第14話
小林彩美にはたった一つの話題しか人々に提供するものがなかった。家族のことだ。そこから趣味が武器になると思い、読んだ本の話を、相手が
ちょっと読んでみたいかも。
と思うくらいの手腕までプレゼン能力があったのは彼女には秘密だ。
ちょっと困った親戚というか、父の家系なんですけど、困って逃げてきたんです。
私はハッとした。そういう同じ境遇の人に初めて会った。
詳しく聞く気はなかった。
真中はタレ目で寒い地方の生まれの好青年だった。みんなが真中を百点だ、と褒め称える。しかし、休暇室で一時間休憩が被った時に確信を突いてみた。就活めんどくさいよね。
真中は黒い感情を出すことなく、正直にふふっ、とふきだし、
これからエントリーシート大学でいろんな企業に送るところ。
と答えた。あー。そういうタイプ、やってもらえて便利だけど、だいぶふるいにかけられるよね。と相手の意見に寄り添いながら、私は何社かはのこれるよ、というような親しみやすさを声にわざと滲ませる。
全部落ちたらフリーターかな。
真中が暗くいう。フリーター。大学生が、殊、就活中の現役の学生が一番頬の肉を下げ、瞼を半分閉じ、目線を斜め前に向けて直視したくないが心では想像できないほど絶対に避けたい人生の在り方。
小林さん、フリーターだよね。たぶん。
そんなやりとりをする。
あの人多分真中くんのことちょっと好きだよ。
秋ヶ瀬さんのことも好きでしょ。
あの人は誰でも好きなのだ。
ほんのり二人して微笑しながらも目は、瞼は閉じる寸前で、私達は小林そのものではなく、フリーターとしてちらつくとある従業員の影だけを忌々しく思った。周りの二個下の子なんかはあからさまに二十五過ぎたら正社員無理でしょ、小林さん、フリーターだよね。フリーターじゃ結婚できないじゃん。あ、でも小林さんだったら結婚できそう!とこれ見よがし、聞こえよがしに休憩室で対話していた。
そんな空気に。品行方正。公正名大。そう大学でもその類に属していたはずの。
自分たちまで毒されてきた。
私達はその日から天然でも養殖でもフリーター小林を褒め称えながら、あからさまに貶めた。
立派ですよ。
わあ、綺麗にポップ貼れましたね!
あ、すみません、小林さん、シフト替わってください!他の日にはでられるんで!
二人して、今までやったことのないことをした。
人を貶めて、持ち上げ。実は騙している。
小林は全てを快諾する。全てを分かった上で。
まるで、自分たちの姉の様だ。そう思う時が私と、真中にもあっただろう。それでも追撃する。見下す。他の子達が密かに抱いている感情を、わたしたちまで抱え込みながら。
ある日の休暇室。奥様と小林、私秋ヶ瀬で一時間休憩に入る。
学生のみんなさいきんシフトはいれないねー。
奥様がいう。
私はもう卒論にだって着手している。大丈夫。ExcelもWordも得意だ。シリアの進撃、しまった。進撃は大好きな声優梶裕貴さんに縁がある。打ち込む時には気をつけよう。教授の性格や卒論の趣旨について考えた。花江夏樹さんも好きです。
そのとき、ヤケクソで小林彩美が叫ぶ!大丈夫、ワタシ!フリーター、だから!!
あの例の、自らを嘆く、ミステリーで追い詰められた犯人のようなジェスチャーで顔の前に手のひらを掲げ、小林は悲嘆もなくただ本当に独唱した。
今はこうだ。
他の子が、学生が休むなら、
仕方がない、フリーターの私が出るよ。出るしかない。
立派な心構えだ。しかし。
潰す。この女を、ウザいと思う。今まで女性や友人をウザいと思ったことなど、一度もなかった。
それなのに。
こんなにこちらが普通というレールの上で大人達や学生達の黒い感情に晒されながら石炭まみれで走っているというのに。
もっと適切な表現が欲しい。
フリーター女、小林彩美は川へと飛び込んだ元金魚で、今は浅黒いフナだ。
立派であると褒めてやりたい。
ただし、それは本物の川を泳ぐでっぷりと体型の良いフナ達だけだ。
こちらが水槽の中でおびれを揺らめかせながら人目を楽しませているというのに、水槽の向こうの、フナは、と思ったところで。
これは昔読んだ花魁の漫画の実写の表現だと私は自らを心の中で罰した。
小林が私のその表情を見て、今この人は、後悔をしながらも自己嫌悪を露わにし、それでいて自尊心を保っている顔をしているなー、という観察をしてくる、ことを私も感じ取る。
うまくはいえない。
ただ、
その日から、私達は。
真中と私はわざと、小林の前で親密に話したり。
また、小林がスタッフルームに来る時や、お互いすれ違う時に、体の距離を詰めて会話をしたりした。全ては。
わからない、ただ、オモシロかったから。私達は男女の垣根、大学という学び舎をも超えた仲良しである。そう展開してやりたかった。
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