第2話 スタジオ

 石畳を踏む“ぽっくり下駄”が情緒ある音を響かせる。

 町家が並ぶ小路には、だらりの帯を巻き、鮮やかな花模様の振り袖を着た二人の舞妓が歩いていた。

 二人の舞妓は、はんなりとした京言葉で会話を交わしながら急ぎ足で進む。

 この地では珍しくない光景だ。


「ごめんなさーい! 通りまーす!」


 その舞妓の横をロングヘアーをハニーブラウンに染めた女性が駆け抜けた。

 女性は流行りのメイクがとても似合っており、ニット帽、薄手のジャケット、デニムパンツという洒落たコーディネート。そして肩には大きな四角いショルダーバッグをぶら下げている。おそらく、そのショルダーバッグが前を歩く舞妓にぶつかりそうなので、声を掛けたのであろう。

 舞妓の仕事は多忙の為、常に早足で移動する。そんな舞妓を追い抜くほど、ロングヘアーの女性は急いでいるみたいだ。

 ロングヘアーの女性が大通りに出ると、歩道は人で溢れかえっていた。溢れる人の半分以上が、この国の出身者ではない。ほとんどが他国からの観光客だ。

 女性は「ソーリー、ソーリー」と言いながら更に人混みを縫い、通りを駆け抜ける。

 四条大橋を渡り、河原町通りを過ぎると一棟の雑居ビルに入って行く。

【ヘアメイク・アンド・フォトスタジオ・都美写みやこびしゃ】と書かれた扉を開け、飛び込むようにアロマの香りに満ちたメイク室に駆け込むと、お辞儀をしながら声高く叫んだ。


「おはようございます! すいませーん! 先生! 遅れまして、て、て……アレ? 先生は?」

「おっぱよぉーん! しーたん! おっぱよーん!」

「先生なら、さっき一時間遅れるって連絡有りましたよ。静来しずくさんの所には連絡が無かったんですか?」


 メイク室には露出の多いミニドレスを着た女性、星坂ほしさか丹衣菜にいなと、その丹衣菜の髪をセットアップしているメガネを掛けたメイクアップアーティスト、下団かだん美鈴みすずの二人しか居なかった。

 どうやらロングヘアーの女性、白澤しらさわ静来しずくかした張本人は、寝坊でまだ来てないらしい。


「な、何よ、それ! 自分が『遅刻すんなよ』って言ったくせにー! 私、北陸から急いで戻って来たのよ! 信じられない!」

「いつもの事です。静来さんも去年まで付き人してたんだから、それぐらい理解できてるでしょ?」

「いや、けど『大事なお客さん』だからって……てかっ、『大事なお客さん』って、まさかアンタなの?」

「そうだよーん。ニーナの事だよん。新しいパネ写撮ってもらうのー」


 丹衣菜は鏡越しにショート動画で人気のフィンガージェスチャーを送りながら静来の問いに応えた。随分二人は仲が良いのだと見てとれる。


「アンタ、先月も撮ってもらってたでしょ? 何回撮り直すのよ?」

「だって先生、ニーナをマックス可愛かぱいく撮ってくれるんだもーん。お客さん、みーんな『かぱいいぃぃぃ』て、言ってくれるよー」

「あっ、そっ。私、帰っていい? 長旅で疲れてるんですけど」

「さっきグローバルな団体さんが、上に来たそうです。景子さんが『あとで撮影よろしく』と言ってました」

「上? レンタル着物再開したの? ああ、そっか! 入国が緩和されて外国のお客さんが戻って来たんだ。それで人手不足なのね……しっかし、こんな街の何処が良くて観光に来るんだろう? 文化財って言うけど、ただの古びた建物だし、住んでる人間は腹黒くて最低なのに……」

「もっと自分の故郷に誇りを持って下さい」

「持てないわよ。こんな街とっとと出て行きたい。その為に昨日も北陸まで行ってたんだから」

「北陸という事は、もしかしてアレですか? 何か手掛かりが有ったんですか?」


 美鈴の言葉に静来は応えず、代わりに意味有りげな笑みを返すと、撮影道具の入ったショルダーバッグを来客用ソファに置き、メイク室横の給湯室へと消えて行く。


「みいられしもの、その村にうつるべし……」


 謎の言葉を呟きながら冷蔵庫を開けた静来は、一本のドリンクボトルを取り出し、中のハーブティーをタンブラーにゆっくり注いだ。

 給湯室内にレモングラスの香りが微かに漂う。

 ストレスが溜まりやすい性格の彼女は、メイク室に満ちた人工的なアロマの香りより、ナチュラルな香草の香りが好みだった。

 清々しい香りと味に癒やされた静来は、そのままタンブラーを持ちながらメイク室に戻り、デスク横のソファに座った。

 そしてデスク上に有るパソコンにショルダーバッグから取り出したメモリーをゆっくり接続する。

 モニター画面に複数の写真が映った。

 どれも朽ちた家屋や寂れた村などの風景写真ばかりで、人物は写っていない。静来がこの三日間で撮影してきたものだ。


「これ見て」


 静来は一枚の写真を拡大した。

 画面には掛け軸らしい物に描かれた古い水墨画が写っている。

 岩場の上に人の姿のような物が描かれているが、ひどく墨が掠れていて、描かれた其れが何かは特定できない。

 ボロボロに傷んでいるのも相まって、謎の物が描かれた水墨画は、かなりオカルト的な状態である。


「二人には、これが何に見える?」

「うーん……岩場に立つ女性ですかね?」

「この絵きもーい! ニーナには、お化けか妖怪にしか見えなーい!」

「妖怪? そうね。まさに、そうかも知れない。私はこれ、人魚だと思うの」

「人魚? これも例の予言獣なんですか?」

「そう。これは先生が言ってた過疎村付近の一軒家で見つけたの。その家は五十年間誰も手入れしてなかったらしくって、屋根が崩壊し、完全な廃墟に成っていたわ。床の間らしい所にこれが有ったんだけど、雨風に晒されて酷い状態だった。でも裏側には例の言葉が消えずに残っていたの」

「廃墟? 静来さん、ちゃんとその土地の所有者に撮影の許可を得ましたか?」


 美鈴の冷ややかな流し目を静来は戯けるように顔を背けて躱した。どうやら悪びれる様子がないのは、毎度のようである。


「別に何も盗んでないし、大丈夫よ」

「いつか不法侵入で捕まりますよ」

「……ごめんなさい。けど、あのままじゃ掛け軸は朽ちてたし、誰もヒントが見つけられ無かったかも知れないのよ」

「ヒント?」

「掛け軸の裏には『小浜藩から九里』と書かれていたの。消えていた部分の謎が解けたのよ!」


 そう言って静来はバッグから地図を取り出す。若狭湾から京都市までの所を広げ、そのページの真ん中辺りを赤ペンで丸く囲ってあるのを二人にも分かるように見せた。


「もし掛け軸に書かれている事が本当なら、この丸の中にその村は有るわ!」

「あっ! そういえばハマーとなっちゃんもそれらしい村を見つけたと言ってたよー。びっくりする位なんもなーい秘境村の話を知り合いから聞いたんだってー」

「えっ? うそー!? 何処よ? 何て名前の村?」

「ニーナが聞いたのは確かぁ……コリカワだったかなぁ……今日から二人で行くって言ってたよー」

「何よそれっ! なっちゃんの奴! 私に内緒で抜けがけしやがってー!」


 静来は慌てて地図でその村を探す。

 その姿はまるでパズルゲームに夢中の子供のようだ。やがて静来は、丸で囲ってある中に、お目当ての名前を見つける。


「ビンゴ! 間違い無いわ! ねえ、私達も来週探しに行かない?」

「探す?何を?」

「勿論、人魚の秘宝。すたらずむらの『わたつみのかひこ』よ!」

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廃らず村 押見五六三 @563

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