第16話 理由
今日は、月詠と日向の姿を見ない。朽城先生は体調不良でお休みだと言っていたが、毎日元気に登校してくる二人が急に休むだろうか。
黒原は、頬杖をついて晴れ渡る青空に浮く小さな白い雲を見つめながら考える。
でも、いつ体調不良になるかは予想が出来ない。もしかすると、月詠が塾に行って、他の生徒から菌を貰って家に帰り、熱を出したりして寝込んでいるのかもしれない。
そして、心配になった日向は、月詠の看病をする為に学校を休んだ。いや、それだったら親が代わって面倒見るか。だとしたら、日向にも菌が移って体調を崩して休み。そう考えた方が自然か。
それに、感染元が塾がないとしたら、ここの教室にいる時点で警戒しなければ。一回でも休んでしまったら、勉強が遅れてしまう。
黒原は、姫鞠姉妹よりも自分の心配を優先した。
「なんか日向ちゃん達いないと、変に静かに感じるよね」
椅子の背もたれに向かって腰をかける花撫が、少し寂しそうに話す。
「そうだね。今まで病欠なんて無かったのに、二人して体調不良なんて珍しいよね」
去年、二人が休んでいたのかなんて知らないが。だが黒原の言う通り、二人が休む事はなんて今まではなかった。高校一年の時から、体調不良とは無縁の二人だった。それは全て母親のおかげ、栄養の偏りのない食事を用意し、少しでも娘達の変化に気付いたらそれ相応の対応をする。
傍から見たら過保護なのかもしれないが、母親の行動が功を奏して、今回の病欠まで無遅刻無欠席を貫いてきた。
「日向ちゃんと月詠ちゃんがいないだけで、こんなに暗く感じちゃうんだね。正直、驚いてる」
「私も。乙葉と日向ちゃんがいつも騒がしいから、不思議な感じだよ」
「ちょっと、私はそこまでうるさくないと思うんだけど」
花撫の訂正に、黒原は笑って首を振る。
「ううん、うるさいよ」
「失礼しちゃうわ」
背もたれを抱き締めて、頬を膨らませる彼女を見て、失礼しました、と黒原は笑って返す。するとそこに、ツンツンとした頭を掻きながら気だるそうにする黛澄が席に戻ってきた。
「ねえ、二人とも聞いてくれる?」
唐突に声をかけてくる黛澄に、二人は軽く頷く。
「僕の小学校の友達がSNSで、変なおっさんが訪問してきたって言うんだよ。少しでも話聞いてくれませんか? ってね。怖くて出なかったらしいんだけど、二十分くらいそこに居たらしいんだよ」
「うわー、不気味だねー」
花撫は、黒板を引っ掻いた音を聞いたように、嫌そうな顔をしてリアクションを取る。そこまで大袈裟なものなのか、ただ単純に別の目的があったのでは。そう思い、黒原が聞いてみる。
「そのおじさんは、宗教の勧誘とかセールスマンとかじゃないのかな。必死になってそういう活動をしているとか」
と言うと、黛澄は首を振って、そうじゃないらしいんだ、と真剣な顔をする。
「そのおじさんは、インターホン越しにこう話たんだって」
───────娘の死の真実を知りたいんだ。
娘の死について。その真実を知る為に、どうして黛澄の友達に訪ねたのだろう。黒原の脳裏によぎったのは、彼の友達は殺人犯、それだけだ。その疑念を直接口にしたのは、花撫だった。
「黛澄くんの友達って・・・・・・もしかして、犯罪者なの?」
黛澄は、それに対してすぐに否定した。
「違うよ、違う違う。前に学校で話題になった白骨死体のやつだよ。友達の家に訪ねてきたのは、あの時の御国って言うおっさんだったんだ」
御国、その名前を聞いた時、黒原は思い出した。カメラに向かって泣き叫ぶ父親の姿、納得のいかない結論を出され、犯人を絶対に見つけてやると恨みの篭った目で、テレビ越しに犯人を睨みつける目を。
どこか落ち着かない気持ちが、手癖として現れる。左手をぎゅっと守るように右手で握る。
額から汗がじんわりと滲み出てる気がする。気になって触れてみるが、額はさらりとしていた。
「あの人、テレビで見た時すごく怖かったよ。なんか今にも、画面から飛び出してくるんじゃないかってくらいに」
花撫は、メガネの形を顔の前に作って話す。3Dメガネとでも言いたいのか、大して面白くはなかったが黒原は苦笑いをする。
「なんか友達の情報だと、亡くなった娘さんと同じ中学の生徒の家に、聞いて回ってるらしいよ。確か、黒原さんも川上中学だったよね。もしかすると、家に来るんじゃないかな」
「みおりん、気を付けておいた方がいいかもね。ただのド変態じじいだったら、余計に危険だからね」
「う、うん、気を付けておくね」
黒原の中学時代の記憶は、濃霧に隠されているように思い出す事が出来なかった。歩いて記憶の断片を探しに行こうにも、先が見えない森の中を歩くように、足を進めるのが怖かった。
それを、御国という男が手伝ってくれるかも、そう思うと少し嬉しい気もした。祖母に話を聞いても何も言わず、家には中学時代を思い出させる卒業アルバムも何も無い。
思い出したくても思い出せない記憶、夢に出てきた茶髪の少女は誰なのか、〈秦野美織〉が誰なのかを知るために、もし家に来てくれるなら話を聞いてみたい。
学校から家に着いて、自室の机に向かって日課である一日の復習をするのだが、頭の中は記憶への好奇心でいっぱいだった。
「おばあちゃん、今日、誰か来た?」
「あー、隣の奥さんとお茶したよー」
「なーんだ」
台所にあった来訪者用の湯のみを見て、もしかしてと思ったが、祖母の友達ばかりで御国はまだ来ていないみたいだ。一軒ずつあたっているとしたら、昨日の今日で来やしないだろう。
黒原は、彼が来る事を気長に待つとした。
次の日、事態は急変する。いつものように花撫と好きなアーティストの話で盛り上がっていると、クラス中の視線が教室の黒板側の入口に集まっているのに気づく。
皆の視線の先にあったのは、死んだ魚の目をした姫鞠日向の姿だった。
「日向ちゃん!」
あまりの覇気の無さに、心配して彼女の元のに駆け寄ると、彼女は黒原の顔を見て泣いて飛びついた。いつも明るい日向とは相反するその表情からは、悲しみが溢れ出していた。
黒原は彼女を強く抱き締めて、とりあえず座ろっか、と黛澄の席に座らせる。何があったのかを聞きたいところであったが、このままでは話すに話せないと思い、日向を落ち着かせる事に専念した。
「はい、みんな席に着いてください」
朽城がやってきた。彼もまた暗い表情を見せて、教卓に置いた出席表の上で強く握り拳をつくっていた。みんなが空気を察して席に着くと、朽城は口を開く。
「みんなに、とても悲しい事をお伝えしなければなりません」
その一言で、月詠の事だと察する。
「
クラス中がざわつき始め、「嘘でしょ」「体調不良っていってたじゃん」と各々に信じられないと口にする。しかし、日向の様子を見る限り、あながち間違いではないのがわかる。顔は下を向いていて、下唇を噛み涙を堪え、ぎゅっとスカートを握り締めている。
「詳しくは話しません。とにかく、みんなも交通事故には気を付けるように。お願いしますね」
朽城が他人事のような決まり文句を口にして、朝のホームルームが終わる。ざわついた教室は、一日中その話題で持ち切りだった。塾に向かったのは知っているし、笹岼から自転車を借りたのも聞いている。
とにかく、月詠の今の具合はどうなのか、それを知ることが出来たのは、放課後に立ち寄ったファミレスだった。日向を元気付ける為に、ちょうど塾も生徒会の仕事も無かった笹岼と、暇を持て余した花撫と共に、行き付けのファミレスでピザをシェアしていた。
「ねえ、月詠ちゃんの具合はどうなの?」
花撫が無遠慮に、俯く日向に質問を投げる。笹岼が切り分けたものの、誰も手を付けずに十分くらいだろうか。たっていた湯気もいつの間にか消えている。やっと話が進んだのは、花撫が発した質問のおかげだった。
それに対して日向は、スカートはまた握り締めながら、切々と話し始める。
「月詠は今、昏睡状態で眠ったままです。体の複数の箇所に骨折があって、起きていたとしても容易に自分の意思で動く事は難しいって、医者から話をされた。原因は───────」
と続け様に話そうとするが、月詠の寝たきりの姿が目に浮かび、胸が苦しくなって涙がじわりと溢れてくる。隣に座る笹岼が、日向の背中を大きくさすってあげる。日向は声を振り絞って、最後まで話を続ける。
「原因は・・・・・・トラックに接触した時の衝撃と、跳ね飛ばされて地面に着地した時の衝撃が原因だろうって、警察の人にも言われた・・・・・・」
「そう・・・・・・なんだ」
花撫と笹岼が唖然とする中、黒原が反応するがそれ以上の言葉を口にする事が出来なかった。警察や医者よりも簡易的な説明なのだが、あまりに酷い交通事故というのが、日向の悔しそうな表情を見て察しがつく。
月詠は小柄でもある上に、相手がトラックとなれば、蟻にデコピンをお見舞いするように重い衝撃が加わったに違いない。蟻こそまた元気に動き回り、危険を感じて逃げていくが人間だったらそうはいかない。
「で、でも、また元気になって戻ってくるよ! 日向ちゃんは体が丈夫でしょ? 怪我してもすぐ治っちゃうし、双子なんだから月詠ちゃんもすぐ治って復活するよ」
と出来る限りの慰めの言葉をかけるが、日向は、うん、と首を縦に振るだけでそれ以上は何も無かった。重い空気をかき消すように、花撫が「よし、食べよ」と冷めきったピザを一切れ取って大きく口を開けて頬張る。
それに乗って、他の三人も勢いよく手を伸ばしてタバスコをかけたり、丸めて食べたりとそれぞれの食べ方で食べ進める。ピザは一枚だけでもの足りる訳がなく、各々でパフェやフライドポテト、バンバーグなど好き放題に頼んで腹がはち切れんばかりに食い漁った。
一方その頃、月詠の見舞いに来ていた両親の元に、警察が手帳を片手に訪れていた。事故の担当刑事から、原因調査の結果を両親に伝えに来たと告げて、淡々と一連の流れを説明していく。
「娘さんは、学校から塾に友達に借りた自転車で向かい、いつもの通り道を通って向かっていたはずだと、そう仰ってましたよね。通り道には、砂利道、坂道、交通の少ない交差点があり、娘さんは交通の少ない交差点で事故にあっています」
無表情で冷淡に話を進めていく刑事に対し、月詠の両親は、はい、はい、と頷きながら聞いていくしかなかった。
「そして、事故の原因ですが、こちらで調べた結果、娘さんは急いで塾に向かっていた姿が、近くの防犯カメラに残されていました。速度も速く、交差点で止まるような初期動作も見られなかった」
「待ってください、娘は不注意で事故にあったというのですか! 娘はいつも周りに気を配り、交差点では一時停止してから渡れと教えています。それはどんな事があったとしてもと」
警察の見解に父親は怒り心頭、今にも殴り掛かるのではないかという勢いすらあった。母親は、あなた落ち着いて、とどうにか宥める。
刑事の方も、まあまあ、と落ち着かせようと試みる。刑事はまだ手帳を閉じていない。
「今回の事故、こちらの見解としては、誰かに仕組まれたものだと考えています」
「「!?」」
刑事の言葉に衝撃が走った。
「そ、それは一体・・・・・・娘は、誰かに殺されかけた、という事でしょうか」
「ええ、まだ犯人が確定した訳ではありませんが、友達に借りたという自転車のブレーキなのですが、ブレーキが効かないよう細工が施されていました」
警察の調べによると、笹岼から借りた自転車のブレーキの線が切断されており、それを知らずに乗った月詠は、坂道でブレーキを使えず、そのまま交差点に飛び出し、偶然そこを通ったトラックと接触事故を引き起こしてしまったのだ。
それほど急いでいたとはいえ、ブレーキ任せにしてしまい猛スピードで自転車を走らせた月詠にも悪い面があると、刑事は言った。
だが、本当に悪いのは、自転車に細工を施した真犯人であることを刑事は伝える。
「・・・・・・だったら、その友達が犯人なんじゃないのか? 細工をした上で月詠に貸して、今回の事故を引き起こしたんじゃないのか?」
誰もが考える一つの仮説、それを父親が恨みの籠った目で訴える。しかし、刑事はそれに対して分からないと答えた。
「明確な犯人だと確証するのが難しいので、その友達が犯人とは言えませんが、早急に犯人を特定し、逮捕致します」
申し訳ございません、と深々と頭を下げて、それではと病室を後にした。
刑事が去って力が抜けた両親は、目を覚まさない月詠の手を取り涙を流した。
日向が事故の内容を知ったのは、その日の夜だった。
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