恥ずかしくて、僕は目をぎゅっと瞑る。かあっと、喉の奥が熱くなる。中学生だったらぎりぎり聞き取れる英語の歌詞は、僕の意識の外に吐き出される。

 目を開けると亜黒はまた、席に背中を預け、目を閉じている。

 僕の知らない世界に体を委ねているような、亜黒のその様子を見て、僕もまた目を閉じる。亜黒の見ているものを、僕も見られるかもしれないと、僕はそう思う。

 いつの間にか、火照った顔はだんだん冷めて、僕の意識は安定していく。英語の歌詞が聞き取れるようになっていく。亜黒は、友達として僕とこの曲を聴くことを共有しているのが、苦痛でも、何でもないのだ。僕は安心しきって、座席に背を委ねた。

 このままずっと、この時間が続いて欲しいと、僕は願っている。

 

 都心に着き電車を降り、僕達はバスでカラオケへと向かった。カラフルな見た目のカラオケの建物を見ながら駐車場を歩き、後ろを歩く亮二が足を止める。

 そろそろ、亮二が抜けるところだ。僕は、亜黒が与えてくれる温もりから意識を背け、今は亜黒に告白するための作戦中なのだと、僕ははっきりと思う。

「うわ……」

 亮二はポケットからスマホを取り出し、何もない画面を見て、困ったふりをしている。

「なに、亮二」

 亜黒は亮二に訊く。亮二は顔を上げて、僕達を見る。

「お母さんからライン……。ごめん! 用事できた!」

 亮二は申し訳なさそうに手を合わせながら謝る。

「えっ」

「お金渡しとくから、俺の分まで楽しんできて!」

「ええっ」

 亜黒は、テンション低めのリアクションを取る。

 亮二は僕の所まで来て、何枚かの千円札を渡す。紙幣のざらざらとした感覚を感じながら、僕は、頑張れよ、という亮二の小さい声を聞き取る。

「じゃあ、またなー‼」

 そう言って、亮二は道路の向こうにある、カラオケの隣の映画館前のバス停まで歩き始めた。

 亮二が横断歩道を渡り始めたころ、亜黒は僕の方を向いて、

「なんか、演技っぽくない?」

 と言った。

「えっ」

 と僕はそれだけ声に出した。



 


 

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