第5話 見ることのなかった景色

効果の切れ時

 事故に遭って僕が得た期限は十日間。最初の一日目で、僕は亮二に、あっくんに告白したいと伝えた。そして亮二は、まーくんの恋路を応援してやる、と言ってくれた。

 それから進展があったかというと、そういうわけではなかった。それ以降、僕達は修学旅行の準備に追われていた。委員会の仕事の確認だったり、自由散策のコース決めだったりで、僕達はいろいろと忙しかった。


 修学旅行では、バスで鹿児島県に行くことになった。僕たちの班は、亜黒がリーダーで、もう一人の男子のメンバーの名前は信弘。他の女子のメンバー二人は緑と佳弥という名前だ。

 修学旅行当日、僕はバスに乗りながら、バクバクと鳴る心臓を抑えていた。なぜなら、修学旅行の三日間を過ごす中で、僕は重大な問題を抱えていたからだ。


 僕はバスの窓側の席に座っていて、隣では信弘がバスガイドのお姉さんの出すクイズに乗り気で答えていた。信弘はクラスの中でもちょっとしたお調子者という立ち位置だ。

 バスガイドの話す内容は全く頭に入ってこず、僕はただ、淡々と移り変わっていく風景を眺めていた。前の座席には亜黒が座っていて、乗り物酔いしやすいからという理由で静かに眠っていた。

 話がにぎやかになっていくバスの中で、僕はただ静かな風景を高速道路の上から見下ろしていた。ガラス越しに見える田舎の風景や、記憶に残るはずのない山並みを眺める時間は、ただただ苦痛だった。小さい頃に旅行に連れて行ってくれた時は、僕はこんな時間を苦痛だとは思わなかった。田んぼの中で建っている小学校があれば、その前にできるランドセルの行列を思い浮かべたし、山並みの中、森が開けている場所があればあそこは公園だったりするのかな、とか妄想をしていた。なぜ、こんなにも昔と考えていることが違うのだろう。

 そうだ、と僕は気づく。いや、最初から分かっている。

 実際は、この景色は僕が見ていいものではない。見るはずのなかったものなのだ。そんな風景を僕に押し付けられても、それはただただ僕にとっては苦痛でしかないのだ。だから、僕にはこの景色に対してのんきに妄想する頭をもう持ち合わせていない。

 僕は、いっそ亜黒のように、硬くも柔らかくもない座席に体を預け、眠ってしまえたら楽だろうなと考えた。

 その後、バスを降りて、風情のある食堂で弁当を食べても、平和会館で特攻に行った軍人の手紙を見せられても、僕は無感情でいるように心掛けた。カツをおいしそうに頬張ったり、世界平和のことについて考えたりする権利など、僕は持ち合わせていない。

 僕はただ、ハイイロさんとの会話を思い出していた。


『今日、あんたの人殺しがなくなった世界を、あんたはどう思った?』

 ハイイロさんの問いに、僕はまだよくわからないと曖昧な答えを返した。そして、数秒間黙り込んだ後、僕は少し気になっていたことをハイイロさんに訊いた。

「ね、ねえ、ハイイロさん、訊きたいことが……」

「なんだい? 魔法のことなら、何でも答えるよ」

「制限時間ってさ、今日を含めて十日間なんだよね」

「ああ、そうだ」

「効果の切れ時が、修学旅行の一日目の夜なんだけど、これって……」

 そう言うと、ハイイロさんはくすくすと笑った。僕の訊きたいことを察したのだろう。僕はハイイロさんの奇妙な笑い声に、鳥肌を立てる。

「ああ、それはちょっとめんどいね」

「これって、修学旅行中に自分を傷つけないといけないってことだよね……」

「ああ、そういうことになるね」

 それが当たり前だというように、ハイイロさんは答える。けれど僕は、もうタイムリミットが近づいているみたいに、焦燥感に駆られていた。だって、どうやって僕は修学旅行中に自分を傷つければいいのだ? そんな疑問、ハイイロさんに投げかけても、ちゃんとした答えは返ってこないように思えた。

「まあ、疑問があったらボクを呼び出してよ。呼べばどこにでもボクは出てくるから」

 また当たり前のようにそう言い、ハイイロさんはいなくなってしまった。


 いつの間にか、バスで別の場所へ向かう途中、僕はさすがの精神的な苦痛に耐えらえず、脱力しきって眠ってしまった。今、バスの中で揺れている荷物置き場の僕のバッグの中の筆箱には、ひっそりとカッターナイフが隠れている。


 

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