髑髏

 都内の一角に建つ悪の巣窟 光輝(こうき)高校の近くにあるインターネットカフェ『フリータイム』の二階は、狭い通路を挟んで個室が密に並んでいる。


 『あ……だめぇ……隣に聞こえちゃう』


 『やめて欲しいの?』


 『ん、やめちゃヤダ……あぁ……気持ちいいよぉ』


 薄い壁の一つ向こう側で、若いカップルがエッチの真っ最中だった。


 男に愛撫される女が、小刻みに体を震わせながら小声で喘ぐ。

 『あっ、あっ、あぁ……いきそう』


 格安ラブホテルの代わりにここを利用する客も多い。


 トイレ同様に天井が取り付けられていないため、個室に設置されているソファに上がれば隣の様子が丸見えなのだ。だがたとえエッチな声が聞こえても、行儀の悪い行動を取る客はいない。


 ここにいる光輝高校の悪ガキ二人を除いて―――

 

 赤毛にツンツン頭の安野勇気(やすの・ゆうき)の背中に覆い被さるように、金髪とフープピアスがトレードマークの端正な顔立ちの季路颯(ときじ・はやて)が、堂々と覗きを楽しんでいた。


 颯の身長は184cm、勇気の身長は168cm。16cmの身長差がある為、幅の狭いソファでの覗きは、常に勇気が手前で颯が後ろ。


 「おお……」小声で盛り上がるふたり。「いっちゃえ、いっちゃえ」


 時折視界の妨げになる勇気のツンツン頭を潰し始める颯。

 

 「邪魔くせぇ」


 「うるせえよ、触んな」


 女は顔を紅潮させ、絶頂を迎えた。

 『んん!』


 声を押し殺すのに必死な女の顔が面白かったのか、それが勇気の笑いのツボの入り、思わず吹き出してしまう。

 「ブッ!」


 勇気の頭をスパン!と叩き、颯はソファに座って身を隠した。

 「バカか! バレるじゃん!」


 「いってぇ! 何しやがる」


 二人の声に気づいた男がこちらを振り向いた瞬間、勇気も咄嗟に姿勢を低くした。


 「ヤバい」ソファに腰を下ろし、颯に目線をやった。「てか、さっきから人の髪型崩しやがって! これに何分かかってると思ってるんだよ」


 「知るか! 鶏のトサカじゃあるまいし」


 「この髪型にはこだわりがあるんだよ! 無駄にデカいおまえにはわからない」


 勇気は身長を気にしている。だから髪の毛をツンツンにおっ立てて身長の嵩増しをしているのだ。悪友の颯は長身。隣にいると余計コンプレックスに感じてしまう。


 颯は悪戯な笑みを浮かべて自分の脚を指した。

 「喧嘩の時に役立つこのリーチの長い脚! 無駄じゃないぜ」


 「超ムカつく」


 突然ころりと話題を変える颯。

 「なぁ、そんな事より、沙也加(さやか)とどうなったの?」


 「……。喧嘩中」

 

 「いい加減仲直りしたら?」


 「怒って口利いてくんないの」


 「あいつへそ曲げたら機嫌取るの大変そうだもな」


 勇気は同じクラスで幼馴染の鈴木(すずき)沙也加と付き合っている。他校の女子とデートした事がバレてしまい、大喧嘩に発展してしまった。


 中学三年生から付き合い始めて、今年で三年目。初の別れの危機を感じている。


 颯と共に一番荒れていた中学時代の自分を受け入れてくれた沙也加が大切だったのに、マンネリ化もあって一瞬、魔が差してしまったのだ。


 「デートしただけでエッチはしてないのになぁ」重苦しい溜息をついた。「てか、颯は遊び過ぎ。特定の女作れよ」


 「オレの場合、世の中の女がほっといてくれないからハーレム派なの」


 「……。自分で言うなよ」


 オレは本気で人を好きになった事がない……と言うより、なれないのかもしれない……


 特定の相手じゃなくてもフツーに起つし、肉体的快楽と性欲処理ならできる。


 それで十分だし、それ以上の情を欲する事もない……


 両親は颯が幼い頃に離婚し、ずっと母親と暮らしてきたが、小六の頃に再婚した。


 小学校時代の記憶で確かなものはそれくらい。


 颯は小学六年の夏、横断歩道を歩行中に、信号無視して突っ込んできた自動車に撥ねられ、一週間の昏睡状態に陥った。それが原因で事故以前の記憶がないのである。


 その事故から数年の時を隔て―――


 当時から義父と反りが合わなかった為、高校入学と同時に独り暮らしを始めたので、女は呼び放題。モデル並みのルックスを持つ颯は、女に困った事がない。勿論、性欲処理と言う意味で。


 勇気は、颯の顔を覗き込んだ。

 「どうした? 深刻な顔しちゃって」


 「いや、なんでもない」


  一瞬静まり返った個室に、ふたたびエッチな声と、 “クチュ……クチュ……” と淫靡な音が響いた。


 『あっあっあ、ん……あっ』


 今しがた悩んでいたはずの勇気の口元が緩む。単純な男だ。

 「お隣さん、本番始まった」


 「だな」


 だが、それと同時に別の個室で、男の声が響いた。


 『ログアウト、ログアウトさせろ! やっぱり友達より自分の命の方が大事だ! 金もいらねえ!』


  大きな声に驚いた二人は顔を見合わせ、ソファに上がり、そっと隣の様子を窺う。


 無精髭の男は、ヨレヨレのTシャツを着て、薄汚れたズボンを穿いており、切羽詰まった面持ちでパソコン画面に向かっている。


 二人は訝しげ表情を浮かべ、男が凝視している画面に目をやった。


 【ルール違反になりますが、ログアウトなさいますか?】


 【YES】 【NO】


 真っ黒な背景の画面に赤い文字が表示されていた。色使いのせいなのか、なんだか目がチカチカする。


 目を凝らしてその様子を眺めると、男が【YES】をクリックした。


 その直後、赤い文字が消え、悍ましい髑髏(どくろ)が画面いっぱいに映し出された。


 『あっはっはっは!』パソコンの中で髑髏が哄笑した。『ルール違反者は処刑』


 男はパソコン画面に向かい、大声を張り上げた。


 「どうやって! パソコンの中からどうやってオレを殺す! やれるもんなら、やってみやがれってんだ!」男は、颯と勇気が上から覗いている事に気づく。「おい! マナー知らずのワルガキども! どうやってオレを殺すか当ててみろ!」


 血走った目つきの男と目が合った颯と勇気は、姿勢を低くし、身を隠した。


 颯が小声で訊く。

 「メンヘラ? それともサイコパス?」


 「両方じゃね?」


 二人が見ていないパソコン画面の中で、髑髏がカウントダウンを取り始めた。


 『5……』 



 『4……』



 『3……』


 

 『2……』



 『1……』



 『消去! くたばれ!』


 髑髏が死を告げた直後、顔面に激痛を感じた男は、悲鳴を上げ、個室から飛び出し、通路に転倒した。


 「顔がぁ! 顔がぁ!」顔面を押さえ、ゴロゴロとのたうち回り、苦悶する。「助けてくれぇぇぇ!」


 その悲鳴に驚いた二人は、咄嗟に通路へと顔を出した。個室に籠っていた周囲の客も次々と通路に顔を出し、騒然とする。


 颯が男に声をかけた。

 「おい! おっさん、大丈夫かよ!?」


 「助けて……た……す……け……て……」


 異様に膨れ上がった男の顔面が、ボン! とけたたましい音を立てて突然爆発した。木端微塵に吹き飛んだ肉片と血が周囲に飛散し、通路は血の海となった。


  顔面を失った悲惨な赤い死体が通路に横たわると、悲鳴の嵐が荒び、嘔吐する声までもが聞こえ始めた。


 颯が囁くように言った。

 「一体何がどうなってるんだ?」


 勇気がはっとする。

 「まさか噂の『X』っていうゲームなんじゃ……だってオレ達が覗いた時、あの男がいた個室に爆発物らしきものなんかなかったぞ」


 「マジかよ……」


 誰もが『X』を疑う光景。


 ざわめく通路で勇気と同じ台詞が飛び交う。


 勇気がふと思い出した。

 「そう言えば、『Xゲーム』のシンボルマークって髑髏だったはず」


 「それならオレも聞いたことあるぜ」


 血が飛散した通路に出た二人は、男が居た個室へと入り、パソコン画面を確かめた。しかし、あの悍ましい髑髏は既に消えており、通常のパソコンのトップ画面に戻っていた。


 勇気が言った。

 「気味が悪い」


 颯も吐き気がした。

 「最悪なモノを見てしまった気がする」


 勇気は、悲惨な男の死体をスマートフォンに収める悪趣味な客に嫌悪感を抱いた。

 「帰ろうぜ」

 

 「ああ」


 一旦、自分達が座っていた個室に戻り、鞄を手にして通路に出ると、慌ただしく動く警察が店内に入ってきた。


 顔を見合わせ、警察に背を向けた。


 中学時代、警察にしょっ引かれることが多かった二人の補導歴は数知れず。そのせいあってか警察が大嫌いなのだ。


 事件現場に居合わせたという事は、根掘り葉掘りの事情聴取が待っている。学校に行っていない理由も聞かれるだろうから、さっさと立ち去りたい。


 足早に歩を進めるが、警察に呼び止められた。

 「おい! 待て」


 「ああ!?」と、威勢良く "ヤン顔” で振り返り、警察を睨みつけた二人は一瞬固まる。「…………」


 ノーネクタイでワイシャツを腕捲りした玉木を見て一歩引く。警察というより格闘家のような体型だと思った。


 玉木は警察手帳を見せ、二人に歩み寄ってきた。

 「自分は警視庁捜査一課の玉木だ」


 そして玉木の隣にいるもやしのような田中も警察手帳を見せた。

 「同じく田中です」


 玉木はふたりに訊いた。

 「……その制服は光輝高校の生徒か?」


 颯が言った。

 「だから?」


 玉木は質問を続ける。

 「学校はどうした?」


 「いちいちうっせえよ。用がないなら、その学校に行きたいんだけど」


 「ここで起きた状況を知りたい。何か見ていたら教えて欲しいのだが」


 苛立つ二人の前方に黄色い規制線が張られ、鑑識班が写真を撮り始めた。館内にシャッターを切る音が響き渡る。


 「何も見てねぇし」


 髑髏とYES、NOの選択画面を見たが、面倒なので颯は嘘をつく。それに非現実的で科学的根拠のない出来事は信じない警察に何を言っても無駄だと思った。


 だが、疑うことが仕事の玉木はしつこく追及する。

 「嘘はつくなよ」


 「ついてねえよ!」


 勇気が捲し立てる。

 「こいつが何も見てねぇって言ってんだろ!? ぶっ飛ばされたくなけりゃ失せろ!」


 ヤンキーにも慣れている。

 「やってみろ。公務執行妨害で逮捕されたいならな。それにお前らなんざ簡単に捻じ伏せられる。俺は極真黒帯だ。くだらん喧嘩拳法と一緒にするな」


 「ッチ!」勇気は舌打ちした。「偉そうに、ムカつく」

 (何かすりゃ逮捕逮捕ってよ、頭にくるぜ)


 さっさとこの場から立ち去りたい颯が玉木に言った。

 「オレらマジで何も見てないんすよ。スマホで動画撮ってたヤツもいたから、そいつらに聞いた方がいいんじゃねえの?」


 「本当に何も見てないんだな?」


 「しつこい」玉木に背を向けた。「勇気、行くぞ」


 玉木は二人に言った。

 「ちゃんと学校に行けよ」


 歩を進ませながら、颯は適当に返事を返した。

 「あ~、はいはい」


 二人が通路から去ると田中が玉木に言った。

 「ふ~」一息つく。「僕、不良って苦手なんですよ」


 「ガツンと言って、堂々としてないとナメられるぞ。もう少ししっかりしろ」


 「はい。頑張ります」

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