第17話 溝

 あれから、月詠の見舞いに何度か足を運んだ。花束では枯れてしまって花瓶の手入れが大変だと思い、食べ物を持って行ったとしてもまだ彼女は口にすることが出来ない。食事制限を設けられている間は仕方なく、将棋やトランプなどを持って行った。

 頭を抱えながら駒を動かしたり、ジョーカーを引かないようにする月詠の姿はいつも通りだった。


 目が覚めたのは一週間後だった。打ちどころが悪く数日眠っていたのだが、毎日見舞いに来ていた母親が、彼女の手を握って話しかけていると、彼女は弱々しく母親の手を握り返してきたのだ。その時の泣き叫ぶ母親の声が耳に響いて痛かったと、笑いながら話してくれた。

 面会が許されてから、黒原達はちょくちょく通うようになった。回復までしばらく時間がかかる為、少しでも彼女との時間を作る為に、内緒で学校のカバンに入れた遊び道具で楽しい時間を過ごしていた。


「黒原さん、いつも来てくれてありがとう。私、凄く嬉しい」


「私も月詠ちゃんとまた遊べているから、凄く嬉しいし、楽しいよ」


「うん、私も・・・・・・楽しい」


 箇条書きのような喋り方は彼女らしい。いつも付けていたピアスは、揺れることなくメモ帳が置けるスペースしかないテーブルの上の小皿に、ハンカチを敷いて置かれている。可愛い鞠のピアス、それを見る度にこの二人を思い出す。

 そういえば、日向は用事があると言って少し遅れてくるそうだが、月詠を置いて何をしているのだろう。気になるが、それよりも月詠の将棋に強さに負けず嫌いが発動して、どうにも他の事が考えられない。

 初めてやると言っていたから、あらかたルールを教えて一勝負しているのだが、自分が弱いのか彼女が強いのか、中々の接戦を繰り広げている。



 その頃、日向は校門の前で塀に背を預けながら、片足を鳴らして誰かを待っていた。腕を組んで前方を睨みつけている彼女からは、溢れんばかりの苛立ちを感じる。


「それじゃあまたねー」


 すると、日向の目の前に笹岼がやってきた。生徒会の仕事が早めに終わり、生徒会の仲間とちょうど別れたところだろう。彼女の乗っていた自転車は、月詠の事故の時に大破してしまい代わりのものはなく、別のカバンを手にしているのを見ると、これから塾のようだ。


「ねえ、笹岼さん」


「あ、日向ちゃん、まだいたんだね。これから塾の前に月詠ちゃんのお見舞いに行こうと思うんだけど​───────」


「ふざけるな!」


 笹岼の誘いを、日向は無視して彼女の胸ぐらを掴みかかる。怒りの籠った瞳が、笹岼の驚いた瞳を睨みつける。スポーツ万能な日向には多少の筋力があり、掴みかかった勢いで笹岼の体勢が崩れる。


「あんたが貸した自転車のせいでっ!」


 様々な思いが一気に溢れ出し、言葉が詰まってしまう。何が何だかと、笹岼はきょとんとしていた。落ち着いて、と一旦剥がそうとするも日向は離そうとしなかった。シャツにフックが引っかかっているように、このまま無理やり引き剥がそうものなら、衣替えで新しく新調した半袖シャツが破けてしまう。

 話を聞くから、とあまり抵抗をせず、とにかく彼女を落ち着かせる事に専念する。周りには偶然にも他の生徒もいて、どう考えても生徒会である笹岼が悪者に見えた。

 あんたのせいで、と連呼する日向に若干の怒りを感じたが、それよりも状況が呑み込めないのが勝っていた。


「ねえ、いい加減にして! 理由を話さないと何も分からないわ! 一旦冷静になってシャツを離してくれる!?」


 痺れを切らした笹岼は、とうとう口から出てしまった。これ以上、相手の怒りを昂らせてはいけないと分かっていても、耐える事が出来なかった。

 すると、笹岼の喝が聞いたのか、日向はそっと手を離して、突然溢れ出した涙と共に膝から崩れ落ちる。笹岼は慌ててバッグを手放し、日向の体を抱きかかえるように支える。


「日向ちゃん、ちゃんと話を聞くから話してくれる? 私、いきなり日向ちゃんに胸ぐらを掴まれて私のせいって言われても、何の事か理解できなかったの。そうだ、近くのファミレスに行こうよ。パフェでも奢るから、一通り話してくれる? それで、本当に私のせいなのかどうか、私もしっかり答えるから」


 彼女を諭すように話す。彼女も首を一回縦に振り、笹岼に手を貸してもらい、手を繋いだまま近くのファミレスへと向かった。


 席に着くと、早速メニューを開いて日向が好きだと話していた王道のチョコバナナパフェを頼み、ついでに笹岼はフライドポテトを一緒に頼んだ。

 注文してから食べ物が届くまでの時間は、特に空気が重たかった。これから、日向から何を言われるのだろうかとヒヤヒヤしていると、余計に喉が渇いてきて、二回もサービスの水を取りに行った。

 食べ物が届いてからも少しの間沈黙が続いたが、塾の時間も考えて笹岼から話を切り出した。


「それで、さっきの私のせいだって言ってたのは、何が要因だったの? 月詠ちゃんがどうとかって言ってたけど」


 フライドポテトをつまみながら日向に聞くと、日向は顔を上げて真っ直ぐ笹岼を睨みながら口を開いた。


「この前・・・・・・警察の人から事故の原因を聞いたんだよ。坂道を下ってスピードが落とせず、そのまま交差点に入ってトラックに轢かれたって」


 原因を聞いて笹岼は目を点にした。


「そうだったの!? なんて酷いこと・・・・・・。でも、でも、どうしてスピードを落とせなかったの?」


「それはね・・・・・・あんたがブレーキに細工をしたからだよ」


 もし日向が今、片手にナイフを持っていようなら、笹岼のフライドポテトに大量のケチャップが満遍なく添えられることになっていただろう。そのくらいの殺意を笹岼は感じ取り、背筋にひんやりと風が走った感覚がする。

 だが、笹岼は慌てることなく、冷静に口にした。


「私は、何もしていないわ」


 真剣に日向の目を見てそう言った。続け様に、笹岼はフライドポテトをつまんでこう話す。


「もし、ブレーキに細工したとしたら、私は自転車を引きながら歩いてくるはずだし、休み時間とかに駐輪場に行って細工をしたとしたら、警察が防犯カメラを見て私を捕まえに来るはず。更に言えば、月詠ちゃんが自転車を借りていなければ、私がその自転車を使って事故にあっていたかもしれない。そんなリスクを負ってまで、用意周到に細工なんて出来ると思う?」


 日向は彼女の言い分に何も言えなかった。

 警察をも黙らせる立派なアリバイをスラスラと口にした笹岼は、どこか呆れているようだった。そして付け足すように。


「それに、私が月詠ちゃんに恨みとかあると思う? まあ、あっても何もしないよ。友達なんだから」


 ニッコリと微笑む笹岼を見て、日向は納得せざるをえなかった。確かに、今まで良くしていた彼女が突然変異して、他人を傷つけるような人に思えるだろうか。頭も良く優しい彼女が恨みもなしにやるだろうか。

 混乱する頭を無理やり整理して、自問自答を繰り返した挙句、日向は頭を下げて、ごめんなさい、と謝った。

 気にしないで、と笑顔の笹岼は、その代わりに、とポテトを差し出し、これも食べてくれる? と満腹を伝えた。


 もちろん、その後に警察にも同じような内容を事情聴取され、日向に話した内容と同じような内容を話した。疑いを持たれている以上、それで晴れるわけではないが、彼女の話に警察は頭を抱えていた。

 身辺調査や家宅捜索が行われ、笹岼の犯行であるという裏付けに動くのだが、証拠は一切見つけることも出来ず、生徒会に所属し周りからの印象も悪いわけじゃなく、結果的に捜査は振り出しに戻るしかなかった。


「ごめんなさい」


 黒原と日向が見舞いに来た病室に、遅れてやってきた笹岼は、深々と頭を下げて月詠に謝罪をした。付け加えるように、自分が犯人ではないとしても、危険な自転車を貸してしまった責任が私にはあると、もう一度頭を下げる。


「うん、気にしないで下さい。笹岼さんが犯人だとは、少しも思っていませんし、あんな事をする人だとも、思っていないので」


 その時の彼女は、どこか引きつった笑顔を見せていた。半信半疑、それが表情に露になっているのがすぐにわかった。犯人が分からない以上、疑わしきは笹岼しかいない。

 予め用意された自転車、わざわざ廊下を歩き回り偶然を装い鍵を渡してそれを貸す。そして事故に遭う。計算された犯行であることは確実なのだが、それを立証する証拠も犯行動機も見つからないとあっては何も進まない。


「それにしてもどこのどいつだよ。月詠をこんな目に遭わせたクソ野郎は」


 下品な言葉使わないで、と日向は月詠に突っ込まれる。だが確かにそうだ。主犯として考えられる笹岼には、何も証拠がなく動機もない。他の人物の犯行だとしたら、動機は何なのだろうか、どうして彼女だったのか。

 今回は、転落死してしまった落合絵梨とは違う。明らかに誰かの犯行に決まっている。

 黒原が顎に手を当てて推理をしていると、笹岼は一枚の紙をバッグから取り出し、ベッド用の机の上に叩きつけた。


「ねえ、これを見てくれる? 今回の事故に関して、私なりに推理してみたの」


 得意気な顔をする笹岼のこの姿は、確かどこかで見た事がある。靴箱の前であったか、その時も探偵気取りの彼女の話を聞いた気がする。


「なにそれ」


 そう言って、日向はそれを覗き込む。つられるように全員がその紙を覗き込む。

 中心には〈黛澄くん〉と丁寧に書いてあり、周りには見知った名前が四つ、走り書きで載っていた。


「白綺さんと落合さん、それに月詠ちゃんと乙葉、これってどういう意味なの?」


 黒原が探偵気取りの笹岼に聞くと、今から作るから、とペンを取り出しては、紙に矢印とマークを書いていく。彼女達から伸びた矢印が全て黛澄の手前で止まり、重ねるように左右非対称のハートマークが描かれる。

 恐らく、靴箱の前で話した黛澄の事が好きな人のリストだ。特にこだわりもなく雑なものではあるが、これが何を意味しているのか。笹岼はそれについて、ペン回しをしながら説明する。


「これは、黛澄くんの事が好きな人を書いたものよ。そして​───────」


 名前にバッテンを書く。書かれたのは、落合絵梨と姫鞠月詠の二名である。


「被害があったのはこの二人、一人は転落死、月詠ちゃんは大怪我を負った。特に理由があるわけじゃないし、単に月詠ちゃんを傷つけたやつを捕まえたいだけ。そこで二人が関係していることと言えば、黛澄くんの事が好きという事」


「それで?」


 この話に前のめりに食いついたのは、日向だった。


「黛澄くんを自分のものにする為に、犯人は邪魔者を消していく。要するに、この中の誰かが犯人なんじゃないかって思ったの」


 思った、とは言うが、彼女の言い方は断定しているように聞こえる。どうやら自信があるのだろう。ありえない、と黒原が口にすると、あくまで仮説よ、と笹岼は言う。


「根拠は・・・・・・あるのですか?」


 月詠は手の震えを抑えながら質問する。たぶん彼女は、笹岼の話を半ば信じているのだと、そう感じた。でなければ、こんなに恐怖を感じている顔は見せないはずだ。


「正直、根拠はない。けど私達にとって、犯人探しをするならこれが最も有力なものだと思うの。そして、被害を受けたのはここの二人」


 彼女は月詠と落合をペンで指す。


「残るは乙葉と白綺さんだけど、関係性を考慮して犯人になるとしたら、これって、一人しかいない」


「白綺・・・・・・眞樹・・・・・・」


「ええ、彼女の事を疑ってかかってもいいと思う。一番関係なさそうで関係のある彼女なら、他三人を死に追いやる事なんて容易だわ」


 疑いの目が白綺の名前に集まる。黒原はゴクリと唾を飲み込むと、笹岼達も溜まった唾を一斉に飲み込んだ気がして、横目でちらりと周りの様子を伺うと、どの目も睨んでいるように見える。

 でも、他人を傷つけるような事を彼女がするだろうか。気品もよく容姿淡麗、文武両道。そんな彼女が周りを崖から蹴落とさないと、欲しいものを手に入れられないのだろうか。

 それに・・・・・・彼女は。

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